サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

消えたファイル

2010年11月24日 | サカタだよ
〔 誰にも読まれないページのゆくえ・・・の巻 〕

定例というのは雑誌の連載のことで、特集の反対語です。

『ターザン』では、編集者が定例を各自2~3本ずつ担当しながら特集を作っています。

毎号、できたページを定例のタイトル別にアルバイトさんがファイリングします。

新しく始まる定例もあれば、最終回を迎える定例もありますが、ファイルはすべて保存しているので
増える一方です。とうとう置き場所がなくなってしまい、セクスィ~編集長の決断により、数年前までに
連載終了した定例のファイルが処分されることになりました。

いざとなると惜しいものです。

過去に担当した「スポーツ商品学(現・What’s In)」や「Tarzan Express(現・Tarzan Trend Tracker)」、
「Tarzan of The Month(巻頭インタビュー/終了)」や「ロッカールーム(巻末ドタバタ読み物/終了)」、
「Jane’s Style(美女のグラビア/終了)」や「須藤元気の美女アスリート発見伝(終了)」のファイルなど
見返すと、時の経つのを忘れます。

どうせ捨てるものだからと、退職した先輩に古い定例のファイルを送ったところ、非常に喜ばれました。

が、副編集長の提案により、古いファイルの破棄に「待った」がかけられ、結局はファイルが保管される
ことになりました。先輩に送った分についてはもういいですよね? 取り戻さなくても。

(担当・ロッカールーム3代目管理人サカタ)



--Tarzan2010年11月25日発売号(570号)メールマガジンより--
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すもう

2010年11月17日 | サカタだよ
それはまだセクスィ~編集長が角刈りだったころ(17年前)、とある大学の相撲部に泊り込みで
体験取材にいったことがありまして、まがりなりにも社会人だった角刈り新米編集者(当時)は、
一年生部員といっしょに早朝から稽古場のおそうじを一所懸命やったそうです。

先週、うちの新米編集者がその相撲部にアポイントの電話をかけました。きっと説明の仕方が
よくなかったのでしょう。電話に出た方に不審な思いを抱かせてしまったようです。

「まあしかし、ターザンには昔いい奴がいたからなあ……」

ポツリとつぶやく電話口の人。うちの新米編集者は、どんな奴だったか聞いてみました。すると、
なんということでしょう! 17年前に角刈り新米編集者(当時)といっしょに稽古場のおそうじを
早起きしてがんばった一年生部員(当時)が、職員として電話応対しているではありませんか!

「その角刈りはいま、肩まで髪が伸びてターザンで編集長やってます!」

17年という歳月は人を角刈りからロンゲに変えてしまうのです。

電話応対している職員さんも歳月の流れに感慨を抱いた様子で、うちの新米編集者のお願いに
耳を傾けてくれるようになりました。駆け出しの角刈りがおそうじを一所懸命やったからこそ、
こうして部下の用件が真摯に検討してもらえるわけです。

結局のところは即断即決で、スパッとことわられたそうですが、それはいいじゃないですか!
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コーヒー

2010年11月10日 | サカタだよ

スタジオはコーヒーが飲めていいなあ。



昔は編集部にもコーヒーメーカーがあって、仕事しながら好きなときにコーヒーが飲めたけど、
2008年の初夏だったかな? まだリーマンショックが来るまえだったのに、節約のためといって
カメラデスクの当時のキャップがコーヒーメーカー撤去したんだよね。

「ロッカールーム」の連載が続いていたら絶対ネタにしたはず。いまの編集長に交代した2008年の
初春に「ロッカールーム」が連載終了して、直後だったよ。コーヒーメーカーが撤去されたのは。

同時にミネラルウォーターのサーバーも撤去された。水の供給を絶たれて、コーヒーも奪われて、
いい職場だと言われてもね。

名刺の外注が廃止になって、社内のカラーコピー機で作ることになったのって、いつだったっけ?
まだまだリーマンショックは来ていなかったと思う。スタジオの売却も、福利厚生施設の売却も、
例のアメリカ第4位の投資銀行が経営破綻するまえだった。

残業深夜帰宅のタクシー利用が原則として禁止になったのって、リーマンショックの後だったかな?
飲食費の精算が、「緊急避難」としてギュッと絞られることになったのは、2009年1月だったね。

