サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

膿の苦しみ

2020年10月28日 | サカタだよ

膿を出し切ると啖呵を切った人が、膿だらけのまま投げ出したので、どこもかしこも膿にまみれて、膿の苦しみが続きますね。

膿は膿を膿む

類は友を呼ぶように膿は膿を膿む。膿だらけの人が投げ出した後は、膿を出し切る気もない膿がさらに膿をあつめて腐敗の一途です。

自殺、共殺、公殺

フリップで掲げた「自助、共助、公助」が、「自殺、共殺、公殺」に見えました。まず自分を押し殺し、それでも出る杭は相互監視で打ち殺し、最後に公権力が必ず殺す……これを「自殺、共殺、公殺」と言います。そして絆で縛り上げます。規制改革で中抜きを維持します。膿です。

後は枯れ野となれ屍の山となれ

一部の人が恩恵に預かるためには多くの人の犠牲が必要です。犠牲にならないように頑張った人だけが報われる膿だらけの社会を、膿が膿を膿んで実現します。

嘘つきはドロボーのなれの果て

ステイホームで国会中継をみた子供が「嘘をつくと総理大臣になっちゃうよ」という時代です。嘘をつくとドロボーになっちゃう素朴な世の中は消え去り、地位を利用してドロボーを働いた人がバレバレの罪で逮捕されないために嘘をつく。領収書もないのに潔白だと嘘ついたり、診断書もないのに大病だと嘘ついたり。嘘つきはドロボーのなれの果て。嘘は嘘を呼び、膿は膿を膿む。

STAY FAT

STAY HOMEで太ってしまって、あきらめた人のことを STAY FAT といいます。考えようによっては「自殺、共殺、公殺」より「STAY FAT』のほうがまし、なんて油断してると危険かもしれませんよ。

骨身を削って脂身ついて

リモートワークは通勤がないから楽だなあなんて思ったら大間違い。始業と終業の区切りがないので自宅でエンドレス労働になる人がいっぱい……骨身を削って脂身ついて、STAY FATで悩む人なんて図太いほう。メンタル損なって自殺、共殺、公殺のプロセスまっしぐらになったら大変です。

善良は害悪

あくまで一例ですが「自助、共助、公助」なんて順序アベコベのプロパガンダを真に受けて、何もかもあきらめて自助につとめるのは公共の福祉に反する害悪です。公助を求める者を目の敵にしたり、共助で試合をボイコットしたスポーツ選手を差別したり。善良なつもりの害悪がうようよ。論理的な理解が困難そうなので端的に表現すると善良は害悪です。

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは政府の為さぬなりけり

いまの言葉になおすと「公助、共助、自助」となります。保守的な人が好む傾向にある上杉鷹山はお上ですから、政府を「人」と表現しました。要するにいまは人がいないだけかもしれません。膿が膿を膿み、成る事を為す気がない。

リニアよりリモート
 
利権になる案件ならば、成らぬ事をも為そうとする。リニアモーターカーなんて20世紀の古い夢です。オリンピックと同じで過去の幻です。成らぬ事なのに為そうとするので膿が膿を膿み、正常な判断ができなくなっています。リニアがいくら速いとしても、金のかからないリモートに及びません。お呼びでない。こりゃまた計画倒れでした。
 
膿とともにきたれ、膿とともに滅ぶべし
 
手塚治虫の『三つ目がとおる』の主人公で、三つ目族の末裔の写楽保助くんは「アブトル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク、われとともにきたり、われとともに滅ぶべし」という呪文を唱えましたが、膿が膿を膿むお友達の皆さんは膿とともにきたり、膿とともに滅ぶべし。
 
希望は人を失敗に導く信仰である
 
21世紀に比べれば素朴な時代だった19世紀の伝記の人物ヘレンケラーは、「希望は人を成功に導く信仰である」といいました。「水!(Water)」とも言いました。ところが、いまでは状況が変わり、人は希望をちらつかされて失敗に陥れられますから「希望は人を失敗に導く信仰である」ということになります。ドロボーの成れの果ての嘘つきが希望をちらつかせるからです。
 
 
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パンケーキおじさん

2020年10月22日 | サカタだよ

昔、あるところに、お坊ちゃんとお嬢ちゃんがいました。お坊ちゃんはホテルへお花見に、

お嬢ちゃんもホテルへお花見に行きました。そこへパンケーキがどんぶらこ、どんぶらこ。

どこからともなく流れてきました。お坊ちゃんとお嬢ちゃんは何をしても世間に批判され、

お嬢ちゃんはともかくお坊ちゃんは何もかも嫌になったので「誰か身代わりはいないかな」

と、いつも目を泳がせていたのでパンケーキに気づき、お嬢ちゃんと一緒に割りました。

 

