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やぁ、みんな。サカタだよ。

新聞紙

2024年03月05日 | サカタだよ

ちかごろは読んだ朝刊をバッグやコートのポケットなどに差したまま持ち歩き、次に新しい新聞を読んだら(翌日の場合もあれば数日後の場合もあるが)古くなったのを捨てて、読んだのを代わりに差して持ち歩く。そうすれば震災時、ヘルメットになるし、防寒具にも寝具にもなる。汚物や体液を吸い取らせることもできるし、ちぎってメモ用紙にすることだって可能だ。

新聞を読むとバカになるといって、幸田露伴は家族に読ませないようにしていたという。テレビを見るとバカになるという意見と、新聞を読むとバカになるという見解はおそらく趣旨が同じだろう。永井荷風はラディオ(いまでいうラジオ)を憎み、夕方から夜にかけてラディオを禁じる玉の井(←私娼を選ぶ客の妨げにラディオがなるから)に通っては『濹東綺譚』を書いた。ラジオを聞くとバカになると思っていた節がある。

バカになるのは新聞もラジオもテレビも一緒だとして、新聞がラジオやテレビよりも優れているのは内容ではなく紙があとから何かの役に立つところ。大昔は弁当を包むのも風呂の焚き付けも新聞紙だった。いまでは新聞も読まれなくなり、弁当にも風呂にも新聞紙を使う機会がなくなったので、窮地に陥って紙がないときは福沢諭吉か7月3日から渋沢栄一の顔を印刷した紙幣でも使うしかない。

ところがキャッシュレスで(というより貧困化で?)都合よく紙幣の持ち合わせなどありはしない場合に備え、バカになるのを辛抱して朝刊のベタ記事にでも目を通し、ためいきをついて新聞紙を折りたたみバッグやコートのポケットに差し込む。するとどういうわけか、無精なヒゲ面のせいもあるのだろうがホームレスっぽさが何となく漂いはじめる。

バックパックに詰め込んだ防災装備を担いでるせいもあるだろう。いつ何時も被災の可能性に備えているということは、いつ何時も家を失うかもしれない(=ホームレスと紙一重)と意識しているわけで、つい己のイメージを路上生活者と重ねてしまう。憧れがないわけではないので、それすら自惚れじみた幻なんだろうと考えると、人の目にはありふれた、どうということのない、毒にも薬にもならない中高年に見えてるっぽいのは心外でないこともない。

 

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