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サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

スノーハイク

2025年05月01日 | サカタだよ

春夏秋は天気よくてヒマだと山歩きすることが多い。冬は寒いし、積雪する場所もあるから山歩きは控えていた。春先は低山を歩き、暑い夏は涼しい高山を歩き、秋になるとまた低山を歩いて、冬はじっとしている。ここ数年そんなパターンを繰り返してたら、冬が退屈なので最近スノーハイクをかじった。スノーシューを履いて、割と安全なところ(谷など)をぺたぺた歩き回る他愛ない山遊びだ。

思えば高い山の夏は短く、梅雨入り前は残雪でスキーを楽しむ人がいるくらいだから歩き回るには不向きで、梅雨明けからせいぜい3か月が歩行可能なシーズンだが、人によってはお盆前までに時期を区切り、以降は寂しいから行かない派閥さえ存在するようだ。その流儀だと高山のベストシーズンは1か月たらず……夏場はもう気がはやり居ても立ってもいられないに違いない。昨年それに近い心境になり、北海道なら梅雨がないからと6月に大雪山へ行ったら少々まだ残雪があった。

だいたい溶けてるんだけど、ちょっと凍ってる。視界が悪いと怖い。チェーンアイゼン(靴にチェーンとゴムで装着するスパイクのようなもの)ぐらい持ってくればよかったと思った。結局なくて済んだ。しかし、6月はちょっと早かったかもしれない。

おととし、雪解けが早いと聞いたので5月の終わりに千畳敷カールを歩きに出かけたら、2612m以上あるせいか雪がこのようにしっかり積もって固まっていた。一応チェーンアイゼンを持参していたから、生まれて初めて装着して鉢を上がっていった。チェーンじゃなくて、れっきとしたアイゼン用意すればよかったかも? と思ったが、どうにかこうにか上まで踏み歩くことはできた。トーン、トーン……のどかな音を立てて、人の頭ぐらいの石ころ、というか岩石が跳ね落ちてきたりして、あんなもの直撃したら死ぬ(骨折か出血で済む?)からヘルメット装着すべきだが、あいにく所持してなかった。雪の玉が落ちてくることもあり、雪崩の前兆だったら嫌だなーと思った。

乗越浄土まで登ってしまえば、夏なら木曽駒ケ岳まで楽々いける尾根歩きなのだが、落石と雪崩の恐怖がストレスとなり、視界も足場も悪いから、夏にまた来ようと思って素直にカールをじりじり下った。ピッケルで舵を取りながら雪上を座位で滑り降りる男がいて、滑落してるようにも見えるが、あれは歩行の労を省いた天然のすべり台テクニックらしかった。服が傷みそうだし、ピッケルなど持ち合わせないから真似するのは差し控えた。

そんなこんなで雪のある時期はぜったい山へなど近寄るまい。そう思っていたんだけど、いざ冬になると退屈なので昨年の暮れ、スノーシュー体験会に参加してみた。谷川岳の一ノ倉沢で雪の降る中をぺたぺた、転びながら歩く。転ぶと雪が柔らかいから手をついても膝をついても立てない。トレッキングポール(ストック)2本を束ねて水平に雪に置くと、どうにかその支えで起き上がれる。手ぶらだったら凍死していた。危ないところだった。

面白くなってきたので、1月にまたスノーシュー体験会に参加した。こんどは上高地。このへんは春夏秋すごい人出だけど、冬は車両が釜トンネルの手前までしか通行できないからスノーシューなどを装着して歩いてくるしかない。人がいなくてしーんと静まり返っている。ホテルも売店もトイレも冬季閉鎖されている。ウェストンが穂高とか登った頃は冬でも温泉宿を起点にできたはずだが、いまは野営するしかない。氷点下で野営なんかしたくないから通いで平坦な谷をぺたぺた歩く。もう転ばない。

野うさぎの足あとが、あっちにも、こっちにもある。今年は雪が多いから、スノーハイク始めるにはいいタイミングだったようだ。そういえば昨年は雪がない、雪がないと嘆く声が聞こえた。おととしも雪が少なかったかもしれないが、スキーは数年に1回やるかどうか程度だし、スノボ未経験なので雪の多い少ないに興味なかった。スキー場には海外の観光客が殺到していると聞くから、近寄るまいと思っていたが、いまのところスノーハイクなら静かに自然を堪能できる。

うわさには聞いたことがある、冬になると先のほうが赤く色づく化粧やなぎ。実物を目の当たりにするのは(赤くなるのを見るのは)初めてだ。どうして赤くなるんだろう。化粧してる意識はないんだろうし、葉っぱに老廃物がたまる紅葉とも違うんだろう(紅葉と違って落ちないから)……考えてもわからないから、そのうち理由は考えるのをやめた。こうして冬もときどき山にくると、春夏秋冬、ブランクなしで自然を楽しめる。2月、3月、4月もスノーハイクすることに決めた。

谷川岳のときは降雪していたが、上高地は晴天だったので太陽の光が暖かく、斜面をころころ雪の玉が転がるのを何度も見かけた。あれって雪崩の前兆だから見かけたら離れたほうがいいと聞く。やだなあ雪崩……雪に埋まると、中から大声で助けを読んでも外にいる人に聞こえないらしい。笛を吹いても聞こえない。じゃあ助けを呼びようがない。外で人が話す声は雪の中の人に聞こえるという。「こりゃ助からない」とか、つぶやこうもんなら、中の人はしっかり聞いてるかもしれない。  


2月の初めに長野へ行き、個人でスノーシューとストックをレンタルして、そこらへんの安全そうなところをぺたぺた歩いてみた。わざわざ札幌からスノーハイクに来てるおじさんが、まんじゅうをくれた。札幌だったら羊蹄山とか近くでいくらでもスノーハイクできるのでは? と尋ねたら、冬眠しないクマが出るから危険なのだそうだ。それでわざわざ本州まできて、クマが寝てるすきに雪の上を歩こうというわけか。北海道も大変だ。
 

個人でスノーハイクする場合、雪のない時期に歩いたことある場所でないと怖いし、エスケープが簡単なところでないと危ないから、とりあえずアクセスしやすいスキー場を起点にしてスノーシューをレンタルする。念のためチェーンのアイゼンをリュックに忍ばせておく。たいして嵩張らないし、500gぐらいのものだから。
 

リュックに忍ばせたチェーンアイゼンが功を奏することもある。坪庭を歩こうと思ったらスノーモービルでならしてあるのか人が踏み固めたのか、トレッキングシーズで歩き回ることも容易だった。たいくつだから忍び道具のチェーンアイゼンを取り出して装着し、登山道に入って北横岳に登頂した。坪庭から、片道1時間かからない。夏も冬もビギナーにちょうどいい。
 

1日で天気が大きく変わる。雪がふわふわで青空が澄みわたる日なんて滅多にないと、冬に山を冷かしてたら徐々にわかってきた。雪かきが日課の地域で暮らす方には常識なんだろうし、ちょっとイメージすればもちろんそのはずなのに、やってみなければ実感できなかった。
 

2月の下旬に戦場ヶ原のスノーハイク体験会に参加した。戦場ヶ原というけれど、こんな山の上でわざわざ人が戦うもんかと思ったら人間同士の戦場ではなく、かつて神と神がぶつかり合った戦場ヶ原だそうな。まんが日本昔ばなしのようじゃったー。

