散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

安土

2012-05-26 | Weblog
レンタサイクルで回らないといけない。バスもなんにもないから……けどまあ自転車で走るのにちょうどいい
平らな町だ。琵琶湖のそばだし、安土城だって199mの小山の上なので登っても大したことない。織田信長が
ここに平山城をつくるまで、城といえば山の上にあるのが常識だったそうだが、普通じゃないことをやるのが
天才・織田信長。どっこいしょっと、駅前で借りたママチャリで城跡へ。


自転車借りると地図くれる

安土城は完成から3年で、織田信長が死ぬと焼けた。いまはお寺が山を管理していて、拝観料を払って登る。
石の階段を登っていくと、道の両側に家臣の屋敷の敷地がある。

 
左手に見えますのが豊臣秀吉、右手に見えますのが前田利家の屋敷の跡地

いまの住宅地みたいに宅地が整備されている。なんでこれが常識やぶりかっていうと、火縄銃の射程距離を
考慮に入れて、せせこましい山の上より広い敷地がとれる小山に城をつくって、高さより距離で守りを固めた
ところが天才の発想なんだって。そこが山城と平山城のちがい。


登り降りは不便だけど……

ふもとで生活して非常時だけ山頂にたてこもる山城とちがって、平山城の安土城ではみんなが生活していた。
「火縄銃に対しては、高さより距離が大事」と天才が気づいたから、そのあと秀吉や家康の時代にはみんなが
平地を堀で囲って平城をつくった。大阪城や江戸城、その他の名城のもとのヒラメキは信長のもの。


兄の信澄より、寵臣の森蘭丸をそばに住まわせた

天主閣も、信長のはキリスト教の影響で「天主閣」だし、その他の大名のは「天守閣」……イメージしてる
ものが違う。信長はみずから神として天主閣で寝起きしたというが、他の大名は天守閣よりも御殿で生活
するのが普通になった。神でもないのに、高いところで暮らす必要がないから。


二の丸の跡が信長の墓所になっている


地上6階、地下1階の7層の天主閣の跡には礎石だけ残っている。


わざわざ見物にくる人がそれなりにいる……


琵琶湖は干拓で遠くなったが昔は真下にあった

安土というのは「平安楽土」を意識した地名で、琵琶湖の西に平安京があるなら琵琶湖の東に安土城を
という発想で名づけたものだとか。山を下って自転車でちょっと行くと、天主閣の最上部を復元した展示が
「信長の館」で見られる。


金閣寺を超える建築! (本来この下に第1層から第4層がある)

 
全体像はこんな感じで、第3層まで吹き抜けになっている


吹き抜けの部分には神道の
社があり、信長の住まいは
その上に位置している。


仏が描かれ、柱には上り竜と下り竜が彫られている

孔子や老子も描かれている。神仏や儒教や道教を超えた存在として、天と交流する神が住む場所……それが
信長の安土城だったみたい。むちゃくちゃユニークで、他の城が抜け殻のよう。
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田町

2012-05-19 | Weblog
人に話したら「えっ!豚の脳みそ?」とビックリされるので、それならここに書きとめておきます。田町というと慶応大のあるところ。
おしゃれな飲食店ばかり軒を連ねているかと思えば、全然そんなことありません。おやじの喜びそうな飲み屋が地平線の果てまで
つづく東京の下町の焼け残り。ある日「脳みそ刺身480円(…だったかな?)」という貼り紙を見かけて、ちょんの間みたいな2階の
店に上がってみようか、怖いからやめておこうか迷っていると「どうぞカウンターもありますので!」と背後から呼び込みのお兄さん
に声をかけられてトントントンと細い急な階段を上って履物を預けました。店内は写真のような畳敷き、案の定おやじの巣窟です。
(学生も混ざってる)


これが豚の脳みそ刺身、ごま油と塩でぺろり

畳の上に置いたスツールに腰かけて、脳みそ刺身を注文。ホルモンなども焼いてもらいます。食べてから「何の脳みそですか?」って
聞くのも不用心だけど、「人です」とか「猿です」とかではなく「豚です」という回答。ふーん、豚の脳みそって生で食べられるんだ……。


飾り気のないお店だなぁ

芝浦に屠殺場があって朝まで生きてた新鮮な豚の脳みそだから安心らしい。これまた食欲をそそるような、気の毒になっちゃいそうな。
お味のほうは白子と鮟肝の中間ぐらいをイメージしていただくのが、わかりやすいかも。


煮込みのホルモンも新鮮な腸の脂たっぷり

田町で飲んでいると、なんだか中央総武線の沿線にいるような錯覚をおこしてしまう……。


関連リンク: 東京都中央卸売市場食肉市場・芝浦と場HP
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彦根

2012-05-13 | Weblog
じつは滋賀県ちゃんと行ったことあるのは比叡山の延暦寺くらいで、山から琵琶湖を見下ろしたり、
湖西線や北陸本線の列車の窓から琵琶湖を眺めて溜息はついても、平地を歩き回ったことがない。
そこで生きているうちに滋賀をほっつき歩こうと思ったわけ。


ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃん、にゃん♪

京都から近いのは知っていた。新幹線ひかり号の停まる米原で、北陸本線しらさぎ号に乗り換えた
ことは何度もある。そのとき米原の駅前を見渡すと、食事するにも宿泊するにも心細い感じだから、
玄関口がこれじゃあ滋賀を歩くのは難儀そうだと思ってたんだけど……各駅停車ですぐ隣の彦根駅
に降りてみると、なんだ飲食店もホテルもあるじゃん。……ホッ!


