3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

足尾鉱毒事件からミナマタ、フクシマへ

2011-11-24 10:44:36 | エネルギー政策
3.11のあと、我々の生活はどのように変わったのか。

結局何もかわってはいないのではないか。

原発反対の声も少し前よりかなりトーンダウンしているように思う。
言論統制が敷かれているからなのだろう。それにしても、ショボイ。
なぜしょぼくなってしまうのか。

原子力関連企業は、日本の基幹産業である。
そこには、多くの従業員が働いてて、その家族がいる。もし、原子力発電所が停止され、その技術も次第に消えていくことになったら、生活に響くからだろうと思う。
また、マスコミ、政治、経済界はつながっていて決して徹底的に東電を叩き、また、原子力関連企業を叩こうとはしないので、盛り上がりに欠くということになる。

昔、足尾鉱毒事件が起きて、田中正造が銅山の操業停止を議会で訴えた時、殖産興業で西欧列強諸国に対抗しようと考えていた政治家や経済人たち、知識人たちもみな鉱毒問題なんて、日本の経済成長のためなら、目をつぶれといった。それに第一、足尾銅山で働く労働者1万6千人とその家族が路頭に迷うではないかと。操業停止なんてもってのほかと考えていた。

しかし、被災地に足を運んだジャーナリストたち、たとえば、木下尚江や島田三郎らは、そこで鉱毒による川の汚染と銅山から出る亜硫酸ガスによって山木が枯れ、禿山になり、洪水が起きていること、下流の農村の農民の生活の惨状を見て、一気に操業停止側に回った。足尾鉱毒問題を新聞でとりあげ、キャンペーンをはり、全国に発信した。しかし、銅山経営者古河市兵衛は政治家と縁戚関係を結んでいたこともあり、結局、鉱毒問題は被災地域を遊水池にするという治水問題にすり替えられ、残念ながら戦時体制に傾斜するなかでうやむやになった。銅山操業は継続されたのである。
以来、ミナマタを経て、フクシマに至る道、構造的には何も変わっていない。
自然破壊をして成長優先して得た豊かさはいずれツケが回ってくるのだ。

われわれはこの足尾鉱毒事件の教訓を今に生かさなければならない。

我が国はコネの男社会である。男同志の仲間でいいように金と権力を牛耳り、人道を外れても透明性に欠けていても、身内をかばい合う。異質な人間をこそ集団にいれる勇気をもたなければならない。
異質な人間とはなにか、厳格で融通のきかない人々である。金を積まれてもダメなものはダメといえる人である。




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