梅雨に入り、ずっと体調が悪い。
やっとこさ仕事をこなしているにもかかわらず、あれこれ重い仕事がはいり、大変である。
どうも最近思うのだが、ディスカウや吉本隆明の世代が次々とこの世を去って、後継者が問題になる。
この世代から直伝でさまざまなことを教えられた世代というのは、どの世代をさすのかと考える。
昭和18年ぐらいの世代なのだろうか。社会では、この昭和18年ぐらいの世代も次第に中枢から引いていく時期になって、中心から次第に遠のいていくように思えるし、また、巨匠とは一回りぐらい年下なので、巨匠から直伝というより、その時はすでに大人だったので、あまり、直接影響を受けたとはいえない世代かもしれない。
というと巨匠の魂と生き方は、団塊の世代が引き継ぐことになるのだろうか。たしかにそうかもしれない。しかしだ、その世代もまた社会の中枢から引いていくとなると、その次はポスト団塊の世代かと思う。企業は55歳が役職定年だが、役所や大学などは55ぐらいからが本領発揮であるから、ポスト団塊の世代が狙い目かもしれない。これまで、団塊の世代に頭を抑えられ思うように発言できなかったポスト団塊が今、元気だ。大正生まれや昭和ひと桁に可愛がられ直伝世代であるのに、団塊の連中に抑えられていたので、不満がたまっていた。
やっと社会の中枢に出ていけるようになったような感があるがどうであろうか。
ポスト団塊の世代は、たとえば、経済学者でいえば金子勝とか、竹中平蔵はぎりぎりか、ダイオードの中村修二などもその口だろう。
社会学では、吉見 俊哉とか、宮台真司とか、それから高橋哲也とか・・・。
巨匠がすでにどこからみても巨匠になっていて、しかし、そういう人たちから直接、社会を見る方法の手ほどきを受けた最後の世代が、ポスト団塊なのかもしれない。
高度経済成長前の日本を知っている。
わずかに戦争の傷痕も知っている。
戦後の急激な民主化の過程に育ち、そして、バブルとバブル崩壊の日本も知っている。
均等法前を知っている。バックラッシュも知っている。
なによりも日本の高度経済成長の過程を知っている最後の世代として、やるべきこと、言わねばならないことがある。
それがポスト団塊の世代である。
やっとこさ仕事をこなしているにもかかわらず、あれこれ重い仕事がはいり、大変である。
どうも最近思うのだが、ディスカウや吉本隆明の世代が次々とこの世を去って、後継者が問題になる。
この世代から直伝でさまざまなことを教えられた世代というのは、どの世代をさすのかと考える。
昭和18年ぐらいの世代なのだろうか。社会では、この昭和18年ぐらいの世代も次第に中枢から引いていく時期になって、中心から次第に遠のいていくように思えるし、また、巨匠とは一回りぐらい年下なので、巨匠から直伝というより、その時はすでに大人だったので、あまり、直接影響を受けたとはいえない世代かもしれない。
というと巨匠の魂と生き方は、団塊の世代が引き継ぐことになるのだろうか。たしかにそうかもしれない。しかしだ、その世代もまた社会の中枢から引いていくとなると、その次はポスト団塊の世代かと思う。企業は55歳が役職定年だが、役所や大学などは55ぐらいからが本領発揮であるから、ポスト団塊の世代が狙い目かもしれない。これまで、団塊の世代に頭を抑えられ思うように発言できなかったポスト団塊が今、元気だ。大正生まれや昭和ひと桁に可愛がられ直伝世代であるのに、団塊の連中に抑えられていたので、不満がたまっていた。
やっと社会の中枢に出ていけるようになったような感があるがどうであろうか。
ポスト団塊の世代は、たとえば、経済学者でいえば金子勝とか、竹中平蔵はぎりぎりか、ダイオードの中村修二などもその口だろう。
社会学では、吉見 俊哉とか、宮台真司とか、それから高橋哲也とか・・・。
巨匠がすでにどこからみても巨匠になっていて、しかし、そういう人たちから直接、社会を見る方法の手ほどきを受けた最後の世代が、ポスト団塊なのかもしれない。
高度経済成長前の日本を知っている。
わずかに戦争の傷痕も知っている。
戦後の急激な民主化の過程に育ち、そして、バブルとバブル崩壊の日本も知っている。
均等法前を知っている。バックラッシュも知っている。
なによりも日本の高度経済成長の過程を知っている最後の世代として、やるべきこと、言わねばならないことがある。
それがポスト団塊の世代である。