3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

自助・共助・公助を考えるー子どもおよび高齢者支援のありかたをめぐって

2013-01-03 22:29:27 | 現代社会論

元旦に朝まで生TVをみた。
竹中平蔵先生も出ていた。
大塚耕平とローソンの新浪と片山さつき、藻谷ほかのメンバー

マクロ経済を語るのには、それなりの基礎知識が必要である。
だから、竹中平蔵(元政策投資銀行→ハーバード)や大塚耕平(元日銀)それから藻谷(元政策投資銀行→コロンビア大学)と片山さつき(元財務省)などをそろえたのでけっこう白熱した議論が展開されていた。

田原は経済はよくわかっていないので、間が抜けた司会で興ざめだが、年寄でもあるので仕方ないかとあきらめる。

最後の方に少子化対策の話に及んだ。
自民党らしく、片山さつきが、自助・共助・公助の順にならべていた。
家族が大切とのたまっていたが、それは違う。

このブログでも一貫して述べているところであるが、決して自助が前提ではないのである。
社会サービスは広く薄くが大切なのである。なぜなら、自助が限界にきたらそのとき共助も限界、公助も効率的に提供することができないという構造を持っているからなのである。
社会的な支援をベースにして家族が気持ちよく子育てができるようにすること、家族が気持ちよく親の面倒を仕事のペースを落とすことなくやれること、それが大切なのであり、それが持続可能な社会システムというものなのである。

家族が限界になるまで自助努力をするともう薬も手術も効果なくなるほど病が悪化してしまうことになるということである。そんなことになるより前に社会が支えよう、
子育ても高齢者の生活支援も社会が皆で支えよう。家族に任せていたら大変なことになってしまうから。

公助があり共助がある。自助が可能なひとはごくまれな恵まれた人としてとらえる。とにかく徹底的に社会が守るという意気込みがなければ少子高齢社会は乗り越えられない。

新政権には「家族が中心」などと決して言わせてはいけないのだ。
公助の充実、レベルはそれなりでよいので、とにかく多くの人が社会サービスを利用し、幸せな家族生活が送れるようにと願うものである。







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