彦根駅から見た彦根城

あいにく雨が降っているけど、彦根なら泊まるところがあるから(安土とかにはないかもしれない)
ひこにゃんのいる彦根城でもひやかして一夜の宿をとることにすべし。


駅前でビニール傘を買って城まで歩く

お堀(内堀の外の中堀)の外に「埋木舎」という、ひねくれた名の屋敷がある。桜田門外の変で惨殺
された幕府の大老、井伊直弼がまだ世に出る前、ごくつぶしとして蟄居していた住まい。


堀の角の向かい側に「埋木舎」とやらがある

彦根藩の11代藩主の十四男に生まれて、とてもじゃないけど藩主の座につけるはずもなかった直弼は、
兄の直亮が12代藩主になると御殿を追い出されて、埋木舎に15年も蟄居したんだってさ。


こちらがその埋木舎とやらの門

蟄居というわりに立派な屋敷じゃないかと思うのは、うさぎ小屋に住み慣れた日本人の目で見るから
なのかな。当時はこれで、わび住まいだったの? (ちなみに三百石もらってたそう)


これが埋木舎の屋敷で……中に入ると立派な駕籠とか置いてある

十四男といっても何不自由ない暮らしをしてるように見えるが、本人は不遇をかこってたのだろうか。
  世の中をよそに見つつも埋木の 埋もれてをらむ心なき身は
なんて歌が残ってるくらいだから、それはもう不遇かこちまくったパンク青年だったにちがいない。


「No Futureでござる」 「左様しからばご尤も」

ところが36歳のとき、13人もいる兄がコロコロ死んだり、養子に出たりしていて、直弼に藩主の座が
回ってくる。ペリーが浦賀にやってきたりして大変な時期に、幕府の大老になって開国しちゃったり、
安政の大獄で強権ふるったりして、桜田門外の変で斬られちゃった。


埋もれていれば斬られずに生きられたものを

おかげで彦根藩は25万石に削られて、そのまま明治維新を迎えちゃった。そういう事情を知ってみると、
ひこにゃんの中には井伊直弼が入ってる感じがしてくる。


埋木舎をあとにして、ひこにゃんが舞う彦根城へ

初代藩主の井伊直政は、関ヶ原の戦いで東軍の先鋒としての武功を家康に認められ、石田三成の
佐和山城(すぐ近く)をそっくりもらって18万石の大名になった。大阪冬の陣で、子の直孝の働きが
認められて30万石に加増。だから、25万石に減らされるのは微妙といえば微妙。


中堀の内側をクルマがビュンビュン通行する

佐和山城を徹底的にこわして、利用できるものをすべて利用してつくられたのが彦根城なのだそうで、
石垣も全部ひっぺがしたから佐和山城の跡には石が二つしか残ってない。他にも天守閣は大津城の、
西の丸の三層櫓は小谷城の、天秤櫓は長浜城のを移築したとか。いくさの世が終わって、あちこちの
城から「いいとこ取り」して普請したのが彦根城なのね。


秀吉の居城だった長浜城から移築した天秤櫓


天秤櫓の手前の橋は非常時に落とせる仕掛け


大津城から移築してきた天守閣は国宝の扱い

姫路城、松本城、犬山城と並ぶ、四大国宝天守閣なんだって。西国から幕府を守る主要な城として位置づけられて、
江戸城、名古屋城のように天下普請(大名に命じて築かせる)されたとは知らなかった。家康の意向で、井伊家は
甲斐の武田の象徴だった「赤備え」の武具をまとって、いつも先陣を任されたという話。だからなのか、ひこにゃんの
兜が赤いのは!


これが赤備えの武具

ひこにゃんが兜だけかぶって、あと丸腰なのは天下泰平ってことか? うっ、ぶるぶる、雨に濡れてカラダが冷えた。
歩き回るのこれぐらいにして宿をとろう。お城の前に、彦根キャッスルホテルというのがある。聞いてみたら泊まれる
っていうからチェックイン。


みやげ物やさんを併設している観光ホテル


ホテルの窓から撮った彦根城


たまには朝ごはんの写真でも

翌朝ちょっと天気よくなったので、チェックアウトして城のまわりを歩いてみる。昔の街並みを保存した通りに
宗安寺というお寺があって、気になったので寄ってみる。


お寺の門は、佐和山城の表門だったものを移築してきたと書いてある

城だけじゃなくて、寺も寄せ集めて普請してある。本堂は長浜城の御殿を持ってきて使っていたが、いまはもう
建て替えられて、鬼瓦だけ残っていた。


これがその長浜城の鬼瓦


夢京橋キャッスルストリートに面してる

そこから城のほうに戻り、城を突っ切って玄宮園という大名庭園に行ってみる。天守閣を見上げるかたちになる。
ここらでビアガーデンでもやって、ひこにゃんが行ったり来たりすればウケそうだと思った。

