3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

新型コロナウイルスの脅威 8 在宅勤務とTV会議

2020-04-21 11:11:36 | 病気
新型コロナウイルスの脅威は依然として継続しており、われわれの希望的観測に反して、緩和されることはない。
死亡者も決して減ってはいないようである。むしろ、人知れず自宅で亡くなっていたというような変死というケースもあるらしく、そういうケースをいれると死亡者数は格段に上がるといわれている。

イギリスでは高齢者施設でかなり感染が広がってしまって、相当数の高齢者が亡くなっているとのことだが、公式の死亡者数にはカウントされていないと批判が広がっていることが先日報道されていた。もしこれが本当ならイギリスという国はとんでもない国だと思う。
年金生活者や介護が必要な人たちはノーカウントだなんて、生産力があるかないか、労働力として税金を払える人かどうかでトリアージュされるなんて、成熟した社会とはいえない。とはいうものの、医療の現場では、医療崩壊が起きれば、あからさまな年齢差別によるトリアージュは起こるだろうし、現に起こっているかもしれず、ウイルスの脅威は人間の選別にまで及び、ただただいやな感じである。
自粛などどこ吹く風とばかりに、キャバクラにいったりナイトクラブや居酒屋で飲んで騒いで挙句の果てに感染し重症化し入院してきた中年や若者、一方、それまで長年、社会のために身を粉にして働いてきた人が定年後年金生活になってやっと穏やかな老後をと考えていたのに市中感染で感染してしまって重症化してしまった、という場合、どちらを助けるか、となったらどうか。バカやって感染したやつなど助ける必要があるのか?と素朴に思ってしまうのは過激で差別的だろうか。

ポストコロナとかアフターコロナの社会はどうか、という議論が出始めている。
教育は大きくオンライン教育に舵を切ることになり、猫も杓子もオンライン教育の大合唱である。
対面に勝るものはないとはいえ、アフターコロナの時代にあって、コロナとともに生きるわれわれの社会は、もう対面を大切にする、そういうものを中心にした教育は、教育だけでなく、あらゆるサービス業を含め、転換せざるをえない。それはもう諦めるしかない。

それにしても、在宅勤務に変わり、すべての会議がTVとなり、通勤時間がなくなり多くの時間を手に入れたのだが、結局、会議会議の毎日で1分刻みで会議がはいることもあり、目は疲れるしそれなりの疲労感がある。
カメラ目線で部屋を掃除し、書棚を整理整頓し、古い書類をバンバン捨てた。
通勤時間ゼロになり体は楽になったが、在宅時間の長期化は住環境の整備が必須である。
よい住空間、個別空間、気分転換可能な庭、緑の多い公園・・・などがあればよいが、小さな2LDKに家族4人というような場合には、息苦しくて家族関係も悪化しそうである。おまけにTV会議をする人が必ずしも一家に一人というわけではないから、時間差、会議中は家族全員が物音をさせないということになり、ストレスがかかる。
幸い、我が家の場合はすこしは住環境に恵まれているので、在宅時間の長期化もそれほどストレスを感じることはない。それぞれの部屋に入ってしまえば何をしていてもわからない。
連日、救急車の音に沈痛な気持ちになる。
また、救急患者が出たのか。肺炎を起こしているのだろうか。などとあれこれ考えるとさめない悪夢を見続けているような暗い気持ちになるのである。



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