戦場ヶ原で戦ったのは栃木にある男体山の神と、群馬にある赤城山の神で、なんでまたこんな作物も採れないような標高1400mの湿原を? 言い伝えによれば中禅寺湖を取り合ったそうな。男体山の神はヘビの大群を引き連れ、赤城山の神はムカデの大群を引き連れて血みどろの戦いを繰り広げたので、今でも赤沼は血の色をしておるそうな……。

スノーシューばかりも何なので、3月初めに縞枯山荘を訪ねてテレマークスキーの講習を受け、素泊まりして翌日ガイドさんについてテレマークスキーをした。アルペンスキー(滑走)、クロスカントリースキー(歩行)、スキージャンプ(飛翔)の原型になったというテレマークスキーは、ゲレンデスキーと違って踵を固定しない。その点はスノーシュー同様だが、滑走もする(ジャンプもできるんだろうけど、そこまでしない)ので、テレマークは身体の使い方が独特。

3月の中旬に千畳敷カールと霧ヶ峰でスノーハイクした。千畳敷は吹雪でホワイトアウトしており、宿の周辺をほんの少しペタペタ歩いて、もうやめておいた。カールは雪崩が起きやすい。とくに3月ともなると、溶けた雪が凍った上に新雪が降り積もり、新しく積もった雪が雪崩を起こすそうだ。巻き込まれたら見つかりにくい。探す人も雪崩の危険を冒すことになる。ということでビーコンを装着。

霧ヶ峰はなだらかで雪崩など起きにくいようだけど、せっかくなのでビーコンを一応オンにして身体に巻き付ける。荷物に入れたのでは、荷物が身体から離れたときに荷物だけ見つかって身体が雪の下ということになるようだ。ビーコンだって電池が切れたら見つからない。そうなったらおしまいだと思いながら、青空が一瞬だけ見えた曇りの霧ヶ峰をスノーシューで歩く。1月、2月に比べると雪が重く感じる。

今シーズンは自分にしては足繁く雪山に出掛けて、スノーシューとチェーンアイゼンとテレマークスキーで遊びながら思ったのは、輪かんじきと6本爪アイゼン(と予備のチェーンアイゼン)を装備として冬の山で持ち歩き状況に応じて使い分けたり併用したりするのが、軽量コンパクトで自分の行動エリアにあってるんじゃないか? ということ。そこで早速6本爪アイゼンと輪かんじきを中古で安く手に入れた。
 


そうすると試したくなり……しかしもう3月も末だから輪かんじきの出番はなさそうだし、アイゼンは使用感わかる。来シーズンの楽しみに持ち越すかー、と思ったのに待ちきれず、勝手知ったる入笠山を日帰りで襲って試着&試用。これはいいかも?



4月は尾瀬の残雪でスノーハイクしようと思い、ツアーに申し込んでいたのだが催行中止になった。わざわざ雪の上を歩かなくても低い山を歩くのが楽しい季節だから、今シーズンの雪歩きは終了。また山に雪が降り積もるまで、春夏秋は普通にハイキングするだろう。





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なかった2025

2025年04月01日 | サカタだよ

この30年で中流が消滅して国が搾り取れる税や社会保険料にも限度があるからだろう。近年しきりに投資を庶民に勧めてくる。怪しい NISA だの詐欺まがいの iDeCo だの。老後2000万円の備えもない者に損させて自己責任論をふりかざすつもりか。その手に乗るものかと自分の蓄えは全部コンゴのダイヤモンド鉱脈と環太平洋の海底熱水鉱床と大気中のレアアース集積という手がたい三つの事業に振り分けて投資。これらが当たれば老後は安泰だが、ここだけの話そんな事業もなければ投資に回す金もなかった。

 



あゝそうだよ。前々前世でこの前方後円墳に葬られる人のために盛り土する人足として来る日も来る日も働いたことをあとちょっとで思い出しそうになったけど、そんな前々前世なかった。

 



カリーブルストがあると食べてしまうのは前世がドイツ人で前々世はインド人で前々前世は縄文人だからか? それだと計算が合わないし縄文人は関係なかったというか、前世も前々世も前々前世も丸ごとなかった。あるのは今ここだけで、過去も未来も一切なかった

 



もうちょっとヒマとカネがあったならハーレー買ってイージーライダーごっこ(野宿)するのも悪くないな……路上で撃たれないようにだけ気をつけてと思ったけど、もちろんそんなヒマもカネもないし撃たれるような銃社会じゃなかった。

 



こうして網棚に荷物を置いて電車に乗ってると、まず置き引きの被害に遭わないように注意を払うべし。次に置き忘れにも注意すべし。電車が急停止したり脱線したり衝突事故を起こしたら荷物はどこへ飛んでいくだろうか? 回収して避難するべきか、状況次第では回収しないで身ひとつ避難するべきか。考えたところで事故などなかった。そして網棚に注目したら網などなかった。金属製だった。

 



ふるさとが見えてきた。俺の家も近いと胸さわぎしたが、そんなふるさとも俺の家もなかった。よくよく考えると胸騒ぎもしなかった。

 



金網越しに見つめるあの地面の上で夢中になって球を追いかけ回したのはいつのことだったか……二度と戻らない日々をおぼろげな痛みと共に振り返り我知らず涙ぐみそうになったけど、いくら遡ってもそんな時代なかった。

 



御朱印あつめが流行りつつあった10年ほど前に、どんなもんかと御朱印帳を買って初めてもらった御朱印がこれ。それからも神社には人並み以上に足を運んでる(そして絵馬を見る)けど、これっきり御朱印もらうことはなかった。まるっきりコレクター資質なかった。

 



ぜんぜん身に覚えのない写真がスマホの画像フォルダに入ってた。何だこれは、誰が撮ったんだこれは……? 写ってるのはアスファルトの地ベタと、どうやら足は自分の足のようだから、アングル的に自分で自分の足元と地ベタを間違えて撮ったものらしい。あるある。まったく気づかなかった!

 



そうそう火鉢に鉄瓶をかけてね、火箸で灰をまぜてあったまればよし。湯が沸いたら燗でもしようかと思ったのに火の気も酒の気もなかった。電気があるからそんなもの必要なかった。風情もへったくれもなかった

 



魚に痛覚がないというのは本当だろうか。姿造りを食べていると、これは魚だから平気なので牛とか豚とか人間だったら姿造りを出されて食事を楽しめるとはかぎらないと思う。人間に火を与えたプロメテウスはゼウスの怒りを買い、生きながらワシかタカに内臓をついばまれる、そして永遠に再生する無限の責苦を負わされた。あれも姿造りのようなものと言えなくもないと思ったが、鯵の姿造り食べながらそんなこと考える必要なかった。

 



自分が子供のころ暗くなるまで夢中で遊んだ砂場を50年ほど後にこうして眺めると、どうしてこんなに小さくなってしまったんだろうか。一体どんなわけで砂がこれほどまで乏しくなったのかと怪しまずにはおれない。それとも砂場はなにひとつ変化なく、こんなところで自分はいつも暗くなるまで城を築いたり地下の洞穴を水で満たしたりしていたわけか。いくらなんでもそれではあまりにも、あまりにも……当然のことながら昔となにもかも同じに見えるように規模縮小して復元された砂場に相違なかった。
 
 
 
「バンドやろうぜ!』という雑誌で多摩のメンバーと出会い、貸しスタジオで練習したあの頃、自分は楽しくやれたら十分だったのに他のメンバーは口を揃えて「武道館を目指す」という。武道館……しかしそれは大きな玉ねぎのような例の日本武道館じゃなかった。多摩武道館だった。なるほどね。ぼくらは多摩武道館にさえ行けなかった。
 
 


