まだ若くて元気だった頃ひとりでアフリカを旅していると、日本人(または東アジア人)が珍しいのか、
やたら話しかけられました。差別するつもりは毛頭ありませんが、正直なところ黒人の顔の見分けが全然
つかなかったので適当に受け流していると、向こうは二度目、三度目に日本人(か東アジア人)を見かけ
ーRemenber Me?
親しげに声をかけてきますが、もちろん覚えてるわけありません。見分けがついていないのです。みんな
同じに見えるのです。
ーNo!
正直にそう答えると、微妙な表情をしているようにも見えるし、べつに何ともない顔をしているようにも
見えます。民族も文化も違いすぎて、うまく表情を読み取れない部分がありました。そういう人を相手に
戸惑いながら意思の疎通をすることも、まだ若くて元気だった頃はわりと面白かった覚えがあります。
ーWhat is my name?
前に会った時に名前を聞かされたことでもあるのか、こんなことを言ってくる人もいます。覚えていない
のに覚えてるフリをすることもできないので、正直に
ーI don't know!
と笑顔で答えると、妙な顔つきになります。あれ? もしかして、こっちの名前が知りたいのか。いや、
「俺の名前は何だ?」とクイズ出してるのかもしれないから、知らないけど適当に答えちゃえ。
―John.
知ってる英語の名前を言ったら、満足そうに肩を叩いて何か話して立ち去りました。ジョンだったのか。
それとも何でもいいのか。
ーChina?
ーJapan.
―What is my name?
こっちの耳がおかしいのか、your name? ではなく、my name? と言ってるようにしか聞こえません。
あんたの名前なんか知らないよ、と内心で思いながら、ジョンの件もあるので適当に
ーPaul.
と言ってみたら、うなずいて「ここはいいところだろう」とか「なにをしにきたのか」とか「お前のこと
見たことがある」とかなんとか、ひとしきりしゃべって立ち去りました。なんのこっちゃ……それからも、
ときどき「俺の名前は何だ?」と片言の英語で声をかけられて、ミックとかピートとかデイブとか適当に
知ってる英語名前を答えて、お茶を濁してばかりいました。タローとかセブンとかゾフィーとか出まかせ
を織り交ぜながら……
―Taro!
見たことがあるような、ないような人が、どうやら自分を呼んでるようだと気づいたのは2~3日後です。
ほかに日本人がいないから、タローといえば自分のことに違いない……もしやジョンとかポールとかミック
とか、昨日まで何度か声をかけられたのではあるまいか? 自分のことだと思わずに無視したのではないか
と思い至り、これは困ったことになったと気づいても後の祭りです。
―Seven!
ーZoffy!
ーDave!
答えたことがあるかもしれない名前を呼ばれると、それが自分のことかどうか確かめるために振り向いたり
微笑んだり、自分のような自分じゃないような態度をせざるをえません。身に覚えのない名前でも、一応は
反応しながら何日かそこで過ごしていたら、だんだん自分が何者なのか、本当の名前はジョンなのかタロー
なのかポールなのかゾフィーなのか、マイケルなのかサモハンなのか、わからなくなってきました。以来、
ずっとです。自分が何者か判然としないまま何となく毎日を過ごしています。
関連記事: 茶碗むし