闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

邪馬台国論争そのものへの疑問

2009年11月28日 10時23分22秒 | Weblog
今日はどんよりとした冬ざれた天候、
こういう天候だと冬季うつの人でなくとも、とってもブルーが入りますな・・・
そういう気持ちを吹っ飛ばすような明るい話題があれば良いのですが
超円高にデフレ、株価下落と、世間ではどうも明るい話題がありません。

さて、それでも何とか明るい話題がないかと思い返すと...ん~~~~

思い当たる明るい話題がないので、最近話題になっている「纒向遺跡で大規模な
建造物跡が見つかった」という点について、少し書きます。

この発見で、邪馬台国論争に決着がつくとか、やはり卑弥呼は畿内にいたとか
いろいろ言われていますが、実際はどうなんでしょうか?
魏志倭人伝の記述の解釈の違いで、大まかに九州説と畿内説が論争してきました
しかし、近年、各地で様々な新しい発掘が行われ、思いのほか
古代にはたくさんの集落が、日本全国に点在していた事がわかってきました。

私は、邪馬台国論争に対して2つの大きな疑問を持っています。

一つは、魏志倭人伝の邪馬台国の記述自体が、伝聞による仮定の記述で
そういう国が存在するという事実だけが正しくて、方位や距離、名称などは
全く架空のものではないかという疑問です。
ひょっとすると朝鮮半島での出来事が、伝聞の過程で変異して
仮想な邪馬台国という国をつくり出したのかもしれませんしね。
現在の伝言ゲームでも、最初の言葉が正しく伝わる事がすくないですからね。

もう一つは、もし魏志倭人伝の記述がかなり正しいとして
日本列島に何がしかの国家があったと仮定した時、邪馬台国というのが
他の集落(国)を支配していた1つの集落(国)の固有名詞なのか、
それとも複数の集落が結束して形成した郡集落の総合的名称なのか、
もしくは任意の集落の単なる仮想な名称なのかと考えたら、
実態を持たない仮想的な国家だった可能性もあるわけでしょう。

いずれにしても、論争となっている2~3世紀の日本では
大規模な集落が日本全国にいくつもあった事は、発掘された遺跡からは
確認できているわけだし、集落が大規模になればなるほど
それを管理統治するリーダーが必要になるわけで、
遺跡の数だけリーダーがいたはずです。
その中から中央集権的な卑弥呼という巨大権力者がいたかどうか疑問です。
もし百歩譲って、卑弥呼という人が存在したとしても
せめて一集落の長(リーダー)ではなかったのでしょうかね。

そうなると、現在考えられている卑弥呼クラスの長は、日本全国に居たでしょう、
決して九州や畿内だけに存在したとも思えません。
それこそピラミッドから「クフ」という文字が見つかったように
箸墓古墳の石室から「卑弥呼」という文字が見つかったら
邪馬台国論争が決着するでしょうけど、そんな事まずありえないでしょう。

結局、この問題は、いくら状況証拠が揃ったところで、
永遠に決着がつかず、謎のまま経過するものだと思いますけどね。
まぁ、だから「歴史ロマン」なのかもしれませんね。
いつも白黒はっきりしたい技術肌では、イライラがつのります


今日目に付いた記事:
 ・政府、具体策を検討 郵便局で旅券、年金業務
  こういうサービスが追加されるのは、とっても良い事だと思いますね

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 タイムマシーンが無い限り、古代の真の姿は永遠にわからない


















最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (佐藤直曉)
2009-11-29 11:47:35
古代史はロマンがありますねえ。私も大好き。

纒向遺跡発掘=卑弥呼、というのは、
邪馬台国畿内説の学者さんの走りすぎだと思いますよ。
年代測定も学会で一致しているとは言えないそうですし。
邪馬台国畿内説をとる人は畿内の学者さんに多いと言いますから、
おらが国にと思ってしまう人が多いのかも。
案外客観的でないのかもしれませんね。
そのあたり人間的ではありますが。
返信する
Unknown (はんなり社長)
2009-11-29 15:49:02
佐藤様、コメントありがとうございます!

>邪馬台国畿内説の学者さんの走りすぎだと思いますよ。
ははは、同感です!

>おらが国にと思ってしまう人が多いのかも。
まぁそういう希望は理解できますけどね。

>そのあたり人間的ではありますが。
だからロマンまんでしょうけど
返信する

コメントを投稿