ワーゲンの真似だったんだろうか。昭和のマイカーとして一世風靡した国産車、いまでは見かけることも絶えてなくなり、思い出の中にだけ存在する車種のひとつになったが、よく考えたらマイカーうちになかったし長じて自分でクルマ買ったことも買いたい思ったこともなかった。最近そういう人が増えたと聞くけど、成人した当時クルマに興味がないと変わり者と思われそうでマイノリティとして肩身の狭さを感じたっけ。いまにして思えばそんな必要なかった。広告に踊らされるのは無意味だった。

 

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雪だるま

2025年03月15日 | サカタだよ

花火と雪だるまは消えるから尊い。尊くて他愛ない。他愛ないから書くことがあまりないけど、この冬は雪だるまを見る機会がなぜか多かった。携帯端末の画像フォルダに雪だるまがたくさんあり、季節も季節なのでそろそろ消えるべき時期なのかもということで、他愛なく画像をブログに上げてさよならしようというわけ。

 


予期せぬところで足元にいつのまにやら雪だるま。つくりかけなのか、こわれかけなのか判別しがたい雪だるま。
 
 

雪だるまといえば、握ったり転がしたりして徐々にそれらしく整えるもの。昔はそうだったけど最近は、調理器具みたいなもので菓子でも整形するように、たいやきでも焼くような手順で雪をはさんで一丁あがり。板の上にポコポコと、いくつも即席の雪だるま。
 
 

握った雪だるま不恰好。真空断熱ボトルの白湯を飲みながら、そこらへんの雪を握って固めて拵えるのも、せいぜいこのくらい。地面の上を転がして大きく育てる元気はもう自分にはなかった。
 
 


札幌の時計台はいつ見てもガッカリするが、できた当初は人目を引いたんだろう。そう考えつつ、周囲を見回したら雪だるまが見ていた。なかなか立派にこね上げてある。

 



静かな湖畔の猫だるま。雪を見たことがない国の人たちだろうか。ハイテンションで雪合戦したり雪だるま作ったり壊したりしてる。だから実のところ静かではなく喧しい湖畔ではある。雪がいくらか消音するので見た目の割に静か。

 
 
 


 


1枚1枚にコメントつける気でいたけど書くことがとくにない。これだけ雪だるまが1か所にあるということは、それだけ賑わってるということだ。白い地面に歓声が吸い込まれて消えてゆく。
 
 


        ト リ
 
 


  トリ と たま
 
 


ペア(トリオ?)
 
 


これは小樽かな? どこで見かけた雪だるまか、だんだん分からなくなっていく。時と共に雪が解けるように、記憶が解けてゆく・・・そして何も思い出せなくなりそう。
 
 
それでもまだ、ちょっとお醤油を切らしてそこまで買い物に行く途中で雪だるまに出会うこともないといえない。これはたしか奥日光の戦場ヶ原を通りかかって見かけたやつではなかろうか……?
 
 
ぼくたちそろそろ消えてゆくときが近づいたから
 
伝えることができるうちにサヨナラいっておくよ
 
 
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行列と不安

2025年03月07日 | サカタだよ

雨の日も風の日も雪の日も行列が絶えない。その多くは外国人観光客のようだが、見分けがつかないながら国内の観光客もいるらしい。行列の脇を通ると聞こえる話の中に日本語の会話も混ざってるから、うどんの列にわざわざ並ぶ日本人も列の中にいるんだろう。うどんなのに……といったら店に悪いか。クチコミで行列ができる店は昔からあったけど、最近の行列はクチコミではなくネットの拡散が中心だから、極端な偏りが生じる。食通のクチコミだったら評判の店は本店が混むのに、銀座の行列が過剰だから群馬県の舘林駅前の本店に行ってみたら並ばずに入れた。

うどんの行列から派生したか、目と鼻の先のとんかつ店にも行列ができるようになった。チェーン店だから都内にいくつも店舗があるのに、よそはべつに行列などしておらず、ここだけいつも並んでいるようだ。特徴のあるとんかつ店は近隣にいくつかあり、そこも数人ぐらいは店の前で待つ客を見かける。リピーターだったり、本物のクチコミだったりするのだろう。よそにもあるチェーン店で極端な行列を見かけると情報の偏りに疑念を持たない人の多さを見せつけられるようで不安になる。あちらが多数派で、こちらは少数派なのか?

その隣の喫茶店のオムライスは昔からリアルなクチコミで行列ができる店だったが、ネットのフェイクな(?)クチコミの効果で行列が一気に長ーく伸びた。かと思うと激減したり、また長蛇の列ができたり。どこのSℕSでどんなインフルエンサーが拡散してるかわからないが、時期によって列が伸びたり縮んだりと、激しく変化するのはナチュラルなクチコミではなく、あたかも政権与党が牛耳る機密費になびくネット工作員の世論操作のようではないか。これは違うと思うけど、悪い選択と集中を彷彿とさせる。

いずれも勤務先の周辺にある飲食店の行列なのだ。昨年ぐらいからとうとう勤務先の通用口にまで行列ができるようになってしまった。弊社にどんな魅力があるのか疑問だったが何のことはない。向かいの店の行列が、店内で飲み食いする人にとって迷惑になるということで、道の反対側に整列させられているに過ぎなかった。こっち側の迷惑はどうなるんだろうか? 赤と白のコーンとバーはせめてもの抗議らしいと見受けられるけど、あまり奏功してるとはいえない。行列が車道に広がるだけのような……。

ここなどは角を曲がったところにある小さな店なのだが、少し離れた公園にまで列が伸びている。いまはまだSℕSの書き込み程度で生じる情報の偏りだから、この程度で済んでいるともいえる。今後AI技術が進歩してデジタルで提供される偏った情報を鵜呑みにする人が増えると、たいへん悪しき選択と集中が一気に進むのではないかと不安でならない。選挙などもSℕSの嘘を妄信した人々があらぬ結果を招く今日この頃、人工知能で大規模なフェイクが拡散されるようになったら、底の抜けた世の中が行きつくところまで行くのでは? と、行列をみて不安になってしまう。

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打ち直し

2025年03月01日 | サカタだよ
余生のつもりで過ごすと楽しいよと打とうとしたら女性のつもりで過ごすと楽しいよになってしまい打ち直したわよ
 
これが始まりで、打ち直し(文字入力の間違いを修正すること)の実例をメモすればネタになるんじゃないかと思った。そういえば過去こんなミスもあった。
 
「とりいそぎお礼まで」って打とうとしたら、「とりいそぎ俺います」になったよ
 
新原稿が信玄公に誤変換されたよ、甲州かっ
 
パソコンで「エクササイズ」と入力しようとすると「エクサさ伊豆」って 変換されるよ、豆州かっ
 
またこんなことも過去あった。
 
三角筋前部を三角筋全部と変換するのは勘弁してほしいよ、前後を分けた意味ないじゃん
 
皮脂テカリと打ったのに秘してカリと変換されたよ……下ネタかっ
 
原稿ならチェックが入るから文字を修正するチャンスもある。しかしメールは、誤変換したまま送ってしまいやすいから要注意だ。過去には……
 
よろしくお願いしますが変換ミスでようやくお願いしますになってしまったよ
 
スマホでメールに「よろしくお願いします」と入力しようとすると予測変換で「よかろう」と出るよ、どんなスマホだよ……俺が悪いのか
 
誤変換の記録は遡ることがしやすく過去にはこんなこともあった。
 
「クイズ」と入力してリターンキー押したら、「クいずれまたお便りします」って変換されたよ
 
クロワッサンと打とうとしたら「配られているようなので」に自動変換されたよ、なんだよ「配られているようなので」って?
 
