サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

異動日記

2021年02月17日 | サカタだよ

12月16日(水)

2020年はろくなことがなかった。前日リモートワークしていたら総務からメールで呼び出されたので約1週間ぶりに出社。11月にコロナ対策でなぜかインフルエンザ予防接種を全員受けろと通達があり、意味がないと考えて受けずにいたから叱責されるのかと思ったらそうではなかった。最上階の会議室に出向くと、人事異動の通達だった。翌年の秋に広告進行業務の担当が定年退職するから、業務を引き継ぐために編集の現場を離れることになった。数年前ターザン編集部からHanako編集部に異動したときは走馬灯のように思い出が蘇ったのに、Hanakoからクロワッサンに異動したときも、クロワッサンからターザンに出戻ったときも、今回も感慨は特になかった。出社ついでに経費の精算でもと思ったけど何となく手につかず、編集部を出てリモートでイラストの依頼など1月28日発売803号の作業をこなす。抱えている2月25日発売805号でターザンの仕事は終わりだろうか。

12月17日(木)

803号のイラスト資料用にスマホで写真を撮るべくスタジオに先生を招いた。水着、キャップ、ゴーグルを装着いただき、あんなポーズこんなポーズそんなポーズ撮った。同い年の男性と2人きり。こういう経験も異動後ないと思うと切ない。異動の通達は昨日で発令は明日と聞いたが、そんなに急いで会社はどこへ行くのだろう。以前は発令の2週間前に本人に通達して、1週間前に組合にリストが渡され、発令までに組合が本人の意思を確認する流れがあった。ずいぶんな違い。

12月18日(金)

803号の撮影で太極拳の先生をスタジオに招き、ライターさん、カメラさんとお迎えした。昨日のような単独行動も好きだけど、スタッフがいるページは分業できて心強い。異動したら単独行動できなくなるか、逆にワンオペばかりになるか全然わからない。自分が入社したころは広告進行といえば怖そうなおじさんが大勢とぐろを巻いているように見えたものだが、いつのまにか自分がその怖そうなおじさんに? 撮影後、編集部で昨日の写真をアタリに使ってレイアウトを回し、発令日なので異動先に夕方ちょっと挨拶しにいく。昔と違ってあまり怖そうではない。そんなことより、発令を見たら編集長も解任だった。そうか、ぼくは殉職者なのか。合掌。(殉職は2度目)

12月19日(土)

26日(土)に単独行動でインタビューする東大の先生の著書を資料として読む。異動すると思うと資料読みに身が入らないけど、インタビューまで残り1週間であと3~4冊は目を通すつもりで、既読の分と合わせて部屋に10冊ぐらい積んである。人生最後のインタビューになるかもしれない。そう思っても緊張しない。最後にならない気がしているからだ。夕方、清水ミチコのものまねライブを鑑賞に行く。

12月20日(日)

引き続き資料に目を通しながら、江戸時代なら冥土に旅立つ支度をしても遅くない年齢なのだから、隠居と思えば悪くないかもと思い至る。こういうことを書くとやる気がないと思われそうだが、やる気は若いころから全然ないから大丈夫。やる気だけあるより、ないほうがいい。脱力系編集者歴25年だもん。

12月21日(月)

ぎっくり腰や寝違えや筋肉の痙攣のページのレイアウトを回しに出社。このライターさんに来春から連載ものをお願いしたばかりなのに自分がいなくなってしまう。鬼が笑うとはこのことか。誰か引き継いでくれるかな。無理だ!ということでライターさんに平身低頭して謝る。

12月22日(火)

金曜に撮影した太極拳と、先々週の木曜に広尾病院で取材した椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などのページのレイアウトを回しに出社。なんか出社してばかり。緊急事態宣言以来、月に2日か3日しか出社しないでリモートワークが中心の生活を営んでいたから、GoToキャンペーンで政府が感染爆発を起こした今こそステイホームしたほうが賢明なのに、うまくいかないものだな。ちなみに異動先で質問したら、緊急事態宣言の期間も普通に出社して仕事していた。夜、高校の同級生や先輩と4人で会食したら自分以外の3人は月1日ほどしか出社しないで毎日リモートワークだと話していた。なんだ、めったに出現しない「ツチノコ編集者」と職場で呼ばれた自分が社外の知り合いに比べれば1番よく出社してるじゃないか。もう。

12月23日(水)

