パリは地獄絵となっている。
日本のメディアはのどかなものである。
相変わらずAKB48ののりで浮かれている日本。でも世界は激しく動いている。
世界史を深く学べばなるまい。過激主義をどう鎮火させることができるかにかかっている。
たたき合うwar gameが無意味であることをお互い知らなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日新聞 2015年11月15日 東京朝刊
パリ同時テロ:過激主義に屈するな=外信部長・小倉孝保
100年前の欧州、中東は第一次世界大戦(1914〜18年)の動乱にあった。この大戦は、英仏両国がドイツへの優位を勝ち取ったと同時に、西洋がオスマン・トルコ帝国を破り、イスラムへの優位を確立した戦いでもある。パリ同時多発テロはこの1世紀にわたるイスラム教徒の屈辱感に、民主化要求運動「アラブの春」以降の中東情勢の変化などが影響して起きた大悲劇といえるだろう。
イスラムでは7世紀以降「カリフ」と呼ばれる指導者がイスラム共同体を指導。オスマン帝国は1922年に崩壊し、イスラム社会はカリフを失った。中東地域の多くが英仏の植民地となり、イスラム教徒に西洋への屈辱感を植え付けた。
第二次世界大戦で英仏両国は米国の支援を受けてナチズムに勝利、その後、共産主義にも勝った。欧米人の多くは民主主義や基本的人権の尊重といった価値の普遍性を信じ、欧米以外の地域も近代化すると欧米同様、世俗的で平和な社会に「進化」すると考えた。しかし、過激なイスラム主義者には西洋のそうした姿勢が価値の押しつけに映り、独善的な西洋を敵と考えた。最大のターゲットとなったのが西洋文明の体現者を自負するフランスだった。
フランスの90年代はイスラム過激主義との戦いだった。92年にアルジェリアで軍事クーデターが発生し、フランスに逃れたイスラム主義者たちの一部は、仏政府がアルジェリア軍を支援していると考え、攻撃の矛先を仏社会に向けた。94年にはエールフランス機をハイジャックし、95年、パリ地下鉄を爆破した。
仏政府は秘密情報・治安活動を強化。パリのイスラム過激派は90年代末、ロンドンに逃れた。しかし、2005年7月のロンドン地下鉄・バス同時多発テロで、英政府が取り締まりを徹底すると、過激派の一部はパリに戻った。
11年に始まる「アラブの春」の欧州への影響も無視できない。シリアやイラクでイスラム過激派が勢力を拡大。最近では過激派組織「イスラム国」(IS)が「国家」を宣言し、バグダディ指導者は自らを「カリフ」と名乗った。一部のイスラム教徒はこれをカリフ制復活と受け止め、ISに栄光のイスラム復興をみた。
こうした1世紀にわたるイスラム教徒の屈辱感と英仏両国の政策やアラブ情勢の変化の中で、1月のシャルリーエブド本社のテロや今回のテロも起きた。ただ、その背景にどれだけ、積もり積もった歴史的屈辱があろうとも、弱者を狙った無差別テロが正当化されるはずはない。私たちはイスラムの歴史への理解を深めながら、テロに毅然(きぜん)として立ち向かう必要がある。
第一次世界大戦で英仏主体の連合国がオスマン帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させたのが1918年11月13日。97年後のその日、パリで同時多発テロは起きた。キリスト文明とイスラム文明の争いの場となってきたトルコでは15日から、主要20カ国・地域首脳会議が開かれ、日本や欧米だけでなくサウジアラビアやインドネシアなどイスラム諸国指導者も参加する。国際社会はこの場を通じ、直面する問題が、「西洋」対「イスラム」にあるのではなく、過激主義に対する文明をかけた戦いであることを確認すべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
過激主義とどうやって折り合いをつけていくのか。
難題である。このまま空爆、テロ、空爆、テロの繰り返しではあまりに多くの血が流されてしまう。
テロリストの根絶、テロ防止のためのあらゆる手段、暴力以外の問題解決の方法を探る必要があり、ここまでこじれてしまってこの先どうしたらよいか途方に暮れるが、人類の叡智が問われているのだろう。
とことん話せばわかりあえると思うのだが、フランスをはじめとする欧米の人間は根本的にタカビーなので、アジア人としては最後のところで差別を受けている感をぬぐえず、イスラムの人々もそうなのかもしれない。そいういうところで過激派が育つのかも。
欧米は優位に立つという意識を捨てて、どこまでも頭を垂れて話し合う姿勢が求められているのかもしれない。
