3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

国立大進学にも親の所得差くっきり-そりゃあそうだろう

2013-05-16 11:09:52 | 現代社会論
朝日のデデジタル版の記事
「年収400万円以下の低所得層と1050万円以上の高所得層では、子どもの国公立大進学率に3倍近い差があった。2006年の調査時にはなかった傾向」なんだそうだ。

*昨春、高校を卒業した子どもの保護者が対象。1064人が回答。

 国公立大進学率は、400万円以下の低所得層が7・4%。所得階層が上がるほど進学率も上がり、1050万円以上の高所得層では20・4%となった。私立大はそれぞれ20・5%と42・5%だった。


06年と比較するまでもなく、基本的に、国立大学、とくに難関国立大学は親の所得階層が高い(学歴が高く、専門職に就いているので所得がたかい) 、ということは常識である。

親の学歴が低く、所得が高くないから、子は仕方なく底辺私立(学費がそれでも少しは安いところ)にいくしかない、というのが現実である。

難関国立大学は、受験科目が多い。東大法学部など、センター入試、本試と合計すると、社会3科目、理科1、英数国(古文漢文含む)ということだったかと思うが、それなりに時間と金力、努力、地頭のよさ、が必要とされる。

一方、底辺私立だと、1科目とかAOとか、怪しいものがあって、努力しなくても入れるから、塾などにいかなくても、金力はあまりいらない、ということで低所得で子どもにお金をかけられない層は、てっとり早く私立にいくということになるのである。

国立大学の学費を10万円以下にしなければならない。そうすればもうすこし流動性が生じるだろう。

ずっと言っていることだが、すべての家庭の子が大学に行く必要はない。
底辺私立に無理していくより、早くから仕事について、技術を磨くとかそういうほうがずっと、本人にとってもよいし、家族も社会もありがたい。先行きの見えない日本、無理に大学などいかなくても、生きていけるようにする、そういう社会システムにすべきなのである。
国立大学は学費を下げ、所得階層に関係なく、地頭のよいものだけがいけばよいのである。子どものころから金力にまかせ、塾と家庭教師でやっとこさ入るような金持ちのぼんくら息子、娘は難関国立大学にはいらない。そういう輩こそ私立大学にいけばよいのである。

金持ちの特権階級のようなセンスをもったものが、権力をにぎるようなことになったら大変なことになるのである。まったくもって品のない社会になってしまうのである。今でも下品きわまりないが。







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