サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

映画三昧

2022年12月31日 | サカタだよ

今年、最後に観た映画はこの2本です。お正月から大みそかまで数えてみたら、ちゃんとお金を払ってスクリーンで225本の映画を鑑賞しました。もしかしたら集計ミスしてるかもしれませんが、それでも220本から230本ぐらい観たはずです。疲れたので来年はセーブしようかと思っています。

2020年と2021年は新型コロナウイルス感染症対策で、映画館が営業自粛を要請されたので、なかなかスクリーンで映画を観る機会がありませんでした。2022年に関しては、パンデミックの第7波がきても第8波がきても自粛も時短も要請されなくなったので、昨年と一昨年の分まで映画館に足を運んだ感じです。220本から230本を3年で割ると、コンスタントに1年間で映画館へ身を寄せる回数として「ちょうどそれぐらいかもな」と思わなくもありません。週1から週2ですね。

週1から週2ぐらいなら封切りで観たい作品がいつも大体ありますが、それ以上になると時期によっては「興味のある封切り映画がない」という事態に陥りがちです。そこで今年は名画座で旧作の二本立てをかつてないほど多く観ました。早稲田松竹とか、飯田橋ギンレイホールとか、目黒シネマとか、そういうところです。封切りと違って、一定の評価を得た作品ばかり選りすぐって上映するのでハズレが少ないのと料金が割安なのが名画座のいいところです。雰囲気もよくて、不思議に落ち着きます。

そんな名画座のひとつ、飯田橋ギンレイホールが今年11月に営業を終了しました。移転先を探しているという話ですが、もし見つかったとしても規模が小さくなって、独特の雰囲気は薄まるのではないかと思っています。名画座だけじゃなくて、渋谷のTOEIなども廃業というか閉館しましたね。新型コロナウイルス感染症による自粛要請の嵐が去っても、映画館にお客さんが戻っていないようです。年間225本ぐらい鑑賞してるサカタのような物好きは例外で、シネコンに足を運んでも自分以外のお客さんが1人しかいなかったり、2人しかいなかったり、誰もいなくて貸し切り上映だったりすることが結構あります。レイトショーなんか1人で観てると異界をさまよう感じがして怖いです。

なんか名画座メインでたまにシネコンひやかす人みたいな書きっぷりっぽいですが、現実は真逆で圧倒的にシネコンに行く機会のほうが多いです。年間225本ぐらいのうち大半はシネコンで新作を観たはず。そうなると映画の見方よりも予告編の見方が変わりますね。予告編を見る回数が増える → 予告編が焼き付いた状態で本編を観る → 予告編と本編の比較でケーススタディーが蓄積される → 予告編で本編が自分向きか判断する精度が上がる → 宣伝予算にかかわらず自分が興味ありそうな映画は観るし、どんな話題作でも自分に関係ないと思ったら観ない。そういう見切りが達者になります。

だから製作費がものすごくても出演者やスタッフが豪華でも、興行成績がよくて多くの人が面白がっても、自分向きじゃない作品は迷わずパスします。最近だとすぐ思い浮かぶのは『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』とか、『アバター:ウェイ・オブ・ザ・ウォーター』とか、『THE FIRST SLAM DUNK』とか、『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』とか、公開終了と同時に忘れそうなものを宣伝につられて観ることが以前より減りました。来年は、観る本数を減らしても問題ないはず。例年ならここで、個人的に面白かった映画を列挙するところですが、下半期だけでも本数が多くて挙げきれないので上半期のリンクを貼って終わりにします。

 

関連記事:  原稿を待ちながら (上半期の映画話)

 

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吉野家

2022年12月21日 | サカタだよ

ときどき吉野家で朝ごはんを食べる。朝4時から11時まで「朝牛」と称するお得なセットがあるようなのを、店先の告知で見て入ったのが最初だった。コスパだけなら牛丼小盛がベストなんだろうけど、メニューをよく見て「アタマの大盛」(たぶんごはん普通盛で肉と玉ねぎのアタマだけ増量してあるやつ)を頼むことが多い。そして小鉢は生卵か温泉卵にする。肉と玉ねぎのアタマだけ何口か味わい、ごはんを少し食べて、残りの牛丼に卵と醤油をといて入れ、卵かけ牛丼っぽい混ぜごはんにして食べるのが定番だった。それもいまや、過去の幻になった。