するとパンケーキの中から、元気のないおじさんが出てきました。「パンケーキおじさん」

と名づけて、人気が出るようにパンケーキを食べさせました。つまらない顔でパンケーキを

食べて大きくなったおじさんは少し人気が出たので、お坊ちゃんとお嬢ちゃんの尻ぬぐいを

買って出ました。パンケーキさえ与えれば、どんなやつでも釣れると勘違いしたおじさんは

家来を集めるためにパンケーキをたくさん用意しました。

 

おじさんは冷たい目でイヌ、サル、キジに「パンケーキやるから家来になれ」と命じました。

イヌ、サル、キジにそっぽを向かれたので仕方なく、記者、記者、記者を土曜日の朝に集めて

「パンケーキ食って下僕になれ」と命じました。「毒まんじゅう」ならぬ「毒パンケーキ」を

食ってしまった記者たちは「何でも言う通り書きます」とパンケーキおじさんに誓いました。

パンケーキおじさんの濁った目が鈍く光りました。

 

「日本一の日本会議に逆らう、日本学術会議のけしからん学者退治じゃ!それ書け書きまくれ」

パンケーキおじさんが下僕の記者たちに号令をかけると、毒パンケーキを食らった記者が一斉に

かわいくないパンケーキおじさんを「かわいい」と持ち上げ、悪さをしていない日本学術会議を

こっぴどく誹謗中傷しました。デマを流して真実を隠蔽するのは記者の仕事なので、パンケーキ

おじさんは「毒パンケーキをもっと食わせてお坊ちゃんとお嬢ちゃんの悪事を闇に葬り去ろう」

と濁った目を鈍く光らせ、乾いた笑みを浮かべましたとさ。

 

 つ づ く

 

 

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目撃情報

2020年10月21日 | サカタだよ

複数の人から目撃情報が寄せられました。NHKのニュースに一瞬、サカタが映っていたと。

 

とうとう何かやらかしたのかと思って、どんなニュースか聞いてみたら、交差点でマスクをつけて信号待ちをしているところが一瞬、映っただけ。

 

よかった、犯罪じゃなくてと胸をなでおろしながら、どこの交差点? と尋ねると、一瞬だったからどこの交差点かまでは確認できなかったけど柄物のマスクをつけていたと、複数の目撃情報が一致しています。

 

柄物のマスク……そんなもの、つけたことないし所持してないから、ぼくじゃない。

 

そう言い訳しても信じてもらえない。本人がちがうと言ってるんだからサカタじゃないだろう、と主張すると、でもそっくりだったからドッペルゲンガーかもしれない。複数の人がドッペルゲンガー説を口にしました。

 

世の中には自分にそっくりのドッペルゲンガーが他に2体いて、両方に会うと命を落とすと言われています。

 

テレビに映ったドッペルゲンガーを本人は見ていないので、まだサカタはドッペルゲンガーに会ってないということで大丈夫でしょうか?

 

しかし、心当たりがないわけじゃありません。

 

初めて入ったお店で「あ、おひさしぶり」と言われることが最近よくあるのです。あいつだ、NHKのニュースに出ていた柄物マスクのドッペルゲンガーが、サカタより先にこの店に来たんだ。

 

柄物のマスクをつけたサカタそっくりのドッペルゲンガーはどうやらサカタの行く先々を先回りして荒らしてるようです。いや、出禁になってるわけじゃないし「あ、おひさしぶりです」と言われるくらいだから、どちらかといえば歓迎されているのかもしれない。地ならしをして回ってくれているのかも?

 

そっくりさんの評判を下げているのは、もしかすると自分のほうかもしれない。そう考えたほうが、すっきりするようなしないような。

 

いやいや、口は悪いけど性格はまっすぐなサカタだよ。もしもこれから先、ぼくが何らかの容疑で捕まるようなことがあったらきっと信じてほしい。無実の罪であることを。

 

実行犯はあいつだ。NHKのやつだ。柄物のマスクをつけて交差点でぼーっと信号が青に変わるのを待っていた、まぬけなドッペルゲンガーの仕業だと思い出してほしい。

 

そして犯人のブログとしてこの書き込みが拡散するようなことが、もしあったとしても、精神状態がやばかったとか情緒が不安定だったと片付けないで、あの人は悪くないんです。悪いのはドッペルゲンガーなんですと証言してください。

 