 
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善水寺

2012-05-07 | Weblog
年に一度だけ、毎年5月5日に公開している秘仏というのを拝んでみようと思って、JR草津線の
甲西駅で降りた。湖南市循環バス「めぐるくん」が停車していて、運転手さんが「今日はええわ」
と、つぶやきながらベンチで日向ぼっこ中。「善水寺に行きたいんですが、このバス通ります?」
「それなら岩根っちゅうバス停で降りるんがええわ」「ありがとうございます」「今日は善水寺まで
行くお客さん多いけど何かあるんですか?」「仏像を特別に公開してるみたいです」「なるほど」
……というわりに、お客は他にひとりもいない。岩根のバス停(上の写真)で降りる。


めじるしがあってよかった

ここは滋賀県……うなぎ屋さんにも「滋」の字が入ってる。これから行くのは、うなぎ屋さんでは
なく「国宝 善水寺」のほう。


地図の看板あってよかった

岩根バス亭から、「うを滋」の脇を通って山に登るわけね。また登るわけね。どうしても旅先で何か
しようと思ったら、登り道を歩くはめになるわけね……。(うを滋、うなぎじゃないのか)


あきらめて登る

この季節になると、よく青虫が糸で枝からぶらさがって、風に吹かれながら上がったり下がったり
してますが、あれは何をやってるんでしょう? 鳥に食べられやすくて危険なのに。

 
観音堂っていうのがあった。本堂はまだ、この上だろう。平安時代の丈六仏だって。


その奥にでっかい岩がある。古墳かな?

お寺の略縁起を見ると、「不動の大岩」と書いてある。上部に磨崖不動明王があり文亀4年(1503)
の年号があるそうだけど、後から刻んだものだろう。

 
そこからもうちょっと登って、やっと本堂らしきところに着いた〜

本堂が国宝で、中に入ると三十体あまり仏像が安置されている。重要文化財が九体。こういうことを
数えても仕方ないけど、堂内撮影不可なもんで、驚きを伝えたくて。


外側は撮ってよし

秘仏というのは天平時代の金銅釈迦誕生仏で、母の脇の下から生まれてすぐトコトコと7歩あるき、
右手をあげて「天上天下唯我独尊」といったときのポーズ。撮影禁止なので、絵はがきを撮ったのを
UPするとこう。


天上天下唯我独尊〜!

生まれてすぐのわりには腰に布を巻いてる。てゆうか赤ちゃんが歩くまで1年ぐらいかかるのに、
つかまり立ちもせず右手をあげて釈迦すげぇ〜

釈迦の誕生日は4月8日だけど、一般の休日に公開しようということで、訪ねてみたら5月1日から
8日まで公開されているのだった。(あら事前の情報が古かった!)


同じ河に二度入ることはできない

和銅年間(708〜715)に元明天皇の勅命で草創されて和銅寺といったこのお寺は、のちに京都で
桓武天皇が病気になったとき、ここの水をもって7日祈祷して献上したところ、たちまち治ったので
「善水寺」の寺号を賜ったと略縁起に書いてある。


その水がこちらでーす

ちょうど喉がかわいていたので、空のペットボトルに入れて飲んだら、おいしかった。持ち帰りOK
だから、あとでコーヒー入れて飲んだらおいしかった。
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佐原

2012-04-29 | Weblog
佐原は2度目だ。1度目は水戸の帰りに寄った。茨城かと思ったら千葉で、県境に近いらしい。
上の写真みたいに捨てられた建物や、古看板に興味を抱きつつ歩いたら、江戸の堀端のような
街並みが開けて驚いた。あれから2年……いや3年か? ふらっと寄った佐原は変わってない。
時間がゆっくり流れてる。


水の郷・佐原……写真映えする星……じゃなくて

小江戸と呼ばれる町がいくつかある中でも、佐原はじつに写真映えする。そう、写真映えする
ということは実際に訪れると? (答.             


いまのは正解のない設問

もういちど訪ねたくなる……というのが、あたりさわりない回答かも。実際その通りだったし。
古い町並みが残る忠敬橋のあたり、観光客がゆっくり行き来して悪くない。


こういう舟で川を上り下りしようと思えばできる

忠敬橋(ちゅうけいばし)は、あの伊能忠敬にちなんだ名前。どの伊能忠敬かっていうのなら、
説明せねばなるまい。大日本沿海與地図を江戸時代につくったエライおじさんだと。


そのエライおじさんの家が佐原に実在する

生家ではない。生家は千葉の九十九里だもん。18歳で佐原の伊能家に婿養子に入り商才を
発揮。伊能家の商売を立て直し、50歳で隠居すると江戸にでて今度は測量を学び、南蛮人も
舌を巻く精密な日本地図をつくりあげた怪人。それが伊能忠敬だ。


忠敬の家の前にかかる橋(裕福だった証拠)

写真映えする町といったが、昨年(2011年)3月の東日本大震災で、ここは千葉だけど屋根の
瓦が落ちたり家が崩れかけたりして、写真に写ってないところに被害の跡がめだつ。それでも
景観を保全して、また人の足を向けようと努力してるのがわかる。


JRの駅舎もめずらしく特徴あり
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地下鉄赤塚

2012-04-27 | Weblog
高島平(たかしまだいら)というマンモス団地が、東京都板橋区にある。昔は自殺の名所なんて
いわれたりもしたけど、それも昭和の話。ぼくは高島平に思い出はないけれど、地名だけはよく
知っている。

地名の由来になったのは、砲術の演習を幕末にこの地で行った高島秋帆(たかしましゅうはん)
という人だと知って、銅で作った大砲がお寺に保存されているというから見にいく。

有楽町線で赤塚へ。つい最近まで、東京メトロは「帝都高速度交通営団」略して営団と呼ばれて
いたから、東上線の下赤塚と区別するため「営団赤塚」と呼ばれてた駅で降りようとすると……。


駅名が変わってるよ

もう営団じゃないから「営団赤塚」と呼べないって(そんなことないのに)判断されたんだろう。
「地下鉄赤塚駅」という、ひねりも愛着もない駅名になってる!


