3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

新型コロナウイルスの脅威 9 瑠璃色の地球

2020-04-22 12:01:07 | 病気
5月の連休明けに緊急事態宣言が解除されるわけがないと思う。
東京に住んでいるものからするとウイルスの感染拡大は歯止めがかかったとは言えず、爆発的に拡大することはないものの、連日、それなりの感染者は出るだろう。悲しいことに死亡者も何パーセントかの確率で出ることが予想される。スペイン風邪にもくじけず、戦争を生き抜き、高度経済成長を支え、冷戦とベルリンの壁の崩壊、3.11を超えて、長く生きてきた年長者の人びとのやるせない気持ちが聞こえてくるようだ。人生の最終章にさしかかったところでこのようなウイルスの蔓延によって生命の危機に瀕するとは。貧しさから脱却し豊かさを求め、産業構造の大きな変化にもそれなりに対応してきたが、なんと豊かな社会とは脆いものか、と。
ウイルスの拡大の前から自国ファースト主義が跋扈していた。自分の生活のみが豊かになり儲かればそれでよいとばかりに投資投資と続けあぶく銭で一瞬刹那の快感に浸ってきた。
効率が追及され、あらゆるものに効率が求められるようになり、われわれもそういった風潮を支持し、それに麻痺してきた。
医療、福祉、教育など生活を支える基盤にも効率は求められその結果、削減の嵐が吹き荒れていたのである。
イギリスもアメリカも効率主義のもと、社会福祉国家をずたずたにし、効率、市場化のなかで医療、福祉、教育は瀕死の状態だった。
そんなときにコロナがやってきた。
ウイルスはわれわれの法も規則も越えて暴れまわっている。
こんなときこそ、だれもが平等にアクセスできる社会保障制度が必要である。そのことをいやというほど知らされているのが今の私たちである。
どんなに金を積んでもウイルスは避けてくれはしないのだから。金なんかいくらあってもだめなものはだめなのである。

これからは、あらゆるものがオンライン化される。
診察も教育も銀行も役所もオンライン化されるだろう。
そしてsocial distanceが人と人との関係を変化させるだろうが、情報は空間を超えるのだから、遠く離れていても人とつながることは可能である。
物理的に隔たりがあっても精神的に緊密であることは可能だ。
そこには想像力、イマジネーションが豊かであるかどうかが問われるのだ。
いかに豊かな想像力でわれわれの社会を再構築するか、それが問題だ。
ウイルスにやられっぱなしのわれわれだが、地球という星に住むものという一点でつながれる。
地球の裏側に住む人の暮らしをイメージし暖かい会話を通して励ましあうことは可能だ。
金にまみれた社会からそういった慎ましい社会への転換が起こるのではないか。
それが最後の希望である。

こんなときに聞いているのは
瑠璃色の地球、という歌である。
 井上芳雄が歌っているのが好きだ。



コメント
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