サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

続・生きるか死ぬか

2024年02月28日 | サカタだよ

正月の震災と原発の事故で公的な救助が後手に回って、被災者が放置されているのを見たら恐ろしくなり、防災装備をひとしきり整えた1月初旬のことです。安くて軽量コンパクトな固形燃料をバックパックで常に持ち歩くと、引火のリスクが否めないので、対策として小型のガス缶とバーナーをアウトドア用品の店で買いました。

それらがスッポリと収まるクッカー(鍋と食器を兼ねる)も買い求めてバックパックに詰め込みました。山歩きには不要と思って買い控えた装備さえ、生きるか死ぬかの避難用グッズとしては必要に思えたのです。冷静でなくなっていたのでしょう。正月の初売りでアウトドア用品を調達する行為は、生きるか死ぬかというより余暇の遊びみたいだなと自分でも思いました。

バーナーを折り畳んでガス缶といっしょにクッカーの中にしまったら、こんなふうになります。ちょっとうれしいような気持ちにならないこともありません。お湯を沸かしてアルファ米のパック(軽いので何袋か携行してる)に注げば、付属のスプーンでパックから直に食べられるので、当面はクッカーを洗う必要がありません。

ある程度の水はいつも持っておくように心がけるとして、大量には持ち運べないから浄水ボトルをバックパックに忍ばせておきます。これも山歩きのときは買うのを躊躇したのに、生きるか死ぬかの妄想をしている最中であれば出費を惜しまず買います。仮想敵国の脅威を煽って自ら疑心暗鬼になり、軍備に血税を湯水のように注ぐ為政者の心理と、ほとんど選ぶところありません

浄水ボトルは空っぽで持ち歩くため、非常食をいくつか中に詰めて携行します。この浄水ボトルでいざ生水などを濾過したら、使わないときフィルターを48時間以上かけて乾燥させておく必要があるので日頃なるべく濡らしません。ガスとクッカーの装備一式と浄水ボトルで計2万円あまりの出費でした。どちらも少々かさばるけど、容量20リットルのバックパックの中に隠し持つことが可能です。

大体こんなふうになります。サイドポケットの片方にミネラルウォーター、もう片方にお茶などを入れて、ちょっと重くても生きるか死ぬかの瀬戸際だからと思いなし、通勤や散歩や買い物などに常時かついで行きます。初めは容量25リットルのバックパックだったんですが、持ち歩くには小さいほうが適していると思い、先月から試行錯誤しています。

試行錯誤しながらTwitter(あまりXとは呼びたくない)でつぶやいたこと、青い文字でいくつか引用してみます。

街で持ち歩いてもバレない程度の防災グッズでも重量がそれなりに増したからバックパックを前に回してモノを出し入れする動作で体力を削がれる……対策として、出し入れする頻度が高いモノを小さいポーチに移して前に下げることにしたよ(手ぶらで出歩く機会/リスクも減るしね)

職場のデスクの引き出しに10年くらい入れっぱなしだったポーチを使って、ちょっと外出するとき手ぶらで出かけない用心をすることに決めました。メーカーのサイトで調べると、このポーチもともとアウトドアで着るアウターのポケットにヒントを得て作られたそうです。薄着でもポケット1個ぐらい追加すると思って……。

災害さえ起きなければポーチで出歩いても平気なんだよね、バックパックに防災装備を入れてあっても置いたまま行動する機会がどうしても出てきて手ぶらじゃさすがに難儀すると思ったもんで自宅以外では肩かけしてるよ

手帳と財布と家のカギくらいです。この程度なら肌身離さずベストのポケットとかに入れてもいいんだけど(上着は脱ぐから適さない)、毎日同じベスト着用して釣り人に見えるよりか同じポーチのほうが滑稽味へるかなと。ただ、ブラブラ煩わしく感じることがあり、ポケットの多いベストも冬用・夏用・春秋用と揃えています。

防災装備を持ち歩いてるうちにバーナーよりツェルトのほうが先決のような気がして、アルファ米は水でも戻せるのでバックパックからバーナーのセットを出して代わりにツェルト押し込んだよ

ああでもない、こうでもない。いざというときしか使わないものを取っ替え引っ換えパッキングして、あたりまえのような顔で日常の持ち物としています。家にはテントや寝袋を詰めたメインの防災バッグがあり、上記は携帯用ですが、いずれにせよ被災したとき使える状況とは限らない。一切無駄な努力かもしれません。