赤塚銀座会

東上線の下赤塚駅のほうへトコトコ歩いて、駅前の商店街を進むと、やがて松月院というお寺に
つくはず。さっきセブンイレブンで地図を立ち読みしたから間違いない。


歌えるスナック喫茶

来夢来人と書いて、らいむらいと。日本全国に7,000店、北は北海道から南は与那国島まで
いたるところにあるという。そのひとつを過ぎてトコトコ歩いていくと、あった。


松月院 (どら焼きのお店じゃないよ)


おててをあわせおがみましょう


ありがたいありがたい……

安政4年(1857)に鋳造された銅の大砲が奉られている。6mの砲身は、男根崇拝の陽物みたく
見えなくもない。タマタマのように並んでいるのが砲弾。どちらも複造品。


さがってみるとこう

アヘン戦争で清がこっぴどくやられているのを知った長崎の町年寄、高島秋帆は、西洋式軍備の
必要を幕府に進言して認められ、天保12年(1841)幕命で門弟を100人あまり引き連れて江戸へ。
徳丸ヶ原(いまの高島平)で日本初の西洋砲術演習を行ったと。そのとき本陣(基地)にしたのが
このお寺なんだって。


ちゅうくらいがこう

ところが、蘭学に憎しみをいだく鳥居耀蔵によって謀反の罪をきせられ、伝馬町の牢獄入り。
ペリー来航後の嘉永6年(1853)に釈放されるまで、かわいそうに10年も幽閉されてた。


このへん案外いろいろあるね

 
不動の滝……さわ蟹を放すのは「放流」でいいのか?

 
東京大仏


忘れまい 天保大飢饉供養塔


何でも耐える がまんの鬼

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取手

2012-04-22 | Weblog
かすみがうらマラソン(2012年4月15日)を取材することになり、朝早く集合しないといけないので
前の日(土曜日)に土浦に泊まろうと思ったら、あらゆる宿泊施設をランナーが予約しつくしていて
泊まり込む余地がなかった。ひとりぐらい何とかなるだろうという考えは甘すぎた。そこで取手まで
後退して1泊。うちからよりはラクだけど、取手に泊まるのは中途半端。


せっかくきたから散歩する

利根川の河川敷にUFOの着地した跡みたいなのが……なんだろう、あれ。冷たい雨が降っていて、
横からの風で濡れるわ寒いわなので、ろくに調べもせず通り過ぎる。


あっ、神社だ。(八坂神社)

たまにあるよね、建物や門の彫刻が立派な神社やお寺。なんか千葉の原木中山でみたお寺とか。
ここの彫刻もなかなか立派、うんうん。イイヨイイヨー!


つーか、雨が……



散歩って感じの日でもないし、そろそろ駅前のビジネスホテルに戻って本でも読もうかなと思ったら、
「公開中」と掲げた古そうな建物がある。


旧取手本陣(金・土・日公開)

足もとが、ぬかるんでいる。トレイルランニング用のシューズ履いてるから平気といえば平気だけど
あんまり愉快ではない。


寛政7年(1795)に建てられた染野家の住宅

水戸と千住を結ぶ水戸街道の宿場として、取手にお侍さんが泊まるとき本陣とされたということで、
ちょっとながめていたら土間のおばさん2人にあいさつされて、中を見ることに。


なにがどうってこともね……とくにないんだけどね……

やっぱり雨の日は気分のほうが乗ってこないので、ちょっくら駅前のようすを見て回ってホテルに
戻る。日が暮れたら立ち寄る、まともそうな居酒屋みつけた。


たまには食べもの写真でもUPしとくか

翌日は晴れて、暑からず寒からず、そよ風が吹いていて、マラソンをするにはちょうどよさそうな
日和だった。桜も咲いて、大会に集まったみなさんは花見も楽しんでいた。

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銀閣寺から送り火の「大」へ

2012-04-21 | Weblog
奈良から帰るとき京都を通るでしょ? せっかくだから寄っていこうと思うでしょ? あんまり
ゆっくりもしてられないでしょ? そこで、銀閣寺に行こうと思ったわけです。


わっ、超バス並んでる!

祝日(3月20日)でもあり、市バス乗り場に長蛇の列が。あんまり時間ないでしょ? だから、
タクシーに乗ることにした。京都はバスが便利だけど、全部バスで移動しようとすると時間が
かかるので、最初の目的地の付近までは地下鉄かタクシーを使うと早い。


タクシーはすぐ乗れる!

