3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

鉢呂大臣の当然の辞任:野田どじょう内閣の人材の乏しさ

2011-09-11 15:12:19 | 現代社会論
鉢呂経産省大臣が辞任した。
当然である。
器でない人を大臣にした総理の責任は重い。
「放射能、くっつけるぞ」なんてことを記者たちに向かって言うなんて!ありえない。
よりによって経産大臣だなんて・・・無理。

鉢呂元大臣は農協出身、旧社会党で労働組合のバックアップで政治の世界にはいってきた人間である。
民主党のさまざまな権力調整によってできあがった内閣なので、実力や実績がなくともなっちゃった大臣たちの一人だと私はおもっている。
大臣就任の日、うれしさに顔がほころんでしまって、見ているこちらのほうが恥ずかしかった。旧社会党では大臣になるチャンスはなかったからね。やっぱり大臣になりたかったんだね。

これが日本社会の保守的集団のやっていることだ。政治の世界だけじゃなく、日本の古い集団ではよくあることである。
力がなくても、立ち回りがうまく、多数派にいつも身を置くしょうがない連中。上にたつものは、実力とか社会正義とか公平とか経験実績とか、そんなこととはおかまいなく、自分の言いなりになるものを登用するのが日本的昇任昇格システムである。

あまり力のあるものを自分の部下におくと下剋上、みずからの地位が危うくなるからである。
その結果、力のある個性派や苦言を呈す大物は淘汰され、消えてなくなり、世代交代をするたびに小物ばかりが生き残るという悪しき風習である。

あまり辞任劇もやっている場合じゃないので、たぶん、このあとは、小さなスキャンダルは不問に伏され封印されるだろう。

「放射能」に関する発言、これは、けっこうその人の人権意識と科学知識の度合いを測ることができるものである。
ちょっとした発言に、偏見と差別を感じることがあるし、科学知識が小学生なみに低いと思えるようなケースもある。

専門家ではなくとも、ある程度情報収集能力があれば、きちんと判断し、偏見をもつことはないのだから、放射能くっつけるぞ発言などお話にならない。なんともお粗末な顛末である。

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