定期昇給の凍結、社会保険の自己負担率アップ、早期退職者の募集、給与の一律カットなんかは
どれもこれも、リーマンショック後の状況を理由に行われることになった。

以上、そのうち忘れてしまうから記憶を整理してみました。いつものように「ですます調」で書くと
なんだか湿っぽくなっちゃうから、フランクに書いてみたよ。

禍福はあざなえる縄のごとし、といっていいのか悪いのか・・・・・・。今年の春に早期退職した元社員が、
ターザン編集部にコーヒーメーカーを寄贈してくれた。2年ぶりにコーヒー飲みながら働ける!
このありがたさ、筆舌に尽くしがたし。

でもね、しばらくしたらコーヒー豆が、底をついてしまって。



バイトくんの書いた貼り紙が、悲しくてやりきれない。

悲しくて悲しくて、とてもやりきれない。このやるせないモヤモヤを、だれかに告げようか。
この限りないむなしさの、救いはないだろうか。

この燃えたぎる苦しさは、明日も続くのか。

・・・・・・思い余って、ある日コーヒーの粉を買ってきて、バイトくんにあずけた。過去2年の間に、
スターバックスやドトールやタリーズやスワンカフェでコーヒーを買う習慣がついているから、
そのことはしばらく忘れていた。

ある日、買ってきたコーヒーを飲んでしまい、校正待ちか何かでとっても手持ち無沙汰になって
「そうだ!トシリュ-(元社員)さんのコーヒーメーカーがあるじゃないか!」と喜び勇んで
装置に紙コップを置くと、変な貼り紙が目に入った。


 

「坂田さんがコーヒーの粉を寄付して下さいました。ありがとうございます」
 

貼り紙が悲しくて粉をあずけたら、よけい悲しい感じで、サカタはコケた。

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陣さん

2010年11月02日 | サカタだよ
『ターザン』の編集長は早死にする! そんなウワサがまことしやかに囁かれています。

1986年創刊の『ターザン』は現在、6代目のセクスィ~編集長(愛称)がリードしていますが、
セクスィ~編集長に死亡フラグが立っているわけではなく、つい先日、3代目編集長が63歳で
他界したばかりで、まさかこんなに早く亡くなるだなんて誰も思っていなかったものですから、
『ターザン』の編集長は・・・・・・という話になっているようです。

ちなみに、2代目編集長も還暦を過ぎたばかりで先だって亡くなりました。人生これからという
時期に急いで向こう岸へと旅立っちゃうなんて、2代目も3代目もアクディブすぎやしませんか?
初代、4代目、5代目、6代目は健在ですが、みなさんアクティブすぎて俄かに心配されます。

さて、3代目編集長は『ターザン』編集部ではもちろん、社内・社外の非常に多くの人々から
陣さん、陣さんと慕われていました。葬儀は既に内輪で行われましたが、銀座のホテルで今週
有志によるお別れ会が催されます。サカタも、参加するつもりです。

1994年に入社したとき、『ターザン』の編集長だったのが陣さんです。サカタは製作部といって、
用紙・印刷・製本のコストと進行の管理部門に2年間いました。陣さんは、暇だからではないと
思いますが、毎日のようにフラッと製作部に現れて、世間話をして帰っていきます。ときには
特大号の用紙がどうの、再生紙だけで雑誌が作れないかだの、仕事っぽい話もして行きますが、
どちらかというと和みに来ているような体でした。きっと同じような感じで社内をめぐっては、
編集長として関連部署とコミュニケーションをとっているんだろうなあと新入社員のサカタは
想像していました。実際のところは、どうだったんでしょう。

「いいところに連れていってやるよ!」なんて眼光鋭い陣さんに誘われて、のこのこ付いていくと
銀座のクラブで、そこで陣さんが何を話してたか一切もう思い出せませんが、忘れられないのは
いつのまにか宣伝部長とクラブで合流して、陣さんが甘え上手な感じになると、すべての払いを
宣伝部長が持ってくれたことです。なんとなく、最初からそうするつもりで新入社員のサカタを
連れ出したように思えてならず、「こういうやり方もあるのか!」と目から鱗が落ちましたが、
実際のところはどうだったんでしょう。

夜の陣さんは怪しい人でしたが、昼の陣さんは厳しい人でした。新入社員の研修に際しては、
「人を立たせて指示を出すな。ちゃんと原稿料を払えよ」と、至極まっとうなことをゆっくりと
話します。よっぽど大事なことなんだろうなと思って、この2つはずーっと肝に銘じています。
「編集者の基本は3つ。挨拶ができること。時間が守れること。思ったことが話せること」
という話も、よく覚えています。実践できるようになったのは、ごく最近ですが。

思ったことを素直に話すというのは、とても難しいことですね。

憎まれ口も含めて見習うべきところの多い人だったと、いなくなってから思います。
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