運転手さんのなかには京都にくわしい人も多い。コンシェルジュっぽく観光客の好みに合う
インフォメーションを提供したいと思っているのに、みんなバスに乗っちゃうから「チェッ」て
思ってる運転手さんが大勢いることに、ぼくは気づいている。


ひさしぶりに銀閣寺へ

「京都へはしょっちゅう来られるんですか?」「それなら京都やったらどこが好きですか?」
「それだけ歩き回るんやったら足に自信あるでしょ?」「それやったらお客さん時間あったら
銀閣寺のあと大文字の山に登らはったらええわ」「登るゆうても500mないし、幼稚園児らも
よう登らはるから大丈夫やわ」「聞いたことないやろ? タクシーの運転手でも登ったことが
ある人なかなか滅多にいないから、おすすめですよ」


登る前に門前の茶屋で軽く腹ごしらえ

というわけで銀閣寺のあと送り火の「大」の山に登ることにした。今回はサンダルではない
ので、日本平のときのようにマメができることもないだろう。観光地にくると必ず高い場所に
登らされるから、なるべく靴ぐらいは履くように最近している。


銀閣寺は建物よりむしろ庭がきれい

直接、銀閣寺から送り火の「大」の山に登れるのかなと思ったけど、そんなことはなかった。
あたりまえのように一周して出入口に戻ってくる。



いちど登って、どこかに出口があるのかな? と思ったら全然なくて、また庭園まで降りて
きて土産でも眺めていくようなコースに設定してある。

 

裏に回ると、銀閣の屋根の葺き方を説明するための見本がある。柿葺(こけらぶき)といって
サワラの薄い割り板を3cmずつズラシながら重ね、竹釘でとめていくらしい。

さて、どこから送り火の山に登るのか? 銀閣寺を出て右のほうへ歩いて行くと、こんな道が
ある。


どうやらここらしい……


それっぽい案内がチラホラ道端にあるし、間違いないだろう


こんなところにイノシシ?

だんだん期待に胸がふくらんできた! あと2時間ちょっとで新幹線に乗れば東京に帰れる。
(祝日で混雑するから指定券を買っておいた)……その前に登って、降りてこよう。


登って……登って……


登って……登って……

登りつかれたころ、ケーブルに乗って働くおじさん発見! これを使って階段を整備したり、
送り火に使う薪を運び上げたりするんだろうね。


ちょっと楽しそう


どうやらもうすぐらしい

火床っていうんだ、送り火を焚くところ。もうちょっと登れば、大の字に火床を並べた斜面に
出るんじゃないだろうか。もうちょっと登れば……


出た! これが火床というものらしい→→→↑


人々がお弁当を広げている


祠みたいなのがあって、中をのぞくと弘法大師がまつられている


たしかに火床が「大」の字に並べられている……ここで、毎年8月16日に送り火するのか!
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春日大社と興福寺

2012-04-16 | Weblog
まだ奈良の話は終わってなかったんだな。「かむ」「たたく」「突く」「突進」……英語に訳したの
Bite、Kick、Butt、Knock down……だいぶニュアンスちがう気がする。チャイニーズとコリアン
どうなってるんだろう? 奈良公園の看板。


あなたたち神獣のくせに、いけない子なのね!

「神と人の中を取り持つ臣」という意味の、中臣さん家の鎌足くんが、神主家らしく策を弄して
仏教に篤い蘇我氏をほろぼし、藤原姓になって氏神をまつったのが春日大社。その別当寺で、
藤原氏の氏寺にあたるのが興福寺。いまにして思えば藤原氏こそ、権門が民を食い物にして
肥え太る今につながる、日本の政治の原型をつくった寄生虫No.1だから、その氏神も氏寺も
あまり印象よくない。


でも一応みておくか……というわけで、まず春日大社のほうへ

これも奈良公園にある。山が神社で、里に下ると興福寺。……蘇我氏さえ滅ぼしてしまえば
神も仏も一緒くた。興福寺のほうは明治の廃仏毀釈で見る影もないけど、春日大社は立派。

 
見えてきました……手前には、依代の石が囲ってある

神社って建物より自然物のほうが大事だったりするから、見てもしょうがないような気もする。
キョロキョロしてると巫女さんが掃除しながら近づいてきた。


サッサッサ……あれ、頭に何かついてますよ?


こっちの巫女さんの頭にも、同じものついてる


巫女さんに500円払って本殿を見ることにした

釣灯篭でも見物しようと思って。みんな奉納されたものだそうだけど、ひとつだけ平安時代の
ガラスの釣灯籠があると聞いたので、どうせ暇だし探してみようかと。


でも見つからない。碧瑠璃の灯籠って、どこ?


貴重なものだから、片付けてあるのかなー

探し歩いてたら、戦国時代に「愛」の兜の直江兼続が奉納したという釣灯籠が飾ってあった。
でも探してるのは平安時代の釣灯籠だから、ぜんぜんちがう〜


これが直江兼続のやつ

ぶらぶら釣り下げてると盗んじゃおうとする人もいるかもしれないから、平安時代のやつは
人目につかないところで大事にしてるんだろうと思って、あきらめた。


「お坊さん髪あるよ?」ってどこかの子が……

「ねぇ、なんで髪あるの?」って母親にしつこく聞いてる。神社だから、お坊さんじゃなくて
神主だからって教えてあげればいいのにガン無視。まぁね、大人も寺と神社よく間違える
から無理もないけど、神主さんは坊主じゃないわけ。


つぎは坊主のところへ

そんなわけで髪のない人のいる興福寺まで下りてきました。阿修羅像が上野で展示されて
ブームになったの、いつだっけ? あれがいつもどこにあるかというと、ここよここ!