レイアウトを待ちながら、感覚的身体論(というインタビュー連載)の原稿を家で書いた。Holiday in the Park(という公園の遊び連載)の原稿をライターさんから受け取ってリモートで入稿。この2つの連載もあと数回(807号まで)で終了するから頃合いを見て関係各位(イラストレーターさんやライターさん)に伝えなければならないが、なにも年の瀬にこんな話をすることもないので、年が明けてからにしよう。そうしよう。

12月24日(木)

新しい名刺が総務にあるそうだけど年内は必要ないから年明けにでも回収しよう。そうしよう。

12月25日(金)

日本体育大学で最後の特集(805号)の打ち合わせ。よりによって巻頭から30ページ担当ドーン……。(全然やるけども)

12月26日(土)

東京大学で感覚的身体論のインタビュー(806号、807号)をして、そのまま藪入り。

 

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1月5日(火)

会社は仕事始めらしい。休暇届を出してあるので出社しないけど家でもそもそ805号の仕込み。

1月6日(水)

当ブログ「ニューなかった」更新。2010年から2020年まで10年あまり、きっちり週1(ときどき週2)更新してきたけど、そろそろ頻度を下げようか。さてさて、年末にレイアウトした803号の特集ページをどんどんリモート入稿していく。あたかも、下ごしらえしておいたものを強い火力で一気に仕上げる中華料理みたいあるよ。

1月7日(木)

昨日で入稿が終わった803号の記事を校正したり、今月撮影する805号の構成を練ったり。ツチノコのように自宅作業。先週から小出しに情報がマスコミに撒かれる、2回目の緊急事態宣言が本日のんびり決定して明日から1か月ぐらい続くらしい。緊急事態宣言が出るとアスリートの練習がなかなか撮れなくなるので、今月撮影しなきゃいけない806号のHere Comes Tarzanというページが難航しそう。昨年から常時、あちこち声をかけているけど思うようにアポが取れない。前回の緊急事態宣言の折はやむをえず休載になった。さて今回は? 自分が担当する806号まで何とか押しきりたい。(そのあとも難航するだろう)

1月8日(金)

1都3県だけ緊急事態宣言が発令された。柔道の田代未来選手を撮影した804号のHere Comes Tarzanのレイアウトを回す(デザインの打ち合わせをする)ために出社。それから帰宅してリモートで校正。のつもりだったけど職場に発熱者が出たのでレイアウト自体リモートになり出社は取りやめ、家で校正など。

1月12日(火)

3連休明け。発熱者がコロナ陰性だったというので出社してスタイリストさんと撮影について打ち合わせたり、構成ビジュアル会議というものを編集長・副編・ADとやったり。編集長も副編も今回ぼくと一緒にいなくなる。逆だ。編集長がいなくなるから副編もぼくもいなくなる。玉突き。

1月13日(水)

編集者の魂とは「たまたま」「たまに」「たまつきで異動して」「たまげる」……たまが4つでたましい (5つだった) 東京は76年前から焼けてないのに夜は緊急事態宣言で店が閉まって焼け跡のような静けさ。自粛要請を受け入れず朝3時まで営業するラ・ボエムなどは通常よりも繁盛している。1都3県に栃木、愛知、岐阜、京都、大阪、兵庫、福岡の7府県が新たに加わった。国盗り物語か。 

1月14日(木)

出社してカメラマンさんと撮影について打ち合わせ。当日みんなが食べるお弁当を予約注文するのも今日でおしまい。モデル決定して各位に詳細を展開するのも本日が最後だろう。30ページを1日で撮るような非常事態はリーマン・ショック後にリストラで人が減るまで考えられないことだった。同じ作業こなせる編集者が他に何人いるか……そういうページの作り方を会社はやめさせたがってる(担当ページを小分けにしたがってる)と聞いたけど、なら人数を増やさないと結局は現場の負担が増えるだけ。

1月15日(金)

イラストを考えて発注するのも今日で終わり。編集長の交代が決まる半月ほど前に管理職が総務に呼ばれて聞き取り調査を受けたとか。その時、編集長は会社の上層部のあらゆるリクエストに応えているから結果が出ないのは上層部の責任ではないかと問われた総務は「上層部の責任ではない」と否定したうえで「編集部の雰囲気が悪いせいじゃないのか」と意見したらしい。もしかして集団浅慮に陥っているのではないか。

1月18日(月)

日本大学で806号のHere Comes Tarzan撮影。これが最後だ。

1月19日(火)