ある朝のこと、牛丼に飽きたのでメニューをさらによく見て「納豆牛小鉢定食」なるものを所望してみた。朝牛セットのアタマの大盛より安いのに品数が多い。牛小鉢(アタマ少々)がついて、納豆とごはんとみそ汁のみならずサラダまでセットになっている。お得なのではないだろうか。牛小鉢とサラダを交互に食べて前戯を終えたところで、おもむろに納豆をかきまぜタレとからしを加えて、ごはんとみそ汁と共に「三角食べ(学校給食スタイル)」を行なう。はじめはそうしていた。やがて、牛小鉢とサラダの前戯のあと本番として納豆もごはんもみそ汁も一緒くたに混ぜて猫飯にすることが増えた。吉野家は(サカタが朝に寄る店舗は)みそ汁が熱すぎるので、納豆とごはんで温度を慣らしたほうが食べやすい。

朝の吉野家には夜通し飲んだ朝帰りの酔客などもいて、生ビール、冷酒、ハイボールの注文が通る機会も少なくない。それはべつに不思議じゃないけど、これから出勤しそうなサラリーマン風の中高年が「朝牛セットをアタマの大盛で、小鉢は生卵。それと生ビールをください」などと律儀に注文してアタマをツマミに生ビールをあおり、それから卵かけ牛丼かっこむ姿など見ると、まるで自分が会社に行く前に飲酒行動してるようでドキドキする。まじめそうな窓際族そうなおじさん(年下かもしれない)どういうわけで生ビールを? もしや毎日そんなことを?

そうかと思えば、牛すき鍋膳とかいう比較的に豪華なメニューを朝から頼んで、1日3食は食べてなさそうな貧しそうな若い人(といっても30代の後半かもしれない)が、鍋膳のごはん大盛とおかわりが無料なのをいいことに、あれよあれよと大盛ごはん3杯かっこんで、「ごはんがおかずで牛すきがごはん」みたいな逆転の嵐が吹きすさぶのを見かけるのも、吉野家の醍醐味といえば醍醐味である。ちなみに醍醐とは古代に大陸から伝わった乳発酵食で、いまの言葉にするとチーズだから醍醐味はチーズ味ということになる。もちろんここでいう醍醐味は慣用句なのでチーズ味ではない。蛇足ですみません。大陸の人が牛すき鍋膳を注文して「つゆだく」と指示を出し、店の人から「鍋はつゆだくできないんですよ」と諭されたのも見たことある。

朝じゃないけど、鰻重みそ汁牛小鉢セットを奮発したことも一度あるし、肉だく牛カレーをいただいたこともある。しかしやっぱり、現在のところ朝メニューの納豆牛小鉢定食がマイフェイバリット吉野家メニューだろう。田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢、生娘のうちに牛丼中毒にする「生娘シャブ漬け戦略」が批判の的になりマーケターとしても有名な常務取締役が解任された出来事は記憶に新しいけど、お子様セットもあるし、子供から中高年まで虜にしようという姿勢がむしろ頼もしい。マクドナルドが子供をオモチャで引きつけて虜にしようとしているのに比べると、まだしもではないだろうか? 食育の仮面の下に銭ゲバがある資本主義の社会において素顔で銭ゲバを論じた役員の舌禍を思い出しつつ、ときどき吉野家で朝ごはんを食べるサカタなども朝のシャブ漬け戦略にハマっているっぽい。

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花々9

2022年12月14日 | サカタだよ

なんの花かと遠くから気づいて近くまで確かめにいくと実だったりするので花というのは鳥とか虫とか獣をだます器官として進化したのではと思わなくもありません。花も実も生殖のためにあるので、目的は同じだから。

 
 


なんの花かと画像検索したらイワギキョウかヤマトリカブトかなんかだった。
 
「物」だけで「もの」を考える時代は終わった。 これからは「心」と「意識」を考えたものづくりの時代だと井深大(SONY)はかつて檄を飛ばしたけど、その後この日本はどんどん衰退して何かをちゃんと考える時代はとっくに終わったとイワギキョウかヤマトリカブトかなんか見ながらぼくは思うんだ。(2022年10月3日)
 
 


なんの花かと画像検索したらカブラテングタケだった。
 
学校の勉強を普通にやってれば特技がなくても普通に就職して年功序列が完全に崩壊する前に会社勤めを終了する世代だったのは自分みたいな勉強好きには仕合わせだったと言えるけど、次の世代はそういうわけにいかない社会をもう現実に生きてるので経験に基づいた適切な助言なんか一切できないってカブラテングタケ見てるとぼくは思うんだ。もっとも、年金制度は受給する前に崩壊してるから過去の世代に比べて今後も世の中が悪くなる一方なのは明らかだし、五公五民を通り越して六公四民になろうとしてるので怒ったほうがいいとは言えそう。(10月6日
 
 


なんの花かと画像検索したらツノマタタケだった。
 
「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」の時代は過ぎ去り「一般人は生きるも死ぬも自己責任」の時代になったとぼくはツノマタタケ見てると思うんだ。(10月9日)
 