※これは1月下旬に書いて予約投稿しておいたブログですが、公開日の2月末までに災害が起きていたりしませんように……

 

後日談

冬装備から春装備に切り替えたら携行品がさらに軽量コンパクトになって、容量15リットルの小ぶりなバックパックで持ち歩き可能になりました。3シーズンこれで大丈夫そうです。昔話の類を読むと冬でも軽装の人が日が暮れて無人のお堂や廃屋のようなところに宿る場面がよくあるので、そんなふうに冬場もこれぐらいの装備でなるべく遠くまで自力で避難したほうが、あてにならない救助を待ちぼうけるよりいいかも?

 

関連記事:   生きるか死ぬか 

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生きるか死ぬか

2024年02月14日 | サカタだよ

元日に石川県の能登を中心に震災が起こり、被災者の保護も救援も当日はおろか生存率がぐんと下がる72時間たっても明らかに不十分なのを見ながら「これはヤバイ」と思ったのは自分だけではないはずです。運よく避難所に逃げ込んでも、凍てつく体育館で雑魚寝して4日も食料が手に入らないとか、納税してるのにあり得ない。

日本と同じ地震国イタリアの避難所と比べて、日本の避難所はいつになっても粗末なまま。過去最高の税収を記録したと昨年ニュースになっていたのに、どうして日本はいつまでも被災者の支援をケチるんだろうか。基本的人権がない憲法に改悪しようと意気込んでるのと、何か関係あるのかな?

とりあえず自宅にある安テントぐらい、いつでも持ち出せる用意をしておくに越したことはない。体育館なんかに収容されずに自力で野山に避難するか、あるいは体育館でプライバシー確保のためテントを張るか。頭のかたい木端役人が見咎めて「テントを張るな」とか嫌がらせを言うかもしれないから、一応ツェルトも持参しよう。

ツェルトはコンパクトだから、ついでに携行できるし、テントのように張らなくても大判のエマージェンシーシートとして頭からかぶり、くるまることができる。テントより実用的かもしれない。体育館に逃げ込む前提なら、テントは防災バッグから除いてもいい。そのほうが装備の軽量コンパクト化を図れる。しかし、野宿が続く場合にはツェルトよりテントのほうがいい。

ツェルトはこのようにアルミ箔してあるので身にまとってもいいし、体育館で雑魚寝する際にプライバシーを確保する間仕切りとして使える。他に寝袋やマット、最低限の着替え(圧縮袋)や非常食、水、ソロキャンプ用のバーナーとクッカー、といったアウトドア装備をすぐ持ち出して避難できるように荷造りして部屋にいつも転がしておこう。いざとなれば背負って逃げるんだ。

そんなことを思いつつ正月に古着屋をのぞいたら、ドイターのフーチュラというバックパックの名品がわずか4000円で吊るしてあった。容量40リットル+10(上に伸ばせば容量50リットル)……災害時の避難にちょうどいい。平時はそのままキャンプや山歩きに使えるし、と思って4000円はたいて購入した。防災バッグ(兼お泊まり山行セット)として荷造りした。これでよし、と一度は思った。

それまでの自分は、荷物は小さいほうが正しいと信じていたから、泊まりがけのときもバックパックは容量15リットル(写真)か、せいぜい20リットルにとどめるよう心がけていた。寝具さえ持参しなければ、デイパックに着替えぐらい詰め込めるし、炊事道具などを持ち歩くにしても容量25リットルあれば足りる。

もしもバックパックがぎゅうぎゅうになる場合は、貴重品袋にしてる容量3リットルのポーチをバックパックから取り出して、体の前に斜めがけすれば大抵それで何とかなるし、散歩や買い物ぐらいならポーチだけ持って身軽に行動することが多かった。しかし、救援物資がなかなか来ない被災地のありさまを見たり、ボランティアは行くな来るなとミスリードする人たちを見てると、さすがに・・・。

ポーチにカラビナホルダーつけてペットボトルのお茶をぶら下げて出歩いているとき被災したら、困窮すること確定。なるべく防災バッグ(兼お泊まり山行セット)を常に身につけて行動したい。災害大国に暮らす以上、そして公助が期待できない以上、それくらいの自助はしておかないと。共助するには力不足でも、せめて自助くらいは心がけたい。だがしかし、ちょっと困ったことがある。

