3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

研究者の真価

2011-04-18 14:44:19 | 日記
今回の大震災後、ジャーナリストの報道の仕方、また、政治家の力量・資質が問われたが、同時に、研究者の真価も問われていると思う。

研究者にはだいたい二通りある。時の政府の政策に迎合するか否か、専門的な見地というより、政府に重用されるかいなかで行動を決めるような輩である。私から見れば最悪な人たちだ。そういう人たちが世界を悪くしているとおもうのだが、なにしろ、金が絡むもんだから、みんな静かに政府の政策にならって、宣伝するような研究、都合のよい研究をし、たんまり研究費をもらう。そうすると、その研究費に人が群がり、企業も群がり、先生の推薦をもらってよいところに就職しようとして優秀な学生も集まってくるという構造である。もちろん、そんな金にまみれ権力に見向きもしないでわが道をいく、まっとうな研究者が少なからずいることは承知しているが。

大規模な実験設備を必要とし、企業や国策と深くかかわらなければ研究が進まない原子力関係の研究などは、どうしても政府よりの研究をやって、研究費支援をしてもらうしかないところがあるのだと思う。原子力関連研究が国と密接なパイプを持たざるを得ないのは、宿命なのかもしれない。

地震の予知研究にしても、一般素人は予知ときくと、地震が起きる前に予知して被害を少なくできれば、と思うかもしれないが、そんなに単純なものではなく、多様な角度からの研究があり、また、簡単に結論づけることができないものがその手の研究である。だから、彼らに、ワイドショー的にいつくるんですか?というような質問をするのは気の毒だし、第一失礼、学問への冒涜と思う。

原子力反対を唱えてきた反原発の研究者もいる。個人的には大変尊敬申し上げているが、しかし、彼らの研究や運動にもかかわらず、現に原子力発電所はどんどん建設され、御用学者によって、お墨付きをえられ、原子力ルネッサンスの名のもとに確実に広がってきたことは確かだ。反対運動の研究者としてのアピール力の乏しさもあったのではないかと、つまり、反原発運動のひ弱さが、今回の福島の大事故を引き起こしたのではないかともいいたくなる。特定の政党と結びつくことなく、広く市民に受け入れられる運動を構築できなかったのだろうか。

推進派がどんなに金に任せ、また東大教授の名前を出して宣伝したとしても、科学的根拠を示し、その危険を世にとう研究や運動がもっと前面にでていれば、と、今更ながら残念に思う。東大だって、推進派もいれば反対派もいるわけで、東大のみならず、学術会議をはじめとして、これまでの、学識経験者の真価をこそ今問うべきかと思う。

チェルノブイリ後のわが国の反原発運動の低迷こそ、問題にすべきことなのではないか。

この怒涛のような25年に研究者はどのような研究をし、運動したのか、そして、3.11以後、どのような立ち位置をとるのか、今こそ研究者の真価が問われている。
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