3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

起立するか否かールールをまもることを教えるだけなんて教育ではないと思うけど

2012-02-25 10:42:23 | 現代社会論
起立したしないで府立高校の卒業式がもめている。
起立することを条例で決めちゃったらしい。

事務系公務員は、だいたい体制的な人間がなるので、問題ないのかもしれない。「できません。これは決まりですから。」いわゆるこれを「お役所仕事」という。彼ら彼女らにとってルールが一番である。

問題は教育公務員である。
教育に従事しているけど所属が公的な機関という人々。
日本は公的な教育が非常に充実していて普及しているから、教育公務員の果たす役割は大きい。嫌だったら私学へというが、公的な教育機関がほとんどなので、そういう論理は成り立たない。

そもそも高校の教員は、大学教員になりそこねたような学問的に専門化している人が多く、思想信条もそれなりのものを持っている場合が多い。
だから、いろいろこだわりがあるのだろう。

市長は、ルールをことさらに強調するようだが、教育は政治を超えたところにあるものだから、政治的判断に任せるのはいかがなものかと思う。
教育とは決まりきったルール、そのものに疑問をもたせることから始まるのものだ。

この条例がどのような意味をもつのか、そのことを多面的に考えさせることそれが教育でしょうに。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大学の秋学期入学を考える | トップ | 大都市の孤独な家族と死 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

現代社会論」カテゴリの最新記事