「グッズ原稿」って保存しようとしたファイル名が「ぐず原稿」って変換されたよ、イヤミなPCだね
 
「だいたい」と入力すると一発で「大腿」と変換されるよ。「大腿四頭筋」の鍛え過ぎ!(…じゃなくて筋トレ原稿の書き過ぎ)
 
誤変換はこのように記録されることもあるが多くは忘れ去られる。誤記はすぐに打ち直すから記憶にも記録にもまず残らない。それをメモしたら、瑣末なネタが集まると思った。それでやってみたのが、このあとのメモ。
 
もう新しいものが生まれない社会と書こうとしたら、もう新しいものが生まれない会社になったよ
 
#cinema と打つはずが #conema になったよ
 
はずが恥になったよ、#conema と打つ恥
 
都会の中の孤独って打とうとして、都会田舎の孤独になったよ
 
否が応でもと打とうとして親が甥でもと打ち間違えたよ、複雑な家庭で育ってもみたいな意味になっちゃったね
 
つぶやいてるじゃんが、つぶやいてるじゃっんになったよ(どう読めばいいのか、わからないじゃっん)
 
原稿と打つはずが、原恋になったよ……初恋よりさかのぼる原恋? 原罪みたいで嫌だな
 
訪問先で脱いだ靴を、訪問先で脱いだ口に打ち間違えたよ
 
仕事のメールで「しれませんが」を「しれまえんが」と打ち間違えて送信したよ
 
「検討しましょう」が「遣唐使マスク」に誤変換されたよ
 
 
 
 失 敗  !!
 
 
 
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夢記だよ

2025年02月01日 | サカタだよ

鳥獣戯画で有名な栂尾高山寺で石水院にあがったら明恵上人が樹上で修行する様子を描いた掛け軸が床の間にかけてあった。明恵上人は40年ぐらい夢を書き記し、それが今でも半分ぐらい伝わっていて『夢記』として書店や図書館に置かれている。うちにも1冊あったけど、どこかへ行ってしまった。

石水院をでて石段をあがったら明恵上人の御廟があった。900年ぐらい前のお墓がどんなものか、さらに石段をあがって見にいく。『夢記』にちなんだわけでもないが、もう何年も前からブログに夢の記録をあげているので、お墓があればそれは見たいと思うじゃないか。

ちんまりした祠のようなもの、あれが900年前からつづく御廟だろうか。伊勢神宮だって20年にいちど建て替えるようだし、それも室町から江戸にかけて途絶えていたそうだから、こちらの御廟もおそらく時代によって変遷があるにちがいない。眺めていたら最近の夢をまとめなきゃという気になった。

前回いつだったか確認すると、2年あまり前だった。夢のように時が過ぎた。目覚めてる時間がまるで夢のようだからか、眠ってるとき夢みた覚えがあまりなく、書きとめた夢はさらに少ない。どうやら、飛び飛びに1年分以上も欠落があるのはTwitterがXに変わったことによる障害かも。

2023

上がり込んで話してたら履き物を盗まれて裸足で帰ると冷たいので履き古しでも何でもいいから足に合うのを代わりに用意してくれと頼んだら年代ものの青い革靴(中はハイテク)を出してきて意外と歩き心地いいみたよ  2.12

 

一口サイズにカットした島豆腐の上にコオロギを1匹ずつ乗っけた料理のみたよ  2.14

 

トマホークミサイル500発の軍事パレードで沿道に観衆が仕込まれて北朝鮮と見分けつかなくなるみたよ  2.15

 

真っ白な和装で船舶に乗り込んで海上に出た小池百合子が笑顔で餅を撒く様子がテレビで流れたので何をしてるのかと思ったら行方のわからなくなった職員への簡略な葬儀だと聞いて薄情だなと感じるみたよ  2.17

 

東京駅を横断するには泥んこ道を越えるしかなくて大勢の人が泥にまみれてるみたよ  2.19

 

ふだんは記憶の淵に沈んでいる1999年のちょっとした出来事を鮮やかに思い出すみたよ、寝てるんだか起きてるんだか  2.20

 

幽霊教室に迷い込みトイレに行くといって走って逃げるみたよ  2.21

 

いつも空いてる電車が妙に混んでるみたよ  2.22

 

なにやら集団生活してるみたよ  2.28

 

遠回りして山道を越えたら知ってるところに出たけど1限も2限もパスするはめになるみたよ  3.3

 

縦横に何度も何度も折り畳まれて四角くなって食べられるみたよ  3.10

 

パイロキネシスを旅館で発動させないようにサイコキネシスで抑え続けるみたよ、なんだかとても疲れたよ  3.12

 

インディーズのはじまりについて回顧する人の話を聞くみたよ  3.17

 

コンデジ買うかスマホで済ませるか家電量販店で考えてるみたよ  3.19

 

駄菓子屋ばかり両側に延々と並ぶ路地を進むみたよ  3.21

 

工事現場で1mの鉄骨が人の頭(ヘルメット)に落ちるのを目撃してるみたよ  3.22

 

おにぎり職人がなぜか作務衣姿でこだわりのコオロギ粉末おにぎりにまぶすみたよ、きもいね  3.27

 

昨夜みた古書店の夢がどんなのか思い出そうとがんばったけどダメだったよ  4.12
 
 
セルフレジのスーパーの5円袋を2回使って3回目はないと思う夢を一昨日みたこと昨日スーパーのセルフレジで思い出したまま忘れてたのを今日寝る前に思い出したよ(忘れたい)  4.16
 
 
2024
 
本文もキャプションもあちこちに抜けがある校正が上がってどうしよう面倒くさいと思う夢みたよ、これは夢だから目覚めればすべて解決すると思って起きたので全部なかったことになってよかったよ
  3.24
 
あざらし飼育する夢みたよ  6.14

 

12年ほど前に亡くなったヘアメイクさんと普通に仕事してるみたよ  6.28

 

東京都庁に用があるのに目黒区役所に行ってしまい、45分前に気がついてタクシーに飛び乗ったら運転手が都庁の場所を知らないみたよ  7.15

 

かいわれ大根はむみたよ  7.19

 

パジャマで出勤するみたよ  7.26

 

懸念された通り万博が爆発するみたよ  9.17

 

にみた時刻が現実の時計とぴったり一致してたよ  10.14

 

麻酔がなぜ効くのか実はちゃんと解明されていないのと同じように筋トレがなぜ効くのか実はちゃんと解明されていないんじゃないかと考えているみたよ  10.15

 

拳骨みたいな向日葵のつぼみに照明をあてて花開くのを眺めてるみたよ  10.20

 

クズ野菜のパフェのみたよ  10.22

 

無人島に橋が掛かって街ができるみたよ  10.23

 

今日は土曜日というみて起きたら金曜日だったよ  10.25

 

生きたまま死後硬直がすすむみたよ  10.26

 

コンビニの新入りバイトとして手書きで在庫チェックさせられるみながら、こういうのって今どきタブレット端末でやるんじゃないのかなと思うみたよ  10.28

 

刀なんかいくらうまく使えても今の世の中じゃ役に立たない無用の長物なのに取り上げられたくないみたよ  10.30

 

訪問先で脱いだ靴が紛失し従業員の転売とわかり弁償のため近くの店までそこの車で送ってもらうみたよ  10.31

 

 

