昔エレアのパルメニデスは「有は有るが非有は有らぬ」といったそうだが人が頭で考えることは有ではなく非有なのだとすれば有らぬのかもしれない……こんな憶測も非有だったら有らぬわけだが、しかし有らぬこともないではないか? そう思わぬこともなかった。
「ズ」をつけてる本屋さん初めて見たかも。
ノベルズとライトノベルが混ざってる……しかも棚にあるのは漫画ばかりというカオスっぷり。
頭が痛いよ兄さん! しかし応えてくれる兄さんなど存在しなかった……秋。
リモートワークなどと称して近くの喫茶店で仕事してると見る気がなくても職場の窓から社員の動静が伺えたり、玄関を出入りする人々の素の表情を観察できたりして、我ながらストーカーのようだと思ったけど、そこまでの執着がなかった。
新宿三丁目のあの映画館でこの映画みたら上映終了25時……もう電車ないから、そこらの狭いディスコで始発電車が動くまで静かに過ごそうかなと思ったのに、そんなディスコとっくの昔になかった。
マサチューセッツ工科大学(MIT)に対抗して、TIT(乳首の意あり)と自称した東京工業大学に友人がけっこう多めに進学したからTITには割と強く親しんでるのに、統一が好きな政府のせいで東京医科歯科大学なんかと合同結婚式みたいなことを余儀なくされたので、ぼくの大好きなTITは金輪際どこにもなかった。
ただのOLだった私が一念発起、山伏生活で通販ビジネスを始めて1か月で10万、3か月で100万達成! とネカマになってTwitterに複数アカで書き込みまくったけど、ただのOLでも山伏でもなかったし達成した10万とか100万は収入ではなく借金の額だった。
よく立ち寄るチェーン店でコーヒーのLを飲むといつも私は偏在する永遠の霊体に戻り、その一部がこの肉体に宿るのもあと10年か20年……せいぜいその程度だろうか。あちこちガタがきてるようだから気をつけて使わねばと思うのだが、そんな霊体なかった。
柿食えど鐘が鳴らぬは法隆寺……しかしそんな法隆寺もなかった。
死んでも償えないほどの罪を積み重ねた暗愚な世襲の政治家が実際に暗殺されたことや正式な手続きを踏まず国葬されたことを当然と受け入れるべきか不当だと反駁するべきか、それ考えると眠れなくなっちゃうかと思ったら全然そんなことなかった。どちらも不当に決まってた。
GUNS N’ ROSESが来日する度に思い出すのは大学1年の語学の講義を2〜3回サボって1週間ぶりか何かで出席したとき、渡そうと思って待ってたとかいってカセットテープにダビングした1枚目のアルバムを埼玉か神奈川かどこかの女子がくれたこと。頼んだ覚えないし、雑談で話題にしたかどうかもわからないけど聴きたかったのでありがとうといって受け取り、常に持ち歩いてたウォークマンですぐ聴いた。気に入って何回も聴いたわりに、くれた子とその後とくに仲良くなるでもなく、すっかり忘れていたけど前回の来日で会場に彼女が来ているのを見かけて声をかけようかどうしようかと迷ってるうちに機会を失った。今秋また来日公演があるので、チケットを買えば再び出くわすこともあるかもしれないと先行予約の抽選に応募してみた。みごとに外れたのでもう行くの諦めた。前回、会場で行き違った女性も今にして思えば赤の他人だったんだろうし、どっちみち確かめようもなかった。
柿を食べて心底おいしく感じたことがないだけに柿が原因となって殺戮の応酬が繰り広げられる物語(さるかに合戦)を反芻すると悲しみが止まらないのは杏里と自分だけかと思ったのに、杏里は多分そうでもなかった。自分だって悲しみが止まらないことはなかった。
タピる……平安時代だったらラ行変格活用で「らりりるれれ」って北斗神拳のケンシロウに秘孔を突かれたザコキャラのごとく爆裂するかな? と想像しながら口に運ぶも、爆裂なきこそをかしけれ。
だれもが梯子を登りたいと願ったのに、そんな梯子なかった。
毒キノコに注意だなんて本当はおいしいから採って食べられないように嘘ついてるんじゃないかとキノコ鍋にして食べてみて毒にあたって死んじゃう自分のことを想像したけど、想像するだけで食べることはなかったので気づいたらまだ生きていた。
中古バス有り11台35万より各種といわれても、まったく購買意欲なかった。
好きなものばかり握ってもらえば豪勢になるかと期待したけど色取りに華やかさというものがなく、おのれの美的感覚のなさと浅ましさを恥じた。
戦争の焼け跡から復興をなしとげて国民主権の法治国家として経済大国になったと多くの人が中流意識を持ったのも束の間、あれよあれよと経済は破綻して貧困層と富裕層に二極化し、もはや富裕層が貧困層を犠牲に好き放題やるだけで経済大国でも法治国家でも国民主権でもなかった。
立ちまろうって何だろう? って二度見したら立ち止まろうだった。絵に見えた止が目に入らなかった。つい立ち止まる効果は偶然あった。「なかった」ネタじゃなかった。
明治のカレーをひと口たべると当時のことをありありと思い出す。入隊すれば、1日3食ちゃんと食べられる……しかし明治のカレーなど口に運ばずとも、令和の隊が同じ誘い文句で経済徴兵してるではないか。まったくもって明治のカレーがもたらす幻影じゃなかった。いかにも現実だった。
平成は完食できたメガ盛りカレー(トンカツ・メンチカツ・コロッケ盛ってあるやつ)令和の現在も完食できるかチャレンジしたくても店がもうなかった。
おせちに飽きたら執事のアルフレッドが洋ものを用意してくれた。アルフレッドもこういうのが慣れてるだろうに黒豆を煮たり人参と大根を紅白なますにしたり毎年おせちを拵えてくれるのだが三賀日にかまどの火を使う料理を求めてしまい少しは申しわけなく思う。今夜はカレーでも作らせて翌日もカレーで通そうか。明日は気が変わるかもしれないのが悩ましいところだが、そんな執事のアルフレッドなどうちでは雇ってなかった。白昼の夢初めだった。
新宿中村屋のカレーを食べると生みの親のインド独立活動家、ボースの提案もあってインパール作戦で何万もの人が飢えと病で死んだ(戦闘での死亡より多いので完全に大本営の作戦ミスだった)ことを思い出さずには味わえないから、今日のところはカレー食べなかった。
喫茶店に入ってコーヒーを飲むのは貴族だと昭和の高度経済成長を迎える以前の日本人を描いたマンガのお兄さんはいうけれど、わたくし1日に何度も喫茶店に入ってコーヒーを飲むことがございますが貴族ではございませんことよ……そんな言葉遣いもしたことなかった。貴族は紅茶じゃないか? と思ったけど確かなことは分からなかった。
刑事だった頃のなごりかな……わざわざ秋葉原駅のミルクスタンドでアンパンと牛乳を腹に入れたくてまわり道したけど、よく考えたら刑事だった時期などなかった。ミーハー雑誌の編集者ぐらいしかやったことなかった。