さよなら三角ではないけれど、もしも人間失格ならお別れだし人間合格なら前向きにいくとして、どちらでもない人間三角ならどうするか。マルでもバツでもない三角の人はズルズルと続けざるをえない……それが普通です。
人間十五年
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢まぼろしの如くなり……と頓死した天下人は、人間合格だったのか人間失格だったのか。少なくとも人間三角ではなかった。いまや人生百年時代というデマが流布してますが、実際のところ人間十五年で合格か失格か三角かだいたい決まります。
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さよなら三角ではないけれど、もしも人間失格ならお別れだし人間合格なら前向きにいくとして、どちらでもない人間三角ならどうするか。マルでもバツでもない三角の人はズルズルと続けざるをえない……それが普通です。
人間十五年
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢まぼろしの如くなり……と頓死した天下人は、人間合格だったのか人間失格だったのか。少なくとも人間三角ではなかった。いまや人生百年時代というデマが流布してますが、実際のところ人間十五年で合格か失格か三角かだいたい決まります。
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テレワークでもリモートワークでもノマドワークでもなんでもなく、ただ会社のほうに行く気しない。
そんなときはスタバで資料を読んだりスマホで連絡業務を行ったりします。いまでは全国にスタバが
あるので身を隠す場所に不自由することもありませんが、1996年には銀座の松屋通りにしかなかった。
そのころはセイレンのシンボルのまわりにSTARBUCKS COFFEEのロゴが入ってましたけど、シンボル
だけ残してSTARBUCKS COFEEのロゴをなくしたのは西暦何年だったか……そんなことを考えながら、
ふと上を向くとセイレンのシンボルが斜めになっています。あれって、おしゃれのつもりでしょうか。
それとも目立ちたいのか。怪しみながら、よく観察したら下のセイレンが斜めの窓に映っているだけ?
こんな目にばかり遭う毎日ですよ。
傷ついた心を抱えて仕事をすべて投げ出し、ビールを飲みに来ました。ここでも裏切りに遭いました。
団塊の世代の先輩たちは昭和の末期になっても、米帝が日本を植民地支配してると馬鹿みたいなことを
下の世代のぼくたちに言い聞かせて、やがてバブルに浮かれて言わなくなりましたが、あながち嘘でも
デマでもプロパガンダでもなかったようです。生ビールが、おなじ680円を払っても植民地の日本人には
中サイズが出され、アメリカさんには Large サイズが出される証拠があからさまに示されて隠すつもりも
ないようです。 Large が大であることぐらい黄色い猿にも分からいでか。米帝の搾取から目をそらすため
漢字まで偽装しています。正しくは「一番搾り」なのに「一番絞り」と嘘ついてる……嘘をついてまで、
大きなお友だちと仲よくしたいのかって団塊の世代ならアジるところですよ。
そんな団塊の世代を対象にしとるんですかいのう……自己申告ということは、わしでも65歳じゃと
言い張れば5%割引きにしてくださるんかいのう? いまどきそんなしゃべりかたの65歳おらん
ちゅうて、身分証明書の提示を求められたりせんかいのう? 月に一度、5%ぐらいなら年齢に
関係なく誰でも値引きしたらええんじゃないですかいのう? そこまでシニアに恩着せがましく
することに、いったいどんな意味があるんですかいのう? 年取るとひがみっぽくなってしもう
てのう、あいすみませんことですわいのう……
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先日ふと気づいたのですが、いつのまにか五十になってました。同級生がみんな五十らしいから
順当にいくと自分もたぶん五十なのです。人間五十年、であるか……昔なら命を絶つ頃合いです。
本能寺を下郎に取り囲まれなくても、そっとひとり山に入って食を断ち、終わらないダイエット
で楢山節考のような口減らしに甘んじて年金受給しないことを政府の下郎は望んでるようだし、
会社の給料は五十でピタッと上がらなくなって五十五からは下がる一方だし。
そんなある日、とあるライターさんがカボチャをぼくにくれました。撮影したカボチャのようです。
南米とかスペインとかで好んで食べられるバターナッツナントカという種類のカボチャなんですが、