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絵馬31

2025年01月01日 | サカタだよ

貴船神社には絵馬のルーツとして黒い馬と白い馬の像が置かれている。水の神に祈るにあたり、雨を降らせて欲しければ黒い馬を、雨を止めて欲しければ白い馬を奉納したとか。逆だったかな? ともかく本物の馬を奉納していたのを、経済的な理由からなのか信仰心の問題なのか、絵に描いた馬で代用したのが始まりだと立札に書いてあった。白い馬は赤い馬でもよかった。赤い馬は茶色だろう。

その貴船神社に掲げてある絵馬を見てたら、こんなのがあった。「長年、堕落人生を生き続けて来た この能無しバカが 自分が 人並みに幸せを掴む権利も自由も価値も無いと、ようやく覚悟した 人生幾度か、幸せを手にするチャンスはあったろうが、この堕落者が幸せになることは許されない (以下略)」……この手の絵馬にしては、わりと整った字だと思った。

残り三カ月笑顔で楽しくすごします

なんの残りだろう? あちこちで神社の絵馬を見てまわり、ブログのネタにしてどれほどの年月を重ねたか、よく覚えていないが、10年以上は経っている。これで31回目になるようだ。いちばん下のリンクをたどると30、29、28……と過去にさかのぼることができる。

爆笑問題の日曜サンデー女子カレンダーが当たりますように

なんのことかと思ったら日曜の午後に爆笑問題がラジオで4時間生放送していて、毎年カレンダーにいろんな女子(アナウンサーとか)が動員されるらしい。それが欲しいということみたいだ。なんという切実な願い!

口をあけて眠るしょうごくんの写真をとるのがいつまでも私でありますように

その写真どうしてるんだろう? SNSにあげてたら怖いし、あげないで画像フォルダに何百枚も何千枚も何万枚も保存してあったら、それはそれで怖い。ナンマイダー、ナンマイダー、何枚あるんだー。口をあけて眠るしょうごくんの「寝顔」じゃなくて「写真」だから、顔だけじゃなくて全身も撮ってる。怖い。いろんな部分も接写してる。怖い。しょうごくん逃げて。

おばけにならぬ様に?

父と母 義父義母がおばけにならぬ様に……おばけ? いや、おぼけにならぬ様にだった。おぼけにならず、おばけになったら、それはそれで困るんだけど。

取手の後藤は欲の一文字……いっそ潔いような、やはりそうでもないような? 欲をどうしたいんだろう。満たしたいのか抑えたいのか。どっちかっていうと、縦(ほしいまま)にしたいんだろうな。そんな気がするというか、気が立ち上っている。

俺のプリウスアルファにこれ以上のキズがつきませんように!

傷だらけのプリウスに乗ってる石井、その傷は深いのか。それとも数が多いのか。お笑い芸人は、もっとやってほしいときに「やめろ!」「絶対やめろ!」と反対のことをいうそうだから「これ以上のキズがつきませんように!」というのは、もしかするとプリウスアルファにもっと深いキズをいっぱいつけてほしいのかも?

お兄ちょんか そとにでます ように

お兄ちょんは そとにでないで うちに引きこもってるのかな? よくみると「に」が「レミ」になってるし「ま」が「す」みたい。いっしょけんめい、お兄ちょんか、そとにでるようにいのってることがよくわかる。それにくらべて……

漫画のアイデア下さい

かつて、楳図かずお先生は「片目を失ってもいいからアイデアを下さい!」と本気で祈りながら鬼気せまる漫画を描いたという。それにくらべたらなんだこれは? 真剣味が足りん。

7さいになるまでおしごとおがんばります。

なるほど、そういうものか……自分はもう7さいをすぎたから、おしごとおがんばることができなくても、しかたないのだ。これでいいのだ。

みんなと一緒にバスケが・・・

バスケって5人でやるんじゃなかった?

かれん ゆな ちほ まや さつき みゆ あやの わかき えみり あかね あいり ゆいか ゆり じゅり みちは こうこ あおい みつき さな ほのか みのり 控えを入れても多すぎるような

仕事でうまく立ち回れますように。

立ち回るのも大事だけど、立ち回るだけでは仕事にならないのではないだろうか。衝突したり辛抱したり、観察したり検証したり、立ち回る以外のことをしっかりやらなきゃって了見はないのだろうか。夫婦そろって立ち回るだけか。それは立ち回ってるつもりで流されるだけじゃないだろうか。夫婦そろって。

無事に次の連載案が会議に通って また

漫画を描ける日々を過ごせますように!

案が通ったお礼かと思ったけど、案は通っていなかった。ギリギリのところでがんばってる、なんとか恵さんの苗字がなんて書いてあるか読めなかった。まんなかの字は「山」だろうけど、最初の文字がわからない。○山恵……藍山恵かな? デビュー3年目だったら違うか。

かんじがかけますよてん

ひらがながかけるだけでもえらいからほめてあげたい

 

幼い頃から動物が好きで・・・

日本野鳥の会に就職したいと思います? 好きなのは動物で、鳥じゃないのではないかと謎が残る。鳥も動物のうちなんて乱暴な動機で志望しても大丈夫なのか? 大丈夫ならべつに構わない。

ルパンIII世になりたい オムライス食べたい

ちづる

なにが大事かって自分の名前がいちばん。それに比べたらルパン(3世)もオムライスも同格。いろんな願いがあるもんだ。

部活の顧問がくたばりますように。

くたばった顧問の絵まで描いてあるし、サムズアップで喜んでるし。部活は何をやってるんだろう。まいっか。

ねこがおおきくなりますように

顧問がくたばる願いに比べて平和な願いごとだ。世界中の猫が巨大化して街を破壊し暴れ回るのを見たいだけのようだから。

5さいにこうえんにいきたい

ひなたは思った。5さいまで生きることが、もしもできたら、こうえんにいきたい。公園に、生きたいと願ったのに。巨大化した猫が暴れ回る世界で、ひなたは5歳まで生きることができなかった。そう考えると悲しい絵馬だった。

加奈子は悪霊に勝利しました!

これからは望む世界に行けます。

本当にありがとうございます。

・・・ちょっとなにいってるかわからない。

 

5年後に月収100万円になる

そのための土台づくりっていうけど、月収100万円はちょっとやそっとの土台じゃ実現できない……というか、悪いことしなきゃ無理なんじゃないの? そっち方面の土台づくり、あまり盤石にされても困ると思っていたら類友なのか、となりに参考になりそうな絵馬が。

月収200万円以上稼げるように

高いマンションに住んでゴツいアクセサリーとかで身を飾るため、全身脱毛したり歯列矯正したりできますようにって、そこから土台づくり? ハッ! ホストかなんか? さっきの「5年後に月収100万円」の土台づくりの人、ホストかなんかで売れたいのかも。土台づくりって、歯列矯正かも。

2019年(平成31年)の絵馬からの続き

府中市のおひさま熱烈応援ぶりがすごい……

拾った子猫がスクスク育っています

できるだけうんちがスムーズに出ますようにって、こちらも熱烈応援ぶりがすごい……

RISAちゃんが、最期の時を迎えた時に、この人と一緒でよかったと思える人に早く出会えますように‼

どういうこと? 書いてる本人がRISAちゃんなら、自分のこと名前で呼ぶことの是非はともかく意味はわかる。しかしRISAちゃん以外の人がRISAちゃんのために書いたとしたら余計なお世話。せめて快癒を祈願して。

まずは、今日から早寝と早起きをしますので新型インフルエンザや新型コロナウイルスになりませんように。

そこまでは読めるが、そこから寝る前に以下ぜんぜん読めない。安眠したいのかな? よくわからない。

 