建物、あまり残ってない

食堂だったところに建てられた国宝館に、日本の国宝の何十パーセントだかが展示してあると
いうことで、たしかに中は見ごたえある。


外から見てもどうってことはないけど……

興福寺といえば僧兵が春日大社の神木をかついで京都になだれ込み、強訴が通らないと
神罰と称して打ち壊しを働いてばかりいたようだけど、いまなら国家公務員がストライキで
打ち壊しを働くのと同じことで、既得権益の権化。その寺に国宝がたくさんあるのは当然
といえば当然だし、不思議といえば不思議。
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我孫子

2012-04-14 | Weblog
我孫子の駅の立ち食いそばの返却口に、上の写真のプレートが。

「ぼくがはたらいていた弥生軒のおそばおいしいよ 山下清

裸の大将だけど、「おいしいんだな」って書かないところがいいね。
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将軍墓所特別公開

2012-04-08 | Weblog
4月7日(土)、先っちょの異変を撮影しに東京タワーに接近したついでに、増上寺の花見客に
もまれながら将軍墓所特別公開(徳川家霊廟)を見物した。このブログで何度もネタにしている
わりに写真を撮ったことがないので、今年はちょっくら撮影でもと思ったわけよ。


今年は4月1日から11日まで公開

そういえば去年は震災の後で公開が取りやめになって、桜の時期に見ることができなかった。
もともと徳川家の霊廟は、いま東京プリンスホテルがある場所と、ザ・プリンスタワー東京が
ある場所に、壮麗な建物を備えていたらしい。


その当時の写真がこちらになりまーす!

東京プリンスホテルの場所に6代家宣、7代家継らが眠り、ザ・プリンスタワー東京の場所に
2代秀忠と夫人のお江らが眠ってた。霊廟の様子はだいたい日光東照宮を思い浮かべれば、
当たらずといえども遠からず……かな?


消失前はずいぶん広いところで眠っていた

それらが空襲で焼けてしばらくは放置されていたんだけど、土葬の遺体が掘り起こされて、
火葬しなおされて、現在のところに集められている。


ここで身を寄せあって仲よく眠っている……

桜の木の下には2代、6代、7代、9代、12代、14代の将軍とその生母、側室、子女など計38人
が埋まっている。それを生きた人たちが無料で見物している。


改葬された将軍秀忠公とお江の方

大河ドラマ「江」では秀忠を向井理、お江を上野樹里が演じていた。それで去年はこの墓だけ
500円とって見物させていた。それにしても、霊廟が焼ける前と比べると雲泥の差だ。ちなみに
秀忠の遺体は、焼く前に調べたら立派な体格だったらしい。


ひ弱な歴代将軍に比べて健康な戦国武将だったとさ。


関連記事: 増上寺
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先っちょ

2012-04-07 | Weblog
昨日(4月6日)、まだ記憶を失くす前、首都高を走行するタクシーの窓から外を眺めていた
ぼくは、先っちょの異変に気がついた。先っちょが曲がっているのを確かめようとしたとき、
そこに新たな異物があるのを発見したのだ。


東京タワーの先っちょに異物が!

昨年の3月11日、大きな地震で東京タワーの先っちょが曲がったと報じられてから今日まで、
地震で先っちょが曲がるなんておかしい。以前から曲がりっぱなしだったんじゃないかなって
思ってた。ちっとも直す様子がないし……。ゆめみやぐら(東京スカイツリー)も出来たから、
一生そのまま「右曲がりのダンディ」でいいんじゃない?


この春、ついに重い腰を上げた!

やぐらで先っちょを囲って、まっすぐにしようとしている(?)。一体どうやって先っちょを
まっすぐにするつもりだろう。力づくで伸ばすわけにもいかないだろうし、曲がった部分を
交換するのかな? イタそうだな……。いや、気のせい気のせい。

まさか先っちょだけ思いっきり長くして、ふたたび世界一の高さに返り咲こうとしている
わけじゃないだろうね?


関連記事: 東京タワーの先端(2011年10月)
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十輪院

2012-04-04 | Weblog
アーケードの商店街や民家の並ぶ通りが「ならまち(奈良町)」と呼ばれていて、観光客らしき
人がふらふら歩いてる。ぼくも、ふらふら歩いてみる。


このようなアーケードを抜けると、民家が並ぶ通りへ

人がふらふら歩くからには、それなりに面白いことがあるはず。キョロキョロあたりを見回すと、
日本一の耳かきを製造販売していたり、塩麹を包みに入れて売ってたり、謎の民芸品(?)を
軒先にたくさん吊るしたり、なかなか楽しい(……のかな?)。


派手めな神社、発見〜!

さすが古い町だけのことあって、ごくふつうに「御霊神社」なんていう、怖いものが建ってる。
もちろん説明を読んでも、あたりさわりのないことしか書いてない。


八神をお祭りしています……そこが怖い

御霊神社の御霊は、政争に巻き込まれたり、無実の罪を着せられて憤死あるいは悶死した
怨霊があばれるのを鎮めるために神社を建てました……ということをあらわす御霊だから、
この八神はみんな怨霊だったわけです。


ためしに調べてみればわかること

井上皇后、他戸皇太子、早良親王、藤原大夫人、藤原廣嗣、伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿、
みんな讒言にあって世を呪いつつ死んだはず。チョーこわ〜い! ふらふら歩きを続けると?


