3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

隅田川散策

2012-10-21 17:27:16 | 日記


日曜の午前中、隅田川沿いを歩いた。
向こうから船がやってきて、まるでライン川の川下りのようだ。

太陽が輝いていて夏のような天気だが、風は爽やかで、やはり季節は秋なのだ。

人がまばらで、若いカップル、中高年夫婦が少しいる程度である。
スカイツリーの方はわんさか人だかりであるが、ここは静かで穴場である。



水辺の光に遠い日の優しい記憶がよみがえる。


今日は志田雄啓の誰も寝てはならぬ、聴いている。日本人とは思えぬテノールである。
ぜひ、ご試聴を。

http://www.jvf.gr.jp/01shida-takehiro.htm
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平穏死を考える

2012-10-20 11:51:37 | 現代社会論

高齢者を抱えている家族にとって、どう看取るかは大きな問題であろう。
85歳ぐらいになるとだいたいいろいろな疾病を抱えているものである。
そして、いつか来るXデー。

石飛医師が「平穏死」というのを提案している。
胃瘻など不必要な延命処置はいらない、というものだ。

家族は、どうしても延命を望むし、高齢者当事者も一分一秒長生きしたいと思うのかもしれない。
認知症などで意思確認が難しい場合はどうか。悩ましい問題である。

個人的には、平穏死が望ましいと思う。
年齢に関係なく人は平等によい医療を施されなければならないというのは理解できるが、やはり、高齢になればどのようにしてその人の一生を閉じるかが最大の課題であることは違いない。他の世代とは異なる大きなテーマがあるのだ。いかに充実した幸せな人生だったか、それまでの人生が苦しみに満ちた苦労ばかりの人生だったとしても、最期の最後に幸せだったと信じて旅立っていけたら、それこそが素晴らしい人生なのだと思う。

昨日まで、家族と談笑し、遠くの娘と電話で長話をし、庭の花を愛で、季節の移り変わりを感じ、デイサービスで仲間と歌をうたい、いつもと同じ様に朝食をとり、静かに眠りにつく。
昨日の続きのいつもと同じ日、次の日はない。でも、それが平穏な死だと思えるのだ。

医療や看護、介護に従事する人は、そういった静かな平穏な死をいかにプロデュースするかに細心の注意を払って欲しいと思う。
少々寿命が短くなっても、幸せな一日があればそれでよいのだ。


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政治家のレベル

2012-10-19 20:38:02 | 現代社会論
やはり、政治家の黒い付き合いなど、とんでもない話がでてきた。
昔は末は学者か大臣かといわれていた。

いまはだれだってなれる大臣だ。
努力することもなくなれる。

学校で一番じゃなくてもなれる。

日本は実力社会のようにみえるが、そう思わせておきながら実はきわめて強固なコネ社会であるから、親の七光りや偉い人の口利きなどでおいしい思いをしている人はいる。そういう人たちはあまり努力をしていないので、鍛えられていないので、だいたい思い上がっているし、世の中を舐めているので、その行いを正すのは大変である。

今の政治家は、ほとんど、七光りか口利きで今の地位を獲得した人たちなので、苦労もしていないし、何かの拍子で大臣になってしまったような輩だから、内容がなくて情けない人々である。

大臣になるために学力基礎調査を実施しよう。
法務大臣として必要な基礎知識があるか、経験があるか、とにかく事前にテストが必要だ。

国民の前で公開面接でもやったほうがいい。
そんなことをしたらだれもいなくなってしまうかもしれないけどね。



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秋の気配

2012-10-18 10:36:05 | 日記



すっかり秋めいてまいりまして、銀杏の木がほんの少し色付きました。
銀杏がそこらじゅうにおちていて、ちょっと臭いますけど、秋がきたなあって思います。

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生活保護受給者の自殺者1187人とは

2012-10-18 10:11:58 | 現代社会論
今朝の日経の小さな記事だが、生活保護受給者の自殺者が1187人で前年と比べ140人増えたという。
生保と自殺、経済的困窮と自殺が深くつながっているようだ。


生保だから自殺というのではなく、多分、うつや借金など自殺を招くような生活困難を抱えていて、生活保護を受給するに至り、経済的に少しは楽になったとしても、絶望感から解放されることはなかったのではないだろうか。あるいは自殺企図などをふくむ精神的な疾病をもっているから就労ができずに生保にいたり、自殺に至る。

自殺者の生保率というのを調べる必要があるだろう。

自殺にいたることはなくとも、自殺願望や未遂などを含めると相当な数になるとおもわれるが、それらの人々を就労支援を含む経済的安定と住居の確保と医療、精神保健福祉的なサポートなど手厚いケアによって支えるという体制が必要だろう。高齢者なら介護サービスにそういった重層的なサポートが組み込まれなければならないだろう。

また、孤独死と生保などについてもあらゆる角度から研究される必要があるだろう。

生保の額をどうするか、など議論されているようだが、今や生保はセイフティネットではなく、少ない年金や乏しい医療の代替となっていて、そこからこぼれる層を救う本当の意味のセイフティネットにはなっていない。

年金に手をつけ、高齢者層を支え、精神保健福祉サービスを充実させて、精神的疾病をかかえる人々を本気で支える体制ができればかなり前進すると思う。同時に住宅確保とドッキングさせた雇用の創出が必要である。雇用だけとか若年だけとか、精神保健福祉だけとかそういうことではないのではないかと思われる。
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