今年もたくさん絵馬が掲げられますように

 

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街のクマさん

2024年12月14日 | サカタだよ

「7月1日午後2:50分頃この付近でクマが目撃されました! 西興部村」という看板が立っていたのは森の中ではなく、バス停が近くにあるような道路沿いだった。森のクマさんではなく街のクマさん。午後2:50分という表記のしかたに動揺があらわれているが、童謡なら森の中でクマさんに出会うところを、白昼堂々、街路でクマさんに出会うなんて最近どうかしてる。日本中どうかしてる。どこでクマさんに会ってもおかしくない。旭川では駅のそばを流れる忠別川の河川敷で、クマが人を襲ったという。木陰に隠れて人が持つ食べ物を狙うらしい。

「10月1日オムサロ花園周辺で熊の目撃情報がありました。まだ熊が捕獲されていないため原生花園をご利用される方は十分気をつけてご利用ください」といったって、熊は時速40kmで走るらしい。自動車で追いまくられるようなもの。木陰も何もない平原でクマさんに出会ったら逃げようがないのではないか。どうしてこんなところまでクマさんが出てきちゃうのか。いちおう人が何千人も住んでるのに、クマ1頭でのそのそ出てきて人が怖くないんだろうか。人の目を気にして生きるのをやめたのか。

どうして北のほうへ行きたくなるのか、犯罪者が往々にして北へ逃れるのと何か共通点があるのか、そのへんはよくわからない。今年も八甲田山に登ろうと思ったのに、クマによる死亡事故を受けて「6月28日(金)から登山道は当面の間、立ち入り禁止です」「7月5日、山頂遊歩道(ゴードライン)にてクマ目撃情報がありました」ってことで山歩きできなかった。山頂遊歩道というのはケーブルカーで人がわんさか上がってきて散策する場所なのだが、森の中の登山道だけでなくそんな観光地にまでクマが姿をあらわすなんて一体どうなってるの? もう八甲田は歩けないの?

クマだけでなく硫気ガスにも気をつけねばならない。これは八甲田山を昨年、彷徨したときの写真だ。クマが全国の街路で目撃されるようになったのは割合に最近だが、よく考えると40年ぐらい前の1980年代中盤もクマがちらほら民家を訪問していた。人に撃ち殺されたり、人を打ち倒したりしていた。1986年だったか、釧路から自転車で知床へ向かい峠を越えて網走を経由して屈斜路湖あたりを南下し、また釧路に戻ったことがあった。道東を自転車で巡ったのだった。

数人の友達と何日か、テント泊しながらツーリングしたわけだが、そのコース上で熊出没注意の警告に何度も触れた。何日間だっけ? と当時の同行者に尋ねたら、11日間だと明確な返答があった。そんなに? で、知床だったか網走だったか、河川敷にテントを張ったら「熊が出るんじゃない?」という意見が友達から出て、別の友達が文化包丁(確か地元スーパーで300円ぐらい)を棒の先に縛りつけ、「これで戦えば何人か助かるから大丈夫だよ」といったもんだからパニックが生じ、河川敷からYMCAか何かのそばにテントを移したことはよく覚えてる。

その晩はクマが出なかった。もし出ていたら、ペラペラの文化包丁を棒の先に縛りつけた武器で撃退できただろうか。全員死亡ってことはないだろうけど1人か2人は、あるいは死亡しないまでも負傷したかもしれない。思い返すと笑ってしまう。いまは熊スプレーという便利なものがあるけど、熊に遭遇したとき咄嗟に熊スプレーを取り出し正確に狙いを定めて噴出することはできなかったとアウトドアメーカーの人が話すのを聞いた。気が動転して、噴射することができず、熊に大腿部を噛まれた。よく生きてたもんだ。噴射する向きを間違えて、自分に熊スプレーをかけた人もいるという。風下だとそうなりやすい。来年、山歩きか街歩きでクマに遭遇したら、自分などは睨むぐらいしかできない気がする。たぶん助からないだろう。

 

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格言プラスα

2024年12月01日 | サカタだよ

さかのぼると2015年にやりはじめたようなので、満10年といっても過言ではありません。格言・金言・キャッチフレーズの類をもじったり、つけくわえたり、ずらしたり……回数でいうと、14回目らしいです。1回10フレーズ以上やってるから、トータル150~200ぐらいはネタが溜まってそう。日めくりカレンダー1年分つくるには足りないか。最下部のリンクで全部たどれます。

 

不正を働かざる者食うべからず
 
もともとは「働かざる者食うべからず」なんですが、勤勉といわれる日本人がみんな働いても働いても豊かにならない。給与は上がらないし、税負担や社会保障費の負担が増える一方だから手取りが減って止まらない。国民負担率は5割を超えて、6割になったこともある。五公五民から六公四民、一揆や打ち壊しが起きないのは不思議だ。いまの世の中、余裕で食えるのは不正を働く者だけ。「不正を働かざる者食うべからず」と、子どもたちに言い聞かせねば。
 
 
災害は現地で起きて会議室で寝ている
 
1月1日に能登で大地震が起きた。万の単位の救助体制がすぐ敷かれるべきだから、現場は抜かりなく待機したが出動命令は千しか出なかった。いかにも少ない。手抜かりに他ならない。正月だからか宴会が優先され救助は後回しになった。初動が遅いため、助かる命が失われた。初動は遅くないと言い張る人たち。そのエネルギーを行動に移せないものか。正月でなくても自民党政府は災害時いつもそうで、「災害は現地で起きて会議室で寝ている」要人の姿をテレビで見た。子どもたちに語り継がねば。
 
 
深謀遠慮というよりも浅謀近慮
 
政界や財界や官界の人のいうことは、いまやすっかり「深謀遠慮というよりも浅謀近慮」。その程度の認識でよく務まるものだと、子どもたちが見てもすぐ見抜かれるレベル。きっとダメな子どもがそのまんま大人になって、できる子たちに復讐してるんだな。2012年12月ぐらいから後はもう、そういうふうにしか見えない。どうしてこんなに劣化したんだろう。モラル破壊はレガシー好きなあべ……もとい、あれがキッカケかもしれない。
 
 
ええぢゃないかぢゃないぢゃないか、ええぢゃないかぢゃないぢゃないか
 
あまりのことに「ええぢゃないか、ええぢゃないか」と踊り狂うブームは幕末に起きたという。それだけで済むんならまだよかった。腐敗のひどさは幕末を超えて、「ええぢゃないかぢゃないぢゃないか、ええぢゃないかぢゃないぢゃないか」としっかり指摘しなければ、そのまんま破滅に向かうだけ。本来マスコミが指摘と追求を行うべきなのに、一緒になって「ええぢゃないか、ええぢゃないか」とやってるもんだから「これでいいのだ」とバカボンのパパみたいなおじさんばかり出てくる。
 
 
豚に真珠、議員に法律
 
議員は脱税……逮捕も何にもない♪ ギ、ギ、ギギギのギ~ン、議員は法律を成立させるのが仕事だけど自分たちは治外法権だと思い込んでるニセ特権階級がたくさん紛れ込んでる。役割を果たせと糾弾したら、懲罰動議が出される始末だ。そんなことのために招集されたんじゃない。せっかく与えられても価値がわからず無駄にすることを「豚に真珠、議員に法律」という。
 
 
無駄な人生は長く芸術は短い
 
「芸術は長く人生は短い」というけど、それはちゃんと評価されるような価値ある人生と芸術の話で、つまらない人生は長いし、くだらない人生はもっと長い。箸にも棒にもかからない芸術は短い。もしかすると芸術じゃないかもしれない。それをいうなら大半の人生は、人生と呼ぶに値しないかも。慣性というべきかもしれない。かぎりある人生に対する、かぎりない慣性。
 