日本のメディアはのどかなものである。
相変わらずAKB48ののりで浮かれている日本。でも世界は激しく動いている。
世界史を深く学べばなるまい。過激主義をどう鎮火させることができるかにかかっている。
たたき合うwar gameが無意味であることをお互い知らなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日新聞 2015年11月15日 東京朝刊
パリ同時テロ:過激主義に屈するな=外信部長・小倉孝保
100年前の欧州、中東は第一次世界大戦(1914〜18年)の動乱にあった。この大戦は、英仏両国がドイツへの優位を勝ち取ったと同時に、西洋がオスマン・トルコ帝国を破り、イスラムへの優位を確立した戦いでもある。パリ同時多発テロはこの1世紀にわたるイスラム教徒の屈辱感に、民主化要求運動「アラブの春」以降の中東情勢の変化などが影響して起きた大悲劇といえるだろう。
イスラムでは7世紀以降「カリフ」と呼ばれる指導者がイスラム共同体を指導。オスマン帝国は1922年に崩壊し、イスラム社会はカリフを失った。中東地域の多くが英仏の植民地となり、イスラム教徒に西洋への屈辱感を植え付けた。
第二次世界大戦で英仏両国は米国の支援を受けてナチズムに勝利、その後、共産主義にも勝った。欧米人の多くは民主主義や基本的人権の尊重といった価値の普遍性を信じ、欧米以外の地域も近代化すると欧米同様、世俗的で平和な社会に「進化」すると考えた。しかし、過激なイスラム主義者には西洋のそうした姿勢が価値の押しつけに映り、独善的な西洋を敵と考えた。最大のターゲットとなったのが西洋文明の体現者を自負するフランスだった。
フランスの90年代はイスラム過激主義との戦いだった。92年にアルジェリアで軍事クーデターが発生し、フランスに逃れたイスラム主義者たちの一部は、仏政府がアルジェリア軍を支援していると考え、攻撃の矛先を仏社会に向けた。94年にはエールフランス機をハイジャックし、95年、パリ地下鉄を爆破した。
仏政府は秘密情報・治安活動を強化。パリのイスラム過激派は90年代末、ロンドンに逃れた。しかし、2005年7月のロンドン地下鉄・バス同時多発テロで、英政府が取り締まりを徹底すると、過激派の一部はパリに戻った。
11年に始まる「アラブの春」の欧州への影響も無視できない。シリアやイラクでイスラム過激派が勢力を拡大。最近では過激派組織「イスラム国」(IS)が「国家」を宣言し、バグダディ指導者は自らを「カリフ」と名乗った。一部のイスラム教徒はこれをカリフ制復活と受け止め、ISに栄光のイスラム復興をみた。
こうした1世紀にわたるイスラム教徒の屈辱感と英仏両国の政策やアラブ情勢の変化の中で、1月のシャルリーエブド本社のテロや今回のテロも起きた。ただ、その背景にどれだけ、積もり積もった歴史的屈辱があろうとも、弱者を狙った無差別テロが正当化されるはずはない。私たちはイスラムの歴史への理解を深めながら、テロに毅然(きぜん)として立ち向かう必要がある。
第一次世界大戦で英仏主体の連合国がオスマン帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させたのが1918年11月13日。97年後のその日、パリで同時多発テロは起きた。キリスト文明とイスラム文明の争いの場となってきたトルコでは15日から、主要20カ国・地域首脳会議が開かれ、日本や欧米だけでなくサウジアラビアやインドネシアなどイスラム諸国指導者も参加する。国際社会はこの場を通じ、直面する問題が、「西洋」対「イスラム」にあるのではなく、過激主義に対する文明をかけた戦いであることを確認すべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
過激主義とどうやって折り合いをつけていくのか。
難題である。このまま空爆、テロ、空爆、テロの繰り返しではあまりに多くの血が流されてしまう。
テロリストの根絶、テロ防止のためのあらゆる手段、暴力以外の問題解決の方法を探る必要があり、ここまでこじれてしまってこの先どうしたらよいか途方に暮れるが、人類の叡智が問われているのだろう。
とことん話せばわかりあえると思うのだが、フランスをはじめとする欧米の人間は根本的にタカビーなので、アジア人としては最後のところで差別を受けている感をぬぐえず、イスラムの人々もそうなのかもしれない。そいういうところで過激派が育つのかも。
欧米は優位に立つという意識を捨てて、どこまでも頭を垂れて話し合う姿勢が求められているのかもしれない。