 


なんの花かと画像検索したらスギヒラタケだった。
 
四季のある日本に生まれた日本人でよかったと逆上してる人がよくいるけど冷静になればもう何年も前から日本には夏と冬があるだけで四季はとっくに終了したとぼくはスギヒラタケ見てると思うんだ。(10月11日)
 
 


なんの花かと画像検索したらコチョウランだった。
 
日本の基幹産業が製造業じゃなくて中抜きとピンハネになったときから先細りこそすれ成長はありえないってぼくはコチョウラン見てると思うんだ。(10月12日)
 
 


なんの花かと画像検索したらケイトウだった。
 
お偉いさんたちはどうして一般の人々が嫌がることばかりするのかってケイトウ見てるとぼくは不思議に思うんだ。(10月14日)
 
 


なんの花かと画像検索したらイヌサフランだった。
 
天国は一人一人の心の中にあるのにどうして献金や統一が必要なのかってぼくはイヌサフラン見てると思うんだ。(10月17日)
 
 


なんの花かと画像検索したらタマスダレだった。
 
偉大なる安倍晋三先生のおかげで日本の国教がなんとか統一家庭連合(旧統一教会)になりかけてたことにあの銃弾でやっと誰もが気づいたから、7月8日はカルト記念日ってタマスダレ見てるとぼくは思うんだ。(10月20日)
 
 


なんの花かと画像検索したら真鯛とサーモンと鯵の刺身だった。
 
Cocoaでさえ中抜きのやりすぎでまともに機能させられなかったのに突破力とかデジタル化と称してマイナカードとやらに健康保険証と運転免許証を一本化したら重大なトラブルが必ず起きて取り返しつかなくなるとぼくは真鯛とサーモンと鯵の刺身を見てると思うんだ。(10月21日)
 
 


なんの花かと画像検索したらスイフヨウだった。
 
軍備の予算を2倍にすると主権者に断りもなくアメリカの大統領に約束した埋め合わせに医療費の補償を解体し、年金を吸い上げるばかりに改定し、退職金にも課税し、消費税率を限界まで高めたとしても中抜き体質だから国防力はそれほど上がらず貧弱なまま衰亡するだけだろうとスイフヨウ見ながらぼくは思うんだ。(10月24日)
 
 


なんの花かと画像検索したらキクだった。
 
統一教会なんか即座に排除できないと国として終わりだと思うけど自民党政府には無理みたいだから自民党ごと排除できなきゃ国として終わりだってキク見てるとぼくは呆れるんだ。(10月27日)
 
 


なんの花かと画像検索したらフクジンソウだった。
 
ハロウィンはろくなことがないんだとぼくはフクジンソウ見てると思うんだ。(10月31日
 
 


なんの花かと画像検索したらミヤコワスレだった。
 
すでに令和史に残る勢いの事件や疑獄や不祥事や不審事がいくつも起きてるのに同時代の人たちが無自覚無関心なので、こんなものかとミヤコワスレ眺めながらぼくは思うんだ。(11月4日)
 
 
 
なんの花かと画像検索したらマツカゼソウだった。

これまで何度も繰り返されたように間違いだらけの無謬主義のおかげで何の罪もない人たちがまた数多く殺されるってマツカゼソウ見てるとぼくは思うんだ。
 
 


なんの花かと画像検索したらシオンだった。
 
日本は無宗教だなんて脳天気なこといってるうちにカルト宗教にがんじがらめにされちゃって身動きも取れないとシオン見てぼくは瞑想するんだ。(11月11日)
 
 


なんの花かと画像検索したらメランポジウムだった。
 
コンビニの店員さんとか飲食店のバイトさんとか介護職の人とか工場の労働者とか外国人に頼りきりだから日本はとっくの昔に多民族国家になってると外来種のメランポジウム見ながらぼくは思うんだ。(11月14日)
 
 


なんの花かと画像検索したらマムシグサの実だった。
 
国がチグハグなことばかりするのは首尾一貫するよりチグハグなほうが中抜きと環流の機会が増えるからなのでチグハグは永遠に不滅だとマムシグサの実を見るとぼくは思うんだ。(11月22日)
 
 


なんの花かと画像検索したらノゲイトウだった。
 
国を守る気がないから防衛力を増強するんだ。そうやって人心を失えば国は滅びる道理だけど目先の金だけは徴収して国外の商人に献上し、売国奴のお友達らが一時の保身とおこぼれの利益に預かれるからだとノゲイトウ眺めてぼくは思うんだ。(11月25日)
 
 