 
五十にしてMEGAを食わず(食べた)
 
「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」というのがありますが、そこまで立派じゃなくても「五十にしてMEGAを食わず」と宣うぐらいの節度は持ちたいものだと、MEGA盛りのメシを食べた後で反省しました。後悔あとを絶たず。しかしながら、子曰く「六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩をこえず」というほどだから、五十にして矩をこえるのは致し方あるまい。
 
 
破綻なくして成長なし
 
現総理(石破くん)就任直後の手のひら返しは記憶に新しいところですが、前総理(岸田くん)も就任前「分配なくして成長なし」といってたのに就任後「成長なくして分配なし」と手のひら返した結果、任期中マイナス続きだった。「破壊なくして創造なし」というのが本来だから、旧統一教会は宗教法人として破壊すべき(通常の法人にすべき)だったし、裏金や機密費の着服も破壊すべきだった。温存したから何も変わらなかった。いまの状況、もはや「破綻なくして成長なし」かも。行き着くところまで行かないと無理かも。
 
 
黒を白といいくるめ危険を安全といいくるめる
 
権力が学術を軽視して黒を白と強弁すれば黒がグレーで通用することに味をしめた結果、科学をも軽視して危険を安全といいくるめる非科学的な態度があからさまになって久しい。カルト宗教の非科学性が政治に混ざり込んでいる。政教分離は制度的に不可欠だからこそ重要視されるのだが、不分離だと政治そのものが非科学的になるデメリットさえあるようだ。「黒を白といいくるめ危険を安全といいくるめる」ことで無理が通れば道理は引っ込む。
 
 
あきらめなくてもすでに試合終了ですよ
 
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は少年バスケ漫画『SLAM DUNK』にでてくる顧問の安西先生のセリフ。がんばればどうにかなる基本姿勢で読者の胸を熱くする「少年ジャンプ」の方程式「友情・努力・勝利」のラインから外れない名言として、連載時から親しまれている。しかし現実社会は正反対の様相を呈し、「あきらめなくてもすでに試合終了ですよ」……多くの人があきらめたまま、ひたすらやりすごしている。
 
 
そして誰もいわなくなった
 
推理作家アガサ・クリスティの最高傑作としばしば称されるのは『そして誰もいなくなった』だけど、あまりにも不正が横行しすぎると批判したところで無駄無駄。カルトも裏金も機密費も売国も中抜きもキックバックも性犯罪も人権侵犯も何もかも、いうだけ不謹慎という雰囲気になってしまうと「そして誰もいわなくなった」……誰もいなくなるより、もっとたちがよくない。
 
 
失敗は成功よ元々

東京オリンピックも大阪万博も1回目(昭和)はまあまあだったのに2回目(令和)はあきらかに失敗だった。もっとも、1回目はともかく2回目はどちらも公金を合法的に着服するのが主な目的だから、そのへんの輩にいわせれば2回目はオリンピックも万博も「失敗は成功よ元々」というわけ。そんなのばっかりで、公費を湯水のように注ぎ込んでひどく貧相なことにしかならない事業はみんな「失敗は成功よ元々」……失敗を糧に成功を掴むより、失敗を勝手な糧にするのが目的。

 

君臨すれども統治せず増税すれども公助せず

国の象徴は天皇、主権者は国民、立法府は議会、行政府は内閣、司法府は裁判所という三権分立の確立した民主政体のはずだけど、なぜか行政府が君臨してしまい他をないがしろにする。悪い意味で「君臨すれども統治せず」余計なことばかりして必要なことを何もしない。税や社会保険料を徴収して勝手なことに使うばかりで必要なところへ補償しない。「増税すれども公助せず」やらずぼったくり。

 

地位が人を作るというより人を壊す

首相がいちばんわかりやすいけど、組織のトップに立つとなぜか人相がみんな悪くなる。昔は「地位が人を作る」といったもんだが、今は「地位が人を壊す」としかいえない。闇の勢力にでも取り囲まれているのか。

 

虎は死して皮を留め安倍は死してアベノマスクに名を残す

もともと「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」と戒めて自らを律するためにあるような格言なのに、「虎は死して皮を留め安倍は死してアベノマスクに名を残す」仕儀となってしまった。いんちきなレーガノミクスの二番煎じ、または劣化コピー、または安易なパクりにすぎないアベノミクスは元祖のレーガノミクスが忘れ去られたように忘れ去られる。それでも、アベノマスクは永久に負のレガシーとして日本が続く限り残るだろう。

 

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10冊の本

2024年11月01日 | サカタだよ

2024年もまた振り返ると世界中ろくなことがない年だったように思える。かれこれ何年も、ろくなことがないばかりか悪化の一途をたどっているように感じてしまうのは、もしかしたら老化現象なんだろうか? 世の中はどうあれ、自分はというと社会に出て(会社に入って)30年たったそうだ。なぜわかるかといえば勤続30年の休暇が勤め先で付与されたから……って「失われた30年」と丸かぶりかい。

平日10日間の休みをどうするか迷い、することがないのでテントをかついで大雪山に登った。そんな様子を毎日SNSに上げると仕事もしないで何やってんだ? と職場の人はともかく世間の人から思われそうだから、山の写真は土日だけにして、平日はというとその日に読んだかのように本を1日1冊ずつ上げた。余暇の読書に見せかけて、じつは出かける前に読んできた本ばかり。48の編集技の第13番。

『清唱千首 白雉・朱鳥より安土・桃山にいたる千年の歌から選りすぐつた絶唱千首』(冨山房百科文庫1983.4.27)は、二十一代集の偏りを惜しむ撰者が、時を隔て最良の千首を掘り起こす壮大な企て。白雉・朱鳥とは実在すら疑われる上古の元号で、そのあたりから下剋上の時代までおよそ千年の名歌あるいは秀歌を取捨して編んだ私撰和歌集だ。なんかすごい。ハズレなし!いちいち美しすぎて目がつぶれる。これさえ読まずに日本生まれの日本人だとか誇示することなど許されないのではあるまいか。

『忘れ残りの記』(講談社・吉川英治歴史時代文庫1989.4.11)……ものごころつく前に『神州天馬侠』を読み聞かされていたらしく、幼稚園で「チンチューテンマチョー!」と叫んでいたと後で知って恥ずかしかったので、以来ずっと食わず嫌いだった吉川英治の半生記を読んだら苦労話がリアルで面白かった。『神州天馬侠』のこと、なんにも覚えてないけれど目を通したら記憶の淵から浮かんでくるものがあるだろうか?