十輪院という、鎌倉時代の建物が残るお寺

いろんなのがあるね。むかし遣唐使が、唐で女の人に子を産ませたものの、日本に帰るときが
きてしまい、「必ず次の遣唐使に伝言を託すからね。そして子供を迎えに来るから」と言い残して
帰国したまま、すっかり忘れてしまった。女の人は忘れずに「遣唐使だれそれの子です」という
木の札をわが子の首につけて海に放り込むと、魚がその子を養って日本まで運んできた!


なかなか、いい感じのお寺ですな……

それを遣唐使がひろって、自分の子だと認知して、魚に養われてきたから「魚養」となづけた。
魚養はめちゃくちゃ字がうまく、弘法大使はこの魚養の弟子にあたるとか。


その魚養の塚がこちら

ほんとかな〜? ほんとなわけがないよね〜! ほんとだったらビックリしちゃう〜(笑)
それにしてもこの十輪院、石の仏が多い。




だんだん古いのになると溶けそうになってくる……

十輪院を出てふらふら歩きだすと、すぐまた公園に石碑のようなものがある。近くに寄って
字を読むと、「狂言大蔵流 宗家屋敷跡」って刻まれてる。


ごく普通の公園だけど

狂言大蔵流十二世が、豊臣秀吉からこの地を拝領して屋敷を建て、二十二世まで住んだと
説明してある。なんのことやらピンとこないけど、なんかすごいね。
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唐招提寺と薬師寺

2012-04-01 | Weblog
奈良公園はみどころ山盛りすぎて疲れるので、近鉄を乗り継いで西ノ京に向かう。そこへ行けば、
唐招提寺もあるし薬師寺もある。電車の窓から外を眺めてると、大和西大寺の手前に平城宮跡が
こんなふうに見えてくる。


ガタンゴトン……ガタンゴトン……

晴れた日は、もうちょっとハッキリ見える代わりに風情がない。曇や雨の日ぐらいがちょうどいい。
大和西大寺で乗り換えて、ひとつめの尼ヶ辻をすぎると古墳が見えてくる。


垂仁天皇陵といわれているが……?

本当かどうかわからない。平城京のまわりには古墳がいっぱいあるけど、天皇の権威が地に落ちた
鎌倉から江戸の700年ほど放ったらかしになっていたので、どの古墳が誰の墓なのか実はさっぱり
わからないそうだ。この100年ぐらいは宮内庁が囲い込んで調査させてくれないから、相変わらず
本当のことは誰にもわからないまま。(天皇家と関係ない古墳かもしれない)


開門まで15分くらいある

西ノ京の駅のすぐ前に薬師寺がある。開門8時30分ということで、あと15分もあるから待たずに
唐招提寺へ先に行く。そうすれば、ちょうど唐招提寺のほうの開門時間になるかもしれない。


地図で見ると程よい距離のように思える

とことこ歩いて行くと、お坊さんがジョギングしている。なんかへんなの。お堂の掃除とかすれば
いい運動になりそうなのに、わざわざスポーツするなんて。一体どこのお坊さんだろう?


薬師寺北門跡の立て札

道端に土塁みたいなのが残っている。何にもないけど、かつて(いまも?)薬師寺の寺域がここまで
あったというアピール。もうちょっと歩いたら唐招提寺が見えてきそう。


ちゃーんと、ここにありましたよ

開門の8時30分まで、あと5分ぐらい。近いんだなあ、薬師寺と唐招提寺。こうやって歩いてみると
よくわかるけど、観光バスで連れてこられたら全然わからないよ。


しばらくすると、開門時間になりました

あんまり人がいないから落ちつく。質実剛健、正直な造りのお寺に思える。あそこに見える柱は全部、
上下が細くて中央が太いエンタシスになっているんだろう。ギリシアのような石の柱じゃなくて木の柱
だけど。いくら古いといったって古代ギリシアの半分くらいだけど。


しかし、なかなか気持ちがいい

鑑真が何度も失敗を重ねながら海を渡って日本にきて、聖武天皇をはじめとする400人あまりの
日本人に初めて正式な授戒を行い、土地を賜って私寺として建てたのが唐招提寺なんだって。


そのときの授戒した戒壇がこれ

東大寺の大仏の前に設けられたのを、唐招提寺ができたとき移してきたもの。ということはこれが、
唐招提寺でいちばん由緒ある遺跡。いちばん端っこにあるから誰も見にこないけど、もったいない。


横からも見ておこう……

唐招提寺ができた時代は、ガチの上の最上級、リアルガチに為政者が仏教を信仰していたから、
ここにある多くのものが最上級のリアルガチなのよ。


水の湧く所に寺を造る

撮影禁止だから撮らないけど、金堂にある千手観音立像は本当に手が千本ある(何本か折れてる)。
リアルガチだから千本ある。後の時代になると、千手観音といっても48本しか手がないよ。ためしに
数えてみるとよくわかる。興福寺の千手観音も、三十三間堂の千手観音も48本だから。


井戸は涸れたことがない

本尊の盧遮那仏の光背には小さい釈迦像が千個もついているから、眺めているとめまいがするよ。
東大寺の大仏も盧遮那仏で、あっちのほうが大きいけど、断然こっちのほうが迫力ある。


しびれるねぇ、天平のいらか

そんな唐招提寺をあとにして、もときた道をトコトコもどったら、薬師寺のほうも開門している。


いらっしゃいませー!