805号の「感覚的身体論」の原稿を書いて入れる。804号の「Holiday In The Park」の原稿をリライトして入れる。804号の「Here Comes Tarzan」の原稿を待つ。

1月20日(水)

終日、スタジオマグ白金台4スタで805号の特集30ページ分と表紙の撮影。これが最後の最後だ。

1月21日(木)

サカタだよは負けてない。まだ前線で戦えるのに後方の支援に回るとは……遠い昔、新入社員として資材製作の部署に配属されたときは「ここで生涯、プロパーとして骨を埋める覚悟をしなさい」と定年間際の人たちに諭されてそうなのかなと思ったけど、1年ぐらいで激戦地のアンアンに投げ込まれて8年サバイバルを続け、以後も転々と前線に投入されて気づけば編集者生活25年だった。全身かすり傷だらけ。今度も定年間際の人の引き継ぎで、骨を埋める覚悟を求められている感じがするけど、また1年かそこらで死線に投げ込まれたりして。

1月22日(金)

まとめて30ページとか撮影するとレイアウトの準備もいっぺんに襲ってくるから大変だ。死ぬ。

1月25日(月)

特集30ページと表紙を一気にレイアウト回し。これで卒業または退学。

1月26日(火)

異動の辞令が出て1か月以上たつけど社内の引越し日まで1か月以上あって業者が入るのは2月27日らしい。取材も撮影も済んだし、入稿も校正も昨年から自宅でやってるし、編集部の席もういらない。レイアウトも回したところで、不要なモノを片っ端から捨てて捨てて捨てまくり、いつでもおさらばできるようにしておく。

1月27日(水)

成仏できるかな?

1月28日(木)

805号の定例 Holiday In The Park 入稿。ラス2だ。フライングディスクに始まって、スラックライン、なわとび、スポーツカイト、リフティング、スケートボード、キャッチボール、BMX、フラフープ、ブレイクダンス、バスケットボール、けん玉で終了へ。

1月29日(金)

月末なので机の上に伝票あるかもと出社し、前日に発売された803号のギャラ切り。月曜に回した805号の特集レイアウトが、だんだん上がってくる。

2月1日(月)

805号の特集を入稿する前に、とりあえず806号の「感覚的身体論」を書いておく。単独行動の聞き書き連載もラス2。野村萬斎に始まって、服部文祥、コロッケ、村治佳織、近藤良平、神田松之丞(当時)、山中慎介、松井龍哉、萩本欽一、安彦良和、大槻ケンヂ、鈴木大地、山極寿一、藤田一照、石川弘樹、坂本大三郎、遠藤謙、佐藤賢一、中野京子、桜庭和志、坂詰真二、東海林さだお、池田祐樹、梯久美子、池田清彦、宇野薫、池谷裕二で終了へ。

2月2日(火)

昨日は怒濤の勢いで特集を入稿するつもりが、あたま4ページしか入らなかったので、気が変わって特集の扉ページの原稿を書いて入れた。それで諦めてたら12ページ分の原稿が届いたので読んで入れた。思うようにいかないものだな。さて今日は残り12ページ入れた。入稿完了。30ページ校正が大変だ。

2月3日(水)

校正している805号の特集は上半身トレーニングなのだが、筋肥大よりもカットの出し方に重きを置いて紹介する画期的な内容だ。最後の置き土産、カラダの13のすじ。

2月4日(木)

校了できるかな? もうちょっと時間かかるかな?

2月5日(金)

806号の「Here Comes Tarzan」競泳日本代表・長谷川涼香のレイアウトを回す。これまで取材した選手はみんな、東京2020オリンピックが中止になるかもしれないことを念頭に置いて、言葉を選びながら「状況に対応する大切さ」を語る。インタビューも昨年来そういう趣旨で編集してきた。是が非でも開催するとか、中止は選手が気の毒とか、神に祈るとか辛抱とか、向きになっているのは門外漢だけ。

2月8日(月)

先月8日なぜか1都3県だけに発令された緊急事態宣言は2月7日までの予定だったが、その後7府県が加わり、感染爆発が収束しないので栃木を除き3月7日まで2倍に延びた。仮定のことは考えないで、しめきりを守らないのはプロといえない。

2月9日(火)

先週の水曜日に異動先へ打ち合わせに行ったら席ができていたから自力ですぐさま引越し、3階の広告局の奥の広告進行(正式名称はメディアプロモーション部メディア管理課)に、それから出社している。主な仕事は入稿と審査で、サカタだよ入稿はともかく審査ってキャラか。

 

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