3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

下町ロケットって面白いよね4

2015-11-23 15:59:01 | 日記
ロケットの話から医療機器の話に移っている。
心臓病の人のための弁を作る話。
医学部の教授がでてきて、白い巨塔みたいな話になるのだろうか。

世良まさのりもいつしか医学部教授の役をやるようになったのね。
あんたのバラード歌っていたころから知っているが、年取った世良さん、悪くないけど、吉川のほうが断然いいよね。
役どころとしては。

産業スパイで入手した設計図、山崎のオリジナルなのにねえ。
あのようなケースはありえる話だ。

それにしても、まれがすっかりおばさんで大学生役やっている。
どうしたっていうんだ?
なんか違和感。

リケジョの雰囲気はまったくない。それに慶応の女子としてはださすぎる雰囲気。
佃の娘を無理やりださなくっても話は進んでいくんだから、いらないような気もするが。

小泉の息子もいらないんだが。サヤマ製作所、NASA?ふうーんって感じだ。


技術屋の話に特化してほしい。親子の絆とかあんまりなじまない。

これからまた、帝国重工がやってくるそうだが、吉川がどんな台詞をはくのか、それだけが楽しみである。
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ボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau)の思い出

2015-11-23 11:47:00 | 日記
今年もまたボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau)の日がやってきた。
9月の末に恩師が亡くなった。
就職のとき、お世話になった。
先生はボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau)で祝ってくださった。

あれは、11月の下旬だったのだ。
その頃は若くてわからなかったのだが、質素倹約を旨とする先生の最大の弟子への祝いの気持ちだったのだと今になって思う。
その先生ももういない。
高齢だから仕方ないのではあるが、それでも、だんだん世話になった先生方が鬼籍に入るのはさびしいものである。

昔は先生と学生の間がとても近かった。卒論や就職などの節目にずいぶんお世話になったものである。
今はそういう話は少なくなったようである。

ここまで書いて、11月に先生とワイングラスを傾けた日を思い出して、涙がこぼれてきた。
あの頃の先生は80歳を超えていて、すでにかなりのお年ではあったが、頭脳明晰であった。
その後、次第に記憶に問題が生じるようになり、最後は施設で過ごされていた。

死を悼むだけでなく、時代が変わり人が変わり自らも年を重ねていくというその事実にもののあわれを感じる。

秋雨の午後は物悲しいのである。

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