「これに顔を描いてくれ」というリクエストつきでした。ぼくがカボチャだということをご存じで、
十年も同じカボチャも何だから新しいカボチャにしてはどうかという親切のようです。
それで描いた顔がこれです。PCのモニターに出てるのが十年前、ぼくが四十のときに描いてTwitterの
アイコンにしてるカボチャです。( @sakatadayo ) 五十になったら薄汚いヒゲが生えてしまいました。
じつは三十七か三十八ぐらいから薄汚いヒゲはずっと生えてるのですが、一度目のカボチャに描いた顔
は三十三ぐらいの自分をイラストレーターさんが描いてくれたのを模写したのでヒゲがまだないのです。
顔も二度目なら少しは上手にヒゲのメッセージ伝えたい。中森明菜セカンド・フェイスです。
五十年もぼく何やってたんだろう……と思いながら、先日インタビューした人がぼくと同じ五十でした。
秋田の中学校でバスケをやってたころ深夜のプロレス番組でタイガーマスクを見て衝撃を受け、いつか
自分もプロレスラーになりたいと思ったそうです。同時期ぼくは練馬の中学校でバドミントン部の帰りに
駄菓子屋でつまらないものを買い食いして顧問の菊池先生に告げ口され、区大会出場を禁じられました。
ダブルスでペアを組んでいた太田君には申し訳ないことをしたと今でも思っています。
高校でレスリング部に入り、カラダを鍛えて先輩にしごかれ、大学のレスリング部で技術を磨きながら
先輩にしごかれ、中退してプロレス団体UWFインターナショナルに入門。同時期ぼくは高校で化学部に
入り、月刊プレイボーイに掲載されたマドンナのデビュー前のつまらないヌードを見てたことを顧問の
井田先生に告げ口され、プレイボーイを没収されたまま大学では特に何もせずぶらぶら遊んで卒業して
マガジンハウスに入社……そして気づけば五十でした。
歩んだ道は違うけど顔の傾向は少し似てるかも。プロレス団体で経験を積んで、90年代後半に総合格闘技
で才能開花。PRIDEでグレイシー(ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアン)を次々と撃破したそのころ、
ぼくはアンアン編集部にいて才能開花することもなく特集(ファッション、メイク、恋愛、インテリア、
ヘアスタイル、etc...)に次々と撃破され続けていました。グレイシーハンター、IQレスラーと呼ばれて
HERO'SやDREAMに活躍の場を移した2000年代、ぼくはターザン編集部に移されました。
そしてインタビューにいってヒールホールドをかけられました。言葉で説明するよりカラダで感じたほうが
早いから。たしかにそのとおりです。このようにして伝授された身体言語のエッセンスはただいま発売中の
Tarzan787号の「感覚的身体論」のページに掲載されています。全3回で次号(5月28日発売の788号)以降、
つづきが載るはずです。人間五十年、ただぼんやり生きてきましたが、密度の高い格闘技人生を歩んできた
尊敬すべき五十のファイターと身体で語ることができて、悪くない人生だと思いました。
アキレス腱固めをかけられても記者は
レコーダーを離しませんでした。
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引き出しを開けるとルーペが入っている。もうライトテーブルないし、フィルムでレイアウトする機会ないし
使わないのに捨てられない。デジタルで全部やるようになる前(たぶん15年ぐらい前まで)は、ルーペなきゃ
仕事にならなかった。編集者みんなルーペの1個や2個ぐらい所持してた。
ポジ袋に入った35㎜フィルム(通称サンゴ―)も出てきた。これをライトテーブル(下からの透過光で照らす
テーブル)に並べて、ルーペでのぞき、どの写真を使うか選んで印をつける。カメラマンがあら選びしたのを
編集者がみて印をつけ、スタイリストがみて印をつけ、キャップがみて印をつけ、副編集長がみて印をつけて、
編集長が決めて印をつけたのをアートディレクター(デザイナーのボス)に渡す。半日がかりだった。
印をつける筆記具がこれ。ダーマト、ダーマトと呼んでたけれど正式な名称はダーマトグラフというらしい。
ガラス、金属、プラスチックなどに書ける特殊芯を使っていて水で消せる。油分の多い太めの芯を紙で巻き、
タコ糸を引いて紙をクルクルはがして芯を出す。ビニールのポジ袋に印をつけたり、こすって消したりする
のに便利だったけど、フィルムを使わなくなったら出番がなくなった。使わないのに捨てられない。
ルーペと違ってダーマトはまったく使わないわけではなく、たまにレイアウト紙や校正紙の写真や地色の上に
