人は同じ飲食店に二度と足を踏み入れることができない、といいます。誰がいうのかといえば、それはほかでもありません。古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉「人は同じ川の流れに二度、足を踏み入れることができない」を少し変えてサカタがよく口にする言葉です。永遠に万物は流転するから一期一会なのです。
新規オープンの飲食店はオーナーが力を入れるので、隅から隅まで細やかな配慮が行き届くケースが少なくありません。オーナー自身が厨房で腕を振るうこともあれば、オーナーはフロアの采配に徹して厨房に信頼する料理人を配置することもあります。それがどうでしょう! 店が軌道に乗ってしばらくするとオーナーが店にいなくなり厨房もフロアも外国人か短期バイト任せになりがち。質が落ちます。
とあるラーメン店はオープンしたとき雑誌で取材したらオーナーシェフ(とラーメン店でも称するのかどうか未詳)が陣頭指揮を取り、それはもう完璧なホスピタリティで近隣のラーメン店に差をつけていたのですが、10年経った現在はオーナーシェフの姿がどこにもない。2〜3日にいっぺんぐらい万事チェックしてほしいものだけど、それも怪しい。
食券の自販機に「新五百円玉はご使用できません」と手書きの拙いメモが硬貨投入口のすぐ上に貼ってあった。それはマシンの仕様だから文句ないとして、新五百円玉を百円玉5枚か従来の五百円玉に両替してもらおうとしたら外国人労働者に断られた。正式な通貨なのだから両替には応じてもらわないと……。
ああそうか、オーナーシェフが外国人労働者による現金の持ち去りを警戒してるのかと思ったら「一万円札や五千円札の両替はできます。五百円はできない」と外国人がすまなそうに片言の日本語で答えてくれた。じゃあ千円札が少なくとも十枚は両替用に用意してあるわけだから、新五百円玉を崩すなり旧五百円玉と交換する用意ぐらいしてあってもいいじゃん! 怠慢だな。
とあるイタリアンの店は生パスタがおいしいので個人的に何年も通っていたのだが、ビルの改装工事とかで2か月ほど休業していた。改装が終わったので行ってみると、元々とまったく同じインテリア。どこを変えたのか不明だけど、店のスタッフは明らかに総入れ替えされて接客がおどおど、ギクシャうしている。居心地よくない。
それでも生パスタの味があまり落ちてないから、まあいいか。注文なかなか取りにきてくれないし、運んでくるとき愛想よくない(奉行所の小役人みたいだ)けど……と思いつつ生パスタ食べてたら、先ほどお会計してもらって料金を払って出て行った客が戻ってきた。「マスクを忘れたんですけど、ありますか?」
「少々お待ちください」と奥へ確認しに行った、ぎこちない男のバイトに事情を聞いた女のバイトが出てきたので何を言うかと思ったら「捨てちゃいました」と悪びれず口にして、破顔一笑した。いまのやりとり一体どこに笑う要素があったのか、理解ができずゾッとした。消耗品だから客も「そうですか」と一応納得したけど、従業員がどうして笑ったのか腑に落ちない顔してた。あの客たぶん、もう来ないんじゃないかな。
たいしたマスクじゃないからといって、お客さんの忘れものに気づいたら追いかけて渡すか、間に合わなければ奥で一時保管するのが鉄則なのに、気づかないで捨てたのか「不衛生」と思って捨てたのか説明がないから判別できない。改装前のスタッフは感じのいい人ばかりで、気持ちいいから何年も通ってたのに、わずか2か月ほどの休業の間に感じの悪い店になってしまった。
これに似たことが最近よくあり、生き残ってる店は変わり果てるし廃業する店も多いので、どこにも居場所がなくなりつつあるように感じてしまう。人は同じ飲食店に二度と足を踏み入れることができない、なぜなら永遠に万物は流転する……そんな思いを強くせざるを得ない、昨今のありさまをメモしました。
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