いつものようにサナトリウムで日の光を浴びながら牛乳を飲んでいると、川の長さは地図の上に線を
描いてから机上で測るらしいよ、と話し声が聞こえた気がした。サイン、コサイン、タンジェントか何か
使って山の高さを測るのとずいぶん違うね、と答える声がしたように思えるのは、しかし、夢うつつの
自分の頭の中の声かもしれず、サイン、コサイン、タンジェントが何なのかも自分にはよくわからない
のだった。どこかで見知らぬ誰かが、自分の知らないサイン、コサイン、タンジェントを駆使して地形を
測ったり、道路を通したり、橋梁を作ったり、着実に働いて自分のような者が飲む牛乳をこんな僻地の
サナトリウムに届くようにしてくれているのは、なんとありがたいことだろう。三角関数なんて自分には
関係ないとうそぶいて授業をさぼり、ごろりと横になっていたあの頃も、サイン、コサイン、タンジェント
のおかげで自分の住む都市が築かれていたように、見知らぬ人の営みに支えられて自分はごろ寝が
できていた……おなじようにサナトリウムで横になっている現在も、過去も、未来もそれは変わらない。
まるで喜劇じゃないの、ひとりでいい気になって。ひとつもふたつも曲がり角まちがえて迷い道くねくね
とでもいうのか。一粒の麦がもし死ななければ麦は麦のままだが、死ねば多くの実りをもたらすという
教えがあるけれども、時と場所を得なければ麦は死んでもただ死ぬだけで実りをもたらさないだろう。
人里離れたサナトリウムで毛布にくるまって寒さをこらえながら新鮮な空気を呼吸している自分だって。
いや、何か別のことを考えたほうがいいかもしれない。別のこと……フランスはアメリカと違って映画に
グラマーが出てこない、どうも胸のない女優のほうが人気あるとか、いったい何を考えているのだろう。
これから日本は人口がどんどん減って1億人を下回ることは確実らしいけれど、5年ごとの国勢調査で
人口が1億人を突破したのは1970年だから、「進め1億火の玉だ」も「1億総さんげ」も「1億総白痴化」も
1億人いない時代の掛け声だったと思うと、いなくても元気じゃないか。半分でどうにかなるじゃないか。
人里離れたサナトリウムで毛布にくるまって寒さをこらえながら新鮮な空気を呼吸している自分などは、
考えが堂々巡りするのをどうすることもできないでいる。これが長い夢だったらどんなによいだろうか。
ある晩みた夢の詳しいメモ書きか何かだったら?
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