お願いです。やったのは、ぼくじゃないんです。ぼくにそっくりな、NHKのドッペルゲンガーなんですから。

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賢者の日

2020年10月14日 | サカタだよ

いろんな編集者がいます。

たとえば……コンテを描く編集者と、コンテを描かない編集者がいます。

コンテの絵がうまい人、うまくないけどわかりやすいコンテを描く人、情報量がとても多いコンテを描く人……

というより、コンテを描くのが好きな編集者や、それよりもっと大きなこと(ってなんだろう)をやるのが好きな編集者や、人と会ってグルーブやバイブスを感じるのが好きな編集者や、調べものが好きな編集者や、撮影をやり遂げることに充実感をいだく編集者や……よくわかりませんが多分いろんな人がいるんだろうと思います。

この人どうして編集者やってるんだろう? と不思議に思える人でも、きっと何かその人なりの楽しみを見出しているんでしょう。

でないと煩雑なわりに報われる機会がない、とても損な仕事ということになってしまいます。

何を隠そう、自分の場合は、文章を書くのが楽しくて編集者という手間のかかる仕事をやっています。

文章を書く編集者と、書かないで人に書かせる編集者がいます。どっちかというと後者のほうがエキスパートっぽい気がしますが、自分は前者です。

できれば毎号ちょっとずつでも自分で原稿を書きたい。

なるべく書きたくない人がどういう感覚でやってるのか、まったく想像つきませんが、文章を書くのが好きだから編集者どうにか続けてるタイプ(たぶんマイノリティ)がどういう感覚でやってるのかは理解できます。

他業種の人にわかりやすいように例えると、いざ原稿を書いているときが本番です。

あとは妄想か口説きか、前戯か後戯ですね。

新米のころ、「編集者の命は企画力」と教わりましたが、企画は妄想です。相手のこともよくわからないのに付き合おうとしたり、口説いたりするのが、いわゆる人選やアポ入れですね。

当たって砕けろみたいな発展家っぽいメンタルを編集者やってると多かれ少なかれ持つことになります。が、奥手な部分というか、相手のことは自分がいちばんよくわかってるし、自分がいないとダメに違いないし、自分が関わるのは相手にとっていいこと! と思い込む童貞パワー・処女パワーみたいなのも大事じゃないかと、スレてくるほど痛感するのが面白いところです。

簡単にいうと、自分が直に話を聞いて書いたら絶対いい結果になると思うパワーが必要だってことです。

文章を書くのが本番ですから、そこに至るまでのプロセスはすべて前戯みたいなものです。企画やアポ入れの段階から、前戯がすでに始まっているといっても過言ではないでしょう。絵作りが本番の人もいるかもしれませんが、文章が本番の人にとって絵作りというのは、文章を書くために必要なプロセスだから前戯です。もちろん前戯は大切にしますし、変化がついて盛り上がるように工夫を怠りません。

取材が本番という人もいる(会うのが目的で原稿は必ず人に書かせるのがこのタイプかも……?)と思いますが、文章が本番の人は取材中どう文章にしたら相手も自分も納得するか常に探っていますから、そういう意味で前戯に該当します。

いざ本番の文章を書く段階では大体トランスしています。自我をどこかに残しながら境界を越えるトランス状態です。ことさら身体表現するわけでもなく、奇声を発するわけでもないので、書いてるところを他人がみてもトランスというより事務作業に没頭してる姿でしかないと思いますが。

書いた文章の確認(校正)は後戯です。書いたら書きっぱなし、やったらやりっぱし、みたいなのは興醒めなので、どこか悪いところはなかったか、もっとよくするにはどうしたらいいか心を込めて見直すし、関係各位に目を通してもらいます。

すべて終了したとき、賢者の日がやってきます。

妄想なんかしたくない、とても口説く気分になれない、前戯も本番も後戯も今日はごめん。できない。気分じゃない。要するに仕事したくない日が、校正の最終日(校了日)の翌日ぐらいに訪れます。それでも、次の号の作業をしないと間に合わない状況になりがちなのが編集者です。だから割に合わない。

賢者の日が「賢者の半日」になったり、「賢者なし」で妄想タイム、口説きタイム、前戯タイム、本番タイム、後戯タイムになだれこむこともあるのが、泥水家業とよばれる編集者のさだめ。

わかりやすいようにたとえましたが、仕事を性的な目でみているわけではありません。

本当です。信じてください。

 

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ポエムなのか

2020年10月07日 | サカタだよ
べつに作ろうと思ってなくても、ぽわわ~ん! と五七五や五七五七七の文句が浮かぶことがあります。ツイートしたりフェイスブックに上げたりして、ある程度たまってくるとコピペして保存しようかな? と思い、前回は確か夏でしたね。「ポエムだけは」まとめちゃヤバイといいつつブログにまとめて保存(というか更新)しました。季節はめぐり今はもう秋、誰も読まないブログ……どうせ誰も見ないんだから、何もなかった2020年の夏から秋に浮かんで消えた五七五や五七五七七をここで供養しようかな。しかし、これはポエムなのか。なんかちがう気もする。
 
