闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

私の家の周辺

2009年04月06日 12時40分55秒 | Weblog
今日は春らしい陽気で、気持ちのいいお天気となっています。
こういう時に外出する営業作業があればよいのですが、まさにマーフィーの法則、
こういう日に限って、ソフトの改造作業で室内に篭っての作業です

昨日もあまりにも天気が良かったので、桂川河畔をブラブラ。
堤防の桜は満開でしたし、風も春めいた風でなかなか気持ちが良かったです。

家から桂川に行く道沿いに桂離宮があるのですが、
予約していないと見学できない関係で、いつもひっそりとしていますが
桜の季節でも、ひっそりとしています。

桂離宮のまわりには、「安楽寺」や「極楽寺」、「念仏寺」というお寺があり
そのすぐ傍に「御霊神社」というのまであるので、ちょっと笑いです
これらはいずれも関係があるとは思えませんが、
このあたりの人が死というものと深く対峙されているのか
どうかしりませんけど、何だか出来すぎていて・・・

元々桂あたりは、太秦に住んでいた渡来人の秦氏一族の勢力下にあった土地で
桂川がしばしば氾濫していたようです。
でも氾濫のおかげで肥沃な土地が広がり、秦氏の優れた農業技術ともあいまって
農作物が豊富に収穫でき、この地で採れた野菜などを桂女(かつらめ)と
いわれる女性が平安京まで売りに行っていたようです。
このあたりでは、今でも沢山の畑が残っています。

桂離宮が造営されたのは江戸時代、桂川が氾濫して水に浸かる事を想定して
その建物は、高床式になっています。
また、松琴亭の茶室の壁には、浸水した時の水面がくっきり残っています、
何もわざわざ洪水の起るところに離宮を造営する事もないと思いますけど・・・

このあたりの、京都市の西の端は、どうしても渡来人の秦氏とは
切っても切れない土地柄で、秦氏はまだ平安京が造営される前から
太秦の地に根を下ろしていました。
桓武天皇の側近である藤原種継の母親が秦氏出身であった事や
強く平安京遷都を主張した藤原小黒麻呂の妻が秦氏出身であった事
などの理由から、葛野の地に平安京を造営する事になったようです。

ちなみに秦氏の氏寺である広隆寺に安置されている弥勒菩薩座像が、
日本で一番最初に国宝に指定されました。

また秦氏は酒とも関係が深く、桂と嵐山の中間にある松尾大社は
お酒の神様で有名な神社で、東の加茂、西の松尾といわれていました。
先日、松尾大社に行きましたので、その時の写真をアップしています。

金閣寺や二条城などメジャーな観光スポットを回るのも楽しいものですが
桂離宮や松尾大社など、静かな観光スポットで、また一味違う京都を
満喫されたら如何でしょうか。


今日目に付いた記事:
 ・日米英仏「決議違反」で一致 緊急安保理、中ロは慎重姿勢
  そりゃぁ中国・ロシアは北朝鮮は使い勝手が良いですからね

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 京都の静かな観光スポットは右京・西京だ。