3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

4.26チェルノブイリ25周年に思う

2011-04-26 16:18:09 | エネルギー政策
4.26、それは、人類にとって特別な日である。25年前の今日、チェルノブイリがあった。あの時、人類は原発事故がひとたびおこれば、共通して健康被害にあい、環境汚染が広がる世界に住んでいることを改めて知らされたのだ。原発危機地球市民として、ある種の連帯感とでもいうような共通の不安と恐怖、被害者観というようなものかもしれない。

しかし、あれだけの大事故(レベル7)があったのにもかかわらず、私たちは、この25年、懲りもせず原子力発電所を作り続けてきたわけだ。我々はそもそも、チェルノブイリ後、どのようなエネルギー政策をとるべきだったのだろうか。自問する。

チェルノブイリは崩壊寸前の旧ソ連の政治的体制を象徴していたともいわれている。だから、今回の「福島ケース」も、ある意味で、日本の政治の機能不全やそのもとで「国営企業」として位置づけられ、優遇されつづけてきた東電、そのきわめて官僚的な企業風土、体質、特権化する利害、ある種の旧ソ連における社会主義国家の末期的状況と様相を同じくしているように見える。

福島ケースはある意味で、わが国の高度資本主義経済体制の終焉を意味するのではないかと思うのである。

我々は、ひとりひとりの生活や人生を重視するより、営利を中心において豊かさを追求してきた。国益につながる大企業を優遇する政策、その結果、脆弱な企業や自営業や農業や漁業や林業は衰退し、とくに地方のまちは衰退し、若年労働者層は都市に流れ、地方はどんどん過疎化が進み、同時に人口の高齢化がおこった。限界集落、シャッター通り、市立病院の経営困難、人件費カット、財政破綻する自治体。

その一方で、六本木ヒルズに象徴されるような大量に電力を必要とするビルが東京の中心には立ち並んだ。高級な衣料品が立ち並ぶ商店街が形成された。それはやたらと明るい、明るすぎる電灯によって満たされた無機的な空間。

それを建設する労働者は外国人労働者だったり、地方からの出稼ぎ労働者だったりするわけで、しかも、そこで働く人々は、きわめて不安定な雇用形態で、使い捨てられるような労働者。生産調整のため、いつでも首を切ることができるような「都合のよい労働者群」、それによって格差の拡大、不平等社会が起きたといえる。働くことが不安で、苦役であるのは不幸な社会だ。

私たちは、ひと揺れくれば、原発事故に恐怖するという恐怖共通社会にいきる地球市民にもかかわらず、そんな社会に生きていることも忘れ、少しでも、他人よりよい給料やよいポストを望み、ブランド品を買いあさり、他人に差をつけることに優越感をもつようなみみっちい文化に浸りきっていたのかもしれない。ホームレスの人々の暮らしを横目で見ながら、自分だけはそこまで落ちないと懸命に今の生活をキープするためになにかにしがみついて生きていたのかもしれない。ひと揺れくれば、明日はすべてを失うかもしれないのに。

この25年の政治、経済、社会のシステムを検証することが必要だろう。豪奢なビルではなくとも、味のある静かな建築物のひとつひとつに思いをはせることができるような街と人々の暮らし。風のそよぎや泉の湧く音に耳を傾けるゆとりのある生活、森のなかにある都市のオフィス、その土地の独自の伝統を守り、農業や漁業など豊かな自然を基盤とした就労の場が用意された街。

一極集中をやめ、まちの規模を小さくし、人口密度をある程度、均等にしていく政策、過密でも過疎でもない。私たちが自分の存在を確認できるだけの規模のまちづくりが必要なのかもしれない。







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