GoToで 自粛も何も 水の泡 夜の街より 昼のトラブル
 
あべそうり やられなくても やつあたり 外遊すれば やられっぱなし
 
コロナより 猛暑でステイ ホームだし オリンピックは 夢のまた夢
 
しんぞうは ずっと休んで いたけれど 面倒臭くて またズル休み
 
 
打つ手いらなきゃ 支持率いらぬ あたしゃもすこし 休みがほしい
 
 
夏を惜しみ 冷やし中華を ほらリフト
 
はじまりも してない夏が もう終わり
 
ながいだけ 中身空っぽ いつまでも 道半ばのまま やはり投げ出す
 
もしかして 死んだのかなと 思ったよ
 
卑怯者 ぼくはいいけど 大久保の 彦左衛門が 何ていうかな
 
10月の ブログのネタが 決まったよ まだ書かないよ 億劫だから
 
辞任して 功と罪とを くらぶれば 綺羅星のごとき ブラックホール
 
おしなべて みじめなもんだよ 芸能人
再発も してない病気に 同情票
 
ベスト着た おっさん同士 たのしそう LOVEがあったら もっといいのに
 
 
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オトボケず

2020年10月01日 | サカタだよ

前の日にラフを24ページ分がんばって描いたので朝から疲弊しており、午後はオンラインで会議や取材や打ち合わせがあるけど午前中に誰とも約束がないので、リモートワークをいいことに通勤電車にまぎれて竹橋の東京国立近代美術館へ足を運び「ピーター・ドイル展」をみた。そのあと帰宅するのが嫌になって地下鉄東西線に乗ったまま早稲田まで運ばれてしまい、いちおう母校なので久しぶりにキャンパスをひやかそうと地上に出た。コロナのせいで人がいない。文学部キャンパスに入り込んで奥のベンチに腰かけ、昔よくここで本など読みながらウォークマンで音楽を聴いたものだと記憶をたどる。あれから30年。やはり本など読みながらウォークマン(のデジタルプレイヤー)で音楽を聴く。何も進歩がない。

文学部キャンパス、文キャンには他にも本を読むのにふさわしい空き地がいくつかあり、1か所に飽きると次へ移りながら講義と講義の間の90分なり時間つぶしをする習いだったのに、それらの空き地がつぶされて無用の高層ビルが林立している。どうせコロナで誰もいない。プレハブだった図書館はカジュアルで利用しやすかったのに、現在の図書館は部外者が入れる雰囲気じゃない。そばにうどんが混ざってくる学食はカフェテラスに変貌してコロナで休業、学食だった場所にある生協もコロナで休業だった。ゴーストタウンか。

空き地をつぶして林立する高層ビルだけじゃ満足できなかったのか、地下2階まで掘り下げて何らかの施設を構築してある。もちろんコロナで誰もいない。このキャンパスの隣には感染研があったし、いまもある。ウイルスの取材に行ったこともある。そのころすでに地下施設がこのように完成していたのかもしれないが、立ち寄らなかったので気づかなかったし想像さえしなかった。林立する高層ビルぐらい目に入ってもおかしくないが、意識してないせいか脳内に像を結ばなかった。

あまり無人のキャンパスをうろついても仕方ないので校門を出て、信号を渡ったところにある老舗のそばや三朝庵でざるかせいろでもと思ったらコンビニのファミリーマートに化けていた。吉永小百合が立ち寄ったとか、タモリがあこがれの吉永小百合とそばを食べたとか、ソースかつ丼の元祖だとか、いろいろエピソード豊富なそばやだったが、そうかもう店はないのか。どうしよう、お昼ごはんの当てが外れた。そばでもすすって帰宅して、午後のオンライン仕事に備えようと思ったのに居場所もないし食べたいものもない。

すぐ隣にあるキッチンオトボケ……500円台、600円台の値段が安くカロリー高い定食を昔よく食べたけど今はちょっと、そういう気分じゃない。なにしろ、そばの気分だったから。バブルの頃はこの店で居合わせた大学生が定食を口に運びながら、クリスマスのデートにどこそこのディナーを予約したとか部屋を予約したとか自慢話に花を咲かせていたけれど、いまにして思えば安い定食を食べながら高いディナーを語るおかしな時代だった。あれから30年。みんなどこへ消えた? 死んだわけじゃなくて家でおとなしくしてるのか。オトボケに入らず……オトボケず、家に帰っておとなしく仕事した。

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