なんの花かと画像検索したらセキチクとビデンスだった。
 
あのとき膿を出して償わなかったから命を落として蛆がわき出したのが2022年のまとめだってセキチクとビデンス見ながらぼくは思うんだ。(12月1日)
 
 
関連記事:    花々8
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幸せの残滓

2022年12月01日 | サカタだよ

2022年もやはり、2021年や2020年と同様ろくなことがなかった(さらに悪いことばかり起きた)もんだから、7月の終わりごろ「このままじゃ世の中ヤバイのでは?」と感じ、せめて個人的に少しでもいいことや幸せを感じることがあれば、どんな些末な事柄でもメモしておこう。そうすれば、悪いことばかりでも時々いいことがあったように錯覚できるかも……と思って、心に残ったことを書き溜めてみました。4か月でこれだけです。

 

新島々駅(へんな名前)から乗ったバスみたいな電車の窓から見渡す夕景があの世から戻った瞬間のように美しかった。

 
民芸旅館の一部を喫茶店にした珈琲まるもでブラジルを飲んでいたら西洋音楽が地獄のように美しかった。
 
 
桃狩りなど気が進まなかったが騙されたつもりで1個もいで食べたら天上の果実のごとく美味だったので3つ食べた。
 


 
暦の上ではもう秋だというのに暑い暑い思いをして滝壺の方へと近寄ったら、ほんの束の間だけ冷んやりと涼しかった。
 


 
台風を警戒せよと過剰に報じられた日は朝から晩まで外出の予定だったが、雨が降るのは屋内とか車内にいるときばかりで外に出ると止むから天地人のつながりを強く感じた。
 
 
1時間に1本の路線バスで90分かけて登山口へ移動中、さっきトイレは済ませたのに便意が兆し、これは終点まで保つだろうか? と思案してるとバスが営業所に停車したから下車して用を済ませ、待合所で1時間後のバスを待ちながら本を読む時間が黄金色に光り輝いてまぶしかった。
 


 
左足首をひねりそうになった瞬間、左脚で踏ん張ると捻挫するので反対側の右脚を地面に踏み下ろし、浮いた左足で普通に着地することができた。先天的に備わる本能のおかげか後天的に習得した反射のおかげか、どっちにしてもケガしなくてよかったと人気のない山道で思った。
 
 
滝を眺める人々が当たり前のように男女一対で寄り添ってるのを後ろからジッと眺めながら、こうでなきゃいけないわけじゃないし実際どうなのか知る術もないけど、そこに一つずつ幸せが介在してる可能性について想像をめぐらせた。
 


 
用事がはやく片づいたので観るつもりのなかった映画のチケットをネットで予約して入場開始までそこらのカフェで本を読んでいるとき幸せを感じた。
 
 
夜行バスで朝5時ごろ登山口に着いたので仕方なく2時間半あまり歩いて山小屋でカレー食べたら昭和の味が懐かしく、そのあと人が増えるにつれて空いてる道をのびのび歩けた朝の時間が幸福だったと思えてきた。
 
 
遅めだけど昼ごはんを食べないと夜までもたないから飛び込んだそばやで頼んだかき揚げそばのかき揚げがゴボウ入りで思いがけず幸せにつつまれた。
 
 
観たい映画の公開終了日、最終の上映が11:30〜25:00なので終電がなくなり、タイミングが合えば視聴したいと思ってた深夜アニメの新番組の放送スタートが25:45だから間に合わないと思ったけど雨なので濡れたくなくてタクシー拾って帰宅してみると意外に早く帰宅できて、映画の最終上映も深夜アニメの初回放送も両方うまいこと鑑賞できてよかった。
 
 
山を目指して住宅や田畑の脇を歩く途中いろいろな花が咲いていて、後から思い出すと山登りよりも手前の道を歩いてる時のほうが楽しかった。
 


 
日本の社会はおそらく取り返しがつかないにもかかわらず今日は何か体調よかった。
 
 
寿司もそばも出すような店は寿司もそばも二流か三流だけど近隣のビール工場で生産してる生ビールを大ジョッキで飲みながらそばを手繰ったら生ビールが一流のように感じた。
 
 
うちの家族は長風呂なので夜ゆっくり入ってもらうため追い出したりせず自分は朝シャワーで済ませがちだけど留守の晩にチャンスと思って入浴したら気持ちよかった。家で風呂に入れるなんて幸せ。
 
 
箸でハンバーグ食べつつ、添え物のトウモロコシやグリンピースを1粒ずつ箸の先でつまんで口に運びながら、こんなことが普通にできるのは全人類の1/3たらずの箸文化の人間のなかでも少数派だろうと考えたら、おだやかな気持ちになった。
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