あちらのお客様からです……と、確かに聞いたのでそちらを見ても、じゅん菜をわたしに振る舞うお客さまなど影も形もなかった。自分自身で注文したじゅん菜ちゅるりんぱ。
あんな場所でどうして正座を? と驚いたので近寄って写真を撮ってみたら正座じゃなかった。ペンギンがたまごを温めるように脚をたたんでしゃがんでいるのだが、たまごはもちろんなかった。
トータルの運が下がりそうだからクジの類はハズレを引くように心がけてるのに2等が当たってしまった。ところがレジで引き換えるのを忘れてアタリが無駄になった。しめしめ、これで運気がパワーアップしたぞと内心ほくそ笑んでも、そんんなパワーアップなかった。
ヨーロッパってどこにあるのかと空飛ぶ機体に問いかけても、やっぱり答えは返ってこない。それもそのはず、あれはヨーロッパ行きじゃなく釧路行きだった。
ぐったりうなだれた女性(だと思う)は体調がとても悪そうだから新型コロナウイルスの厄介な変異株かサル痘かなにかのキャリアーかもしれない……キャメラを止めるな!みたいにゾンビ化してたら困ったな、とか思ったけどゾンビでも感染者でもなかった。上げた顔はたんなる飲み過ぎの酔っぱらいだった。
どうということもないコーンスープのようだが、よくみると人を象った陰陽道の呪いが!? しかしそんな呪いはなかった。飛行機のかたちの具だった。
練習(なんのや)のために寝具と雨具と防寒具と肌着と非常食と細々としたツールをバックパックに詰めてみた。街なら1週間か10日分の荷物が入るバッグパックが山だと1泊か2泊でパンパンになる。しかも携行したところで練習(なんのや)では寝具も雨具も防寒具もまったく使う機会なかった。
猛暑が続くと熱いモツ鍋が食べたくなるのは博多っ子やけん仕方なかとよ、うまかっちゃん! と出るはずのない博多弁ひねり出しても博多に住んだことなど一度もなかった。外は36度あった。
新交通ゆりかもめが開通したころ、お台場もいずれ高層ビルが建ち並び良くも悪くも新宿のように猥雑な街に近い将来なるだろうと思われたのに、そんな将来なかった。20年以上ずっと空き地だらけのままだった。
あの店で焼き魚の定食を食べようと思って訪ねた店はもうなかった。何か所もあった行きつけの店は東京で2度目のオリンピックが招致されることに決まった2013年頃からアベノミクスをへて自民党のおかげで全部なくなった。
「もう誰のことも、信じられない」……女王蜂の聖戦を気に入ってカラオケで練習したのにコロナ禍のせいもあって人前で歌うチャンスがなかった。Official髭男ディズムとか他にもカラオケ用に覚えた曲を全部すっかり忘れた。
スラックラインもしばらく練習しなかったのでコツを忘れた。と思ったけどコツなんか覚えたこともなかった。
「いい女にはForever、夏がまた来る」という歌がForever、夏が来るたび繰り返されるけどそれらしい夏などなかった。よく考えたらいい女じゃなかった。男だった。
どこへいったってろくなことがないからうちで庭を眺めながらコーヒー飲むぐらいしか楽しみがない……とボヤいたところで、うちには庭などなかった。結局なんの楽しみもないのだった。
さようなら! あなたが旅立つ船に手を振ったけど、しばらくしたら船が戻ってきた。遊覧船だった。別れもなければ、あなたもいなかった。
たまにしか行かないけど20年ぐらい通ってるインド料理店が、ときどきマサラチャイの分を値引きして会計してくれるので何だか申しわけない思いが募り、今日はマサラチャイを注文するかどうか迷ったけど結局は飲んで帰るときレジに立つインド人青年が新顔だったのでそんな値引きなかった。
視力2.0以上あることを隠して普通の人として暮らしているので、遠くから手を振られても気づかぬふりをしないと能力がバレてしまうのに「ご搭乗ありがとうございます」なんて書いてあるからもう少しで手を振り返しそうになった。けど振らなかった。
コーヒーは普段ホットしか飲まないけど売店などで味があまり期待できないときはアイスコーヒーを飲むこともあって、そういう場合はハードル下がってるから美味しいんじゃないかと思わなくもないのに、わずかな希望のせいか美味しくも何ともなかった。幸せって加減が難しかった。
廃れゆく喫茶店で、廃れゆくクリームあんみつを食べる自分も廃れゆくさだめと観じてから幾年月。あの店もあの店のクリームあんみつも廃れたのに、あの店でクリームあんみつ食べた自分はまだ廃れてなかった。
かつての記憶がだんだん摩耗していくにつれて大切な何かが失われてしまうように思えてならないが、しかし大切な何かなどなかった。
ぼくのせいで甲子園に行けなかったあの夏のことを思い出しそうになったけど、そんな夏なかった。
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