こちらは商売上手なお寺で、昔は官寺だったから黙っていても国がお金をがガッポリくれたけど、
いまは国が面倒を見てくれないから拝観料をとったり、写経で二千円ずつもらったり、いろいろな
手をつくして薬師寺を維持運営してるって、しゃべりのうまい僧侶が説いてた。


伝統的に、しゃべりのうまい僧侶がいる

中学の修学旅行できたときも、薬師寺のお坊さんが面白かったことは何となく記憶に残っている。
子供相手だからか当時お金の話はあまりしていなかったけど、東塔の解体と復元にお金がかかる
のだそうだ。焼けた西塔のように新しく建てるほうが、焼けてない東塔を分解して元に戻すよりも
安く上がるとか。そりゃそうだろう。だからって燃やすわけにもいかない。


覆いをかけられた東塔


西塔はちゃんと見える

裳階(もこし)がついてるので六重に見えるけど、三重塔だってお坊さんが熱弁をふるっていた。
そういえば中学生のときにも聞いたなあ、この話。


官立の古い寺には庭がない

奈良を観光していて京都より疲れるのは憩いの場所に乏しいせいかもしれない。憩うために
造られた場所じゃないから、当たり前といえば当たり前。いまの日本人が眺めて普通にホッと
するものは、たいてい鎌倉・室町より新しいって本当だろうか。
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東大寺

2012-03-25 | Weblog
修学旅行って意味あるのかな? というのは、奈良にも京都にも修学旅行できたことあるのに、
どこに何があってどういうものか曲がりなりにも理解できるのって、あらためて足を運んでからに
すぎないような気がするから。


興味ないとき見てもムダなんじゃないの?

ぼくなど親に手を引かれて幼い頃から京都や奈良を見て回ったのに、やはり自分で訪ねないと
位置関係からして頭に入らない。東大寺も春日大社も興福寺も薬師寺も唐招提寺も法隆寺も
行ったことあるし、断片的な記憶もあるけど、ものごころつくまで(要するにごく最近まで……)
どこにあるのかさっぱりわからなかった。


あれが東大寺の南大門か

三十路を過ぎて何度も足を運んだから、京都はだいたいわかる。飛鳥や斑鳩も歩き回ったから、
およそ頭に入ってる。奈良は意外とわからない。おととし、遷都1300年といって盛り上っていた
ときは混雑してるだろうと思って寄り付かなかったが、そろそろいいだろう。


というわけで奈良再訪

大仏殿とか、30年ぶりぐらいかも。前回は中学の修学旅行で、その前は小学生時代……かな。
奈良公園のなかに主な見どころが集まっているなんて、大人になって近くを通っても、まったく
気づかなかった。なんだよ、わかりやすいじゃん。


覚えてないなあ……

大仏殿の入口の脇に、びんずるそんじゃの木像があるなんて、ぜんぜん知らないよ。近隣の
諸外国からきた人たちが、なでなでしてる。そこだけ、つやつやしてる。


でっかい……のか?

奈良の大仏、写真を撮っても構わないのは大らかなこと。しかし、もっと大きなのを見たことが
あるような気がする。北京のラマ教寺院のマイトレーヤの立像(ギネスブックに載ってる)は
どもかくとして、千葉の鋸山日本寺の石仏これより大きかったと思う。


大きさがすべてじゃないのはわかっているけど……

1300年前は、すごい技術だったんでしょう。こういうものは海の向こうにもなかったわけだから、
聖武天皇かなり無理したと思う。しかし、あまり美しくないせいか感慨は乏しい。

正倉院でもしばいたろか……と思って、大仏殿の裏に回り込む。正倉院ってここにあったのね。
子供のとき見物したことあるけど、いまどうなってるんだろう?


……こうなっていた!

守衛さんに聞いたら、平成23年から平成26年まで正倉院は修復工事をやっていて、春と秋しか
見学できない。希望者はホームページで応募して、当選すれば春と秋のお彼岸の時期に見学が
できるという話だった。ちなみに、この春の倍率は4倍だったそうなので、地道に応募すれば
当たらないこともないかも。

しょうがないから、二月堂でもしばいたろか……と思って、公園のなかを歩く。ウォーキングの
ついでに旧跡を見る心の余裕があれば、奈良公園は楽しい。


あれが二月堂

福井の若狭神宮寺で「お水送り」した水を、二月堂にある若狭井で「お水取り」する。そんな謎の
行事が、毎年あそこで行われている。一体なにごと?


「お水取り」の松明の燃えさし


観音様に恥ずかしくない行動で、ご自由にお持ち帰り下さい


燃やす前の松明はこんな感じらしい

「お水送り」と「お水取り」の行事は由緒が古く、古すぎて、何のことやら現代人にはさっぱり
わけがわかりません。いかなる呪法をもってして、若狭と奈良で水をやりとりする?


二月堂はなにも答えてくれない


東大寺博物館も見ていく

平成23年10月10日〜平成25年1月14日って、ずいぶん長い会期だなあ〜! どうなってるの、
これ。トコトコ出てきて公園を歩くと、すぐ奈良国立博物館につく。


坂本コレクション

中国古代青銅器を集めた坂本コレクションは、一見の価値ある。こういうものは、北京に行っても
見ることができない。台湾に青銅器の立派なコレクションがあるけど、台湾に行くのはそれなりに
大変だから、奈良にきたら是非ここだけは見たほうがいいと思う。


大仏より鹿せんべいより先決!


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