3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

with Corona の時代に 3 中心化するひきこもり文化

2020-06-18 10:44:29 | 現代社会論
内向きな性格で社会と距離をとることで精神的な安定を保つという人びとがいる。私も通常は職場であれこれ発言しているので仲間内では外交的だと誤認されているが、本来は内向きな性格であるし、他人から時間の制限や管理をされることほどいやなものはないと思っている人間である。
毎日、9時からお仕事などという生活にはなじめない。10時~の会議に遅刻しないようにがんばる朝なんか本当につらいものである。
だから、在宅ワークに切り替わって、本当に救われている。
10時ですね、はいはい、机の前にすわってPCのスイッチをON、カメラを整えればもう会議には出席できるんだから、楽チンである。

自分で生活時間を組み立てられるという生活は本当にすばらしい。好きなときに好きなだけ集中して仕事をして、あとは音楽を聴いたりしてリラックスできるのだから、これほど生産性のあがる働き方はないと心底思う。
しかし、世の中にはちゃんと出勤をして職場の人と会話をしながら、仕事をするというスタイルのほうがよい、体になじむ人もいるようである。そういう人は、だんだん、在宅ワークが長くなると集中力がなくなって飽きてくるらしい。それで、早く会社がはじまらないかなあ、などといったりするので、あきれる。

他方、在宅ワークを皆がやっているときも、集まって会議をやっている人もいる。在宅ワーク?そんな甘い働き方はありえない!といわんばかりの人びともいて、そういう人びとには本当にお疲れ様といいたい。

WEB会議なのに家ではなく、会社の一室から出席しているような一群をみると社畜なんだな、と思うが、それは責任のある仕事とか情報が外に漏れたらいけない仕事なのだから仕方ないのだろうと思うことにしている。

確かに在宅ワークの会議の内容が家族にきかれたりするのはまずい。
私の場合は、幸い、完全に家族から隔離された空間で仕事をすることができるので、よいのだが、そういうことができない人は苦労があるだろう。
在宅ワークのWEB会議で子どもが出演してしまったり、家族に会社の会議の様子を察知されてまずいことになることもあるだろう。

コロナの到来でわれわれの生活は在宅ワークが標準になりつつある。
それは紛れもない事実である。
これは「ひきこもり生活」が標準化するということをさす。
これまでいわゆる「ひきこもり」の人に対して夕方コンビニにいくしか外出していないとかあれこれ陰口を言っていた人も、同じような生活を強いられることになり、べつに「ひきこもり」は特別なことではなくなってしまった。

かえって外出なんかしてどこかからウイルスをもらってきてウイルスをばら撒く人よりよっぽど感謝されるのだから、「ひきこもり」の人たちは堂々とすればよいと思うのである。

私のような隠れ「ひきこもり」、ひきこもり生活がうれしい、ものにとって、こんなにいきやすい生活もあるのだと思い、以前より生き生きしてしまっている自分を発見する今日この頃なのである。


コメント
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