赤字を入れる必要があるとき、ボールペンや水性ペンよりダーマトのほうが油分が多くて書きやすいので使う。
しかし極たまに。ゆえに減らない。引き出しの中に1本だけあるのを何年も何年も、何年も何年も使っている。
不動産デベロッパーの友人は父親がダーマトをいろいろ持っていて、削るのが面倒くさい人のムキムキ色鉛筆
とか呼んでいたそうだ。ぼくは時代劇で悪い人が美女の着物の帯を引いてクルクル脱がせるアーレー色鉛筆と
胸中ひそかに呼んでるが、これは内緒である。
ポラも出てきた。フィルムのころは撮った写真をすぐチェックできなかったから、だいたい見当つけるために
ポラを撮って、1分ぐらい「ポラ待ち」してから本番を撮った。(手際がいいカメラマンは本番撮っちゃって
最後にポラを確認して少し撮り方を変えたりした) タレントさんのポラにはサインをもらうケースもあった。
ちなみにこれは佐藤江梨子さんのポラとサイン。やはり15年ぐらい前か。ポラについては10年ほど前ブログを
書いたことがあるのでリンクを貼っておきまーす。
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うちには犬と猫がいる。犬は1匹、猫は2匹……犬はだいたい猫ぐらいの大きさで、犬より猫たちの
ほうが先にいたので犬はそれらを兄のように慕いつつ、見習いつつ成犬になったから仕草が猫っぽい。
キャットフードを食べてるせいかもしれない。いつも猫たちと行動を共にし、猫たちに嫌がられても
ついていく。犬は身体能力が低いから、猫たちが高いところに上るとやむをえず下で過ごす。
犬がしつこいと猫はテーブルの上や棚の上、窓辺などに飛びうつって身をかわす。いつも犬を避けるか
というとそうでもなく、床で一緒に丸まっていることもある。そんな様子を見慣れていると、犬と猫は
どちらも人間の膝に乗るぐらいの、ちょうどよい大きさと勘違いしそうになるけど、猫と違って犬には
超小型犬から超大型犬までサイズのバリエーションがある。猫にはない。
猫はせいぜい、超小型犬か小型犬ぐらいのサイズに収まる。もし中型犬ぐらいの猫が飛びついてきたら
ギョッとして人間は身をかわすし、中型犬ぐらいの猫があの身体能力でかかってきたら人間はおそらく
勝ち目がない。いわんや大型犬や超大型犬をや。地を這いまわるだけの犬であればセントバーナードや
ドーベルマンやシベリアンハスキーが走ってきても飼い主にはかわいく見えるだろう。しかし大型の猫
とか超大型の猫(例・セントバーナードぐらい)があの跳躍力で、音もなく空中殺法を仕掛けてきたら
命がいくつあっても足りない。人間はひとり残らず狩られてしまう。
そこに猫の陰謀がある。犬科の生物はサイズがどんなに違おうと、「犬です」という顔をして人間に
近づいてくるけれども、猫科の生物は小さいやつだけ「猫です」という声で鳴いて中型以上の猫族を
野生に追いやってしまった。ライオンや、トラや、ヒョウや、チーターたちも本来は同じ種族なのに
小さいやつらがニャーとかミューとか声色をつかって人間に「猫です」と信じさせることに成功した。
その証拠に猫どうし鳴き声でコミュニケーションをとることは稀で、あれは人間に聞かせるための声
だと多くの猫本に書いてある。
犬は犬どうし吠え合って何かを伝え合うが、猫は猫どうしジェスチャーで何かを伝え合うばかりだと
どの猫本にも書いてある。人間に対しても、犬と違って猫はむやみに鳴かないしまっすぐ見つめない。
むしろ目をそらす。あれは自分がライオンやトラやヒョウやチーターとは違う「猫です」と偽装して、
正々堂々としていない後ろめたさの表れだった。猫はみんな嘘ついてる。
そのことに気づいたのは、博物館にある犬の骨格はサイズがまちまちなのに猫の骨格はサイズが同じ
であることに疑問を感じ、あの生物に疑惑の目を向けて観察した結果である。猫の陰謀はもうひとつ。
どんな猫本にも、猫を撫でたり抱いたり膝の上に乗せたり腹の上に乗せたりしたときゴロゴロゴロと
喉を鳴らすのは「甘えてる」のだと書いてある。どうやってあの音を鳴らしてるのか誰もわからない
とも書いてある。そうやって油断しているといい。あのゴロゴロゴロゴロは、ライオンやトラの咆哮
そのものだと気づかないのは迂闊である。ガルルルルルル……とゴロゴロゴロ……。
猫の気持ちも知らないで、ゴロゴロゴロと喉を鳴らす猫をかわいがり、猫なで声で話しかけていると
犬歯をむき出しにした猫が急に喉笛に噛みつき、野生の本性を顕わにして鋭い爪で目を攻撃してくる。
なにしろライオンやトラやヒョウやチーターと同種の生物なのだから、甘えているなんて勘違いして
相手に腹を見せた無防備さを悔いても遅すぎた。猫の陰謀にまんまとハマったのである。