こんな大荷物(40リットル+10)は、冷静になってみると、いつも身につけて歩くにはやっぱり大きすぎるし、それなりに重たい。山行や観光ならまだしも、買い物や通勤には明らかに不向きだから、当然の帰結として自宅に置き去りにする場面が出てくる。そんなとき、被災したらどうするのか? 実際、能登の地震を知ったのは初詣にポーチひとつで出かけてるときだし、東日本大震災のときも職場にいた。

だから、装備をパーフェクトに近づけて自宅に置いておくよりも、勤務先や出先にも携行できるミニマムな防災用品をせいぜいデイパックに収まる程度にまとめ、「なくてもいいけどあると重宝なもの」はサブバッグに入れて自宅に備えておく。たまたま在宅中に地震などが起きたらデイパックとサブバッグをどっちも持ち出せばいいし、外出中に被災したらデイパックだけで済ませる。

テントもツェルトもシュラフもマットもかさばるし常に持ち歩くには不向きだから、すべてサブバッグ(大きめのショルダー)に入れておき、普段のデイパックには代用品としてエマージェンシーシートを2枚と折り畳みクッション(どちらも小さくて軽い)を忍ばせる。非常食は賞味期限の長いアルファ米を中心に、エナジーバーなどは空の浄水ボトルに詰めて持ち運ぶ。バーナーとクッカーはデイパックに・・・。

などと振り分けて、容量20〜25リットル程度のデイパックを通勤時や外出時に基本いつも持ち歩く。やっぱりテントはあきらめて、それ以外の寝具や衣類、余分の食料や防災ラジオ(手回し発電が可能で充電器としても使える)、小型ソーラー充電器など「なし」でも済ませられる装備はショルダーバッグに移して部屋に転がしておく。これだけ備えておけば、反対に、あっけなく頓死できるかも。

それもまた運命。

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老女優だよ

2024年02月01日 | サカタだよ

心のスイッチが切り替わると、ぼくは老女優になる。舞台で脚光を浴び、芝居に魂を込めるのは正直なところ、千客の喝采が欲しいから……ではない。客席のどこか隅の方や、あるいはチケットが安い桟敷席などにいるかもしれない、見る目のある観客がわたしの細やかな演技をすべて受けとめてくれてる。そう信じるから怠りなく、全身全霊で演じる。老女優とは、そういうもの。

万来のお客さんの中に1人でも具眼者がいるかも。そう思えばこそ慢心せずに、昨日より今日、今日より明日と、齢を重ねて日々なお最高の輝きを放つ。そうでなければ老女優は舞台を降りる。わたしがカーテンコールで正面のお客さん、右のお客さん、左のお客さん、後方のお客さん……あますところなく深々とお辞儀するのは、どこに理解者がいても感謝の気持ちが伝わるように。

老女優は新聞も読むしテレビもラジオもネットも見聞きする。メディアの評判をいまさら気にしても仕方ないのだけれど。ついでながら目に入る、要人の発言やそれらに言及するコメントは迎合ばかり。できるだけ多くの人を取り込もうと安い芝居をして恥じない。どこかで見識のある人が笑ってるというのに、三文役者やその取り巻きは気にならないのかしら。わたしなら耐えられない。

老女優は街を歩いても目立たない。誰にも老女優だとバレない。常にオーラとやらを発して面が割れるのはスイッチのON/OFFができない下等な部類よ。近頃は評判の店となると、たいしたことがない食べ物を求める人で長蛇の列ができる。あれは店のほうでも行列ができるように演出してるのね。味のわからない客を並ばせて、味のわかる客を遠ざけることに何か意味があるのかしら?

観客はわたしに多くのことを教えてくれる。わたしがつまらない演技をすれば、観客はいなくなってしまう……駆け出しの頃はそんなふうに考えたこともあるけど間違いだった。要人の発言や取り巻きのコメントや行列のできる店の食べ物と同じことで、つまらないものを出したほうが良し悪しの分からない客は喜ぶ。本当のものを出して喜ぶのはごく稀にいる、控えめなお客さん。

 

心のスイッチが切り替わると、ぼくは老女優ではなくなり、どこにでもいるただの人に戻る。

 

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