3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

NHKBSすべての政府はウソをつく 前編後編

2017-12-02 15:28:46 | 現代社会論
すべての政府はウソをつくをNHKBSでみた。すべての政府はうそをつく、ところから始まるというようなフレーズに妙に共感した。そこからジャーナリズムがはじまるってことだ。
今の日本の状況も同じだ。
ニクソンのウオーターゲート事件も取り上げていた。
大統領の陰謀という映画になっている。小さなコソ泥事件といわれたものからワシントンポストの若い2人の記者が粘り強く実証を重ね、最後はニクソン大統領をやめさせる。
日本のマスコミの諸君にワシントンポストの若手の記者、爪の垢を煎じて飲ませたい。
森友加計学園問題はどうしたのだろうか。
首相を辞めさせるぐらい大きな問題なので、忖度だがなんだかしらねえが、追及の仕方が日本のマスコミ、甘いとしかいいようがねえ。

で、早速、大統領の陰謀のDVD、みた。
ロバートレッドホードとダスティンホフマンが若いワシントンポストの記者で、好演していた。若い記者を見守るWPの上司たち、そういう上司がいるから大統領の陰謀が明るみになる。若手だけではどうしようもない。

70年代アメリカが世界の警察、の先駆け、といってベトナムに侵攻していたころ、国内ではそれでも健全なジャーナリズムがあった。
まず、政府はうそをつく、というところから始まる、それがジャーナリズムの出発点である。
佐川財務局長(現国税庁長官)はうそをついている、安倍晋三はうそをついている、というところから蛇のように追及していく、そうすると今まで闇のなかで渦巻いていた巨悪が顔をだしてくるのである。うそというか保身だと思うが。

60年代後半から70年代半ばまでぐらいは、先進国の社会派が元気だった。パリでもロンドンでもNYでも東京でも元気だった。
ビートルズがうたい、サイモントガーファンクルがいてカーペンターズがいた。
あの時代の反体制的な若者の文化を今はただ懐かしむだけなのだろうか。

情けない日本のジャーナリズム。

すべての政府はうそをつく、をみていて、子どものころ、一番なりたかった職業があったことを思い出した。
そう、ジャーナリストだった。
今でも、その魂だけは失っていないと思うが、なにしろ、しがらみで身動きできない。

もう一度、60年代後半から70年代の雰囲気を思い出したい。
ジャーナリストを目指していたころの自分を思い出したい。
ひとりの市民として何ができるか、考えたいのである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 森友加計学園問題の決着の仕... | トップ | 指揮者 柳澤寿男 バルカン室... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

現代社会論」カテゴリの最新記事