『にあんちゃん 十歳の少女の日記』(講談社文庫1978.8.15)は昭和28年に父母を亡くした四人兄妹の末子の日記なのだが、昭和50年代に放送されたテレビアニメ「てんとう虫の歌」は七人兄妹の設定ながら、この日記を意識して制作されたんじゃないかと思わずに読めなかった。

『うらなり』(文春文庫2009.11.10)は 漱石の『坊ちゃん』の続編で、マドンナ狙いの赤シャツの陰謀で延岡へ飛ばされた英語のうらなり(古賀)が五十を過ぎた昭和9年、銀座4丁目交差点で数学の山嵐(堀田)と待ち合わせ、30年ぶりに再会するところから始まる。うらなりの独白体で、無口な人物が頭の中でいろいろ考えて饒舌なくらいなのが面白い。坊っちゃんも独白体だから饒舌なので、対面すれば寡黙なほうではあるまいかとインテリうらなりトーク読むたび思わずにいられない。うらなりがいちばん漱石の実像に近いのでは? 松山の英語教師だったわけだし。

『ザ・フー全曲解説』(シンコー・ミュージック1996.2.20)を読んでいて思い出した。ザ・フーはドラムがギター、ギターがベース、ベースがドラムのバンドだと1989年ごろ誰か言ってた。誰なのか思い出せない。じゃあボーカルは何なのか? と思わなくもない。ボーカルはボーカルか。てゆうかドラムはドラム、ギターはギター、ベースはベースだけどドラムが引き立つバンドではある。一番先にドラムが死んだ。次がベース。ギターとボーカルが生き残って活動してるのも、このバンドらしい気がしなくもない。

『流れる』(新潮文庫1957.12.25)は、幸田露伴の娘の幸田文が書いた小説で、文豪の父のような博識に裏打ちされた力強い文体とは次元の異なる名文の見本のような作品だからか、むしろ露伴の小説より何度も繰り返し読みたくなる。あたりまえのように書いてあることが一文、一文あやしい説得力を持つ。不可能だ、どうやって? と慄きながら読み通す。

『銀の匙』(岩波文庫1935.11.30)は、「、」が少なくても調子よく読み通せるように工夫された長めの文の積み重ねが心地いい。書いてあることも意外だけど内容だけでなく文体を楽しむのに適した長編。なんでもないような回想に見えて特異な境地に達してると思われ、たまに読み返すと面白い。

『堤中納言物語』(岩波文庫2002.2.15)は、高校生のとき図書館の上製本で読んで以来かな。源氏とか悪文に感じて通読する気になれなかったけど虫めづる姫君を中心に古文の世界すげーってハイティーンの男子らしく感銘を受けた。いま読んでも感じ方あまり変わらない。中年男子感動! いつまで男子でいるつもりかって? たぶん一生のあいだ、ずっとだ。しかし、初読は「ナウシカの源流」と誰か(宮崎駿?)が言ってるのを感知してどんなもんかと手を出したにもかかわらず、ナウシカとまったく別物であんぐりしたことも覚えてる。古典は先入観を持って読むと逃げていく。

『小さな泥棒』(白水社1992.3.1)は第2外国語でいやいやフランス語やってたとき勉強のつもりで鑑賞した映画に感激し、また観たいと思ったところで配信もなければビデオもDVDもブルーレイも出回らない暗黒時代だったので、卒業するころ仏和対訳のシナリオ見つけて読んだやつ。その後(およそ20年後に)中古DVDをネットで入手して数年に一度こっそり再生してるから、なんとなくセリフが頭に入っていて難儀せず読める。中年男子いたく感動……いつまで男子でいるつもりかって? たぶん、お婆さんになるその日までずっとだぜ。

『落書日本史』(旺文社文庫1986.11.15)を読んで意外だったのは、狂花様落書で哄笑することは殺すことに等しかったという指摘。たしかに将門の昔に遡ればさもありなん。時代が下がるにつれて揶揄にとどまり、いまでは落書そのものが廃れたようだけど……ネットの書き込みは揶揄か哄笑か。それとも別の何か? あゝ冷笑というのが流行りのようだな最近は。

 

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執事と私

2024年10月01日 | サカタだよ

幼少のころから執事のアルフレッドは親が不在になっても近くにいつもいたので日記やSNSのたぐいに登場する機会がかえって少なかった。日常生活で関わることがない両親のことや友達のことなど特筆すべき出来事ばかりが記憶にも記録にも留まった。リアルな執事との日々はあとから振り返ってみても当たり前すぎて形見ひとつ残っていない。何もない。せめて漠とした印象だけでも消え去る前に書きとめておかなくては執事など存在しなかったことになってしまう。そんな苦痛には耐えられる気がしない。

 

これは花豆というものらしい……
 
うちで執事のアルフレッドに栽培させるのも悪くないかも?
 
 
 
 
そうそうサンドウィッチには少々からし塗ってね、ハムなんか薄くて構わないがキュウリだけは倍ぐらい厚めにスライスしてほしいんだ……ゆで玉子はいつもの固ゆでにしてくれと話しかけながら、本当はよくわかってるんだ。そんな執事などいないってことは。
 
 


連休はどこへ出かけても混雑するので館の裏山のシェルターにこもり、長期保存食のストックローテーションを兼ねて、大規模自然災害もしくは非戦闘員への無差別攻撃から不幸にも生き残ったときの予行演習……と称して執事やメイドたちに心おきなく休みを取らせる主人としての気づかいです。たまには嘘も悪くないでしょう。
 
 
 
シェルターで読むものを探しに古書店をのぞいたら既読の本が300円で売られていて、アバウト250年ぶりに読みたくなって買った。もしかしたら館の土蔵にまだあるかもしれないが、執事やメイドを召集して土蔵をいくつも探させるより、300円の出費で済ませるのが主人としての配慮ではあるまいか。なんと崇高な。書物について覚えておくべきは置き場所ではなく内容そのものと乳母が生前よく言っていた。まあ内容も置き場所も頭に入ってないから古書店で買い求めたわけなんだが。
 
 


ついでに外食したら料金が4,444円……なんて不吉な。折よく持ち合わせもないことだしツケにして執事に後日まとめて支払わせればいいか。なにしろカードもスマホも持たない生活だからな。執事がいないと何もできない。
 
 


うちではメイドをもともと下女といってたのだが下女というな女中と呼べと下女が要求するようになり、やがて女中とはなにごとか家政婦と呼べと女中が求めるようになりいつしか家政婦じゃなくてメイドだと主張するようになって今日に至っている。執事だけは最初から最後まで執事のまま。バトラーなんて呼んでも返事しない。
 
 


執事がうちの庭でフィッシングをして何か釣り上げてきた。どの川で釣ったのか尋ねたら「川というより溜め池No.6で養殖してるんですよ坊っちゃん、食材を確保するために」とウインクされた。得意のホラ話かもしれないが、まあいいだろう。今夜は魚料理をいただこう。
 
 


山小屋で食べたカップヌードルはあれほどうまかったのに執事にうちで作らせたカップヌードルが全然うまくないのは腕が悪いんだろうか……しかしそんなこといえないから、こんなうまいもの食べたことがないと執事をおだてたら露骨に嫌な顔された。せっかく気遣ったのに何だあの態度は?
 
 


2016年にバレンティーナ・ザーコバ教授は地球温暖化を一時的なものと喝破した。太陽の活動が低下して、2030年に97%の確率でミニ氷河期が始まると主張したから、いまごろ小さなマンモスが走り回るかわいい姿が見られるかもって執事のアルフレッドと話したものだが、どうやら教授の予想が外れる3%のほうへ状況が傾いてきたようだし、巷に出没するのもマンモスではなくコウモリばかり。それはそうと、あまり暑いとソフトクリームより執事にかき氷を削らせたくなるものだ。拒否されたから仕方なくソフトクリームで妥協するが、しかしソフトクリームというのはかき氷より準備が大変なのではないか?
 
 


モービルじゃ目立つので地味なアルファロメオを執事に運転させて竿燈まつりを見にきた。東北自動車道は『トラック野郎』の映画の当時まだ存在しなかったらしく、執事のすすめで鑑賞したら一番星桃次郎が暗い一般道(というより舗装もろくにしてない田舎道)を夜通し爆走して朝までに荷を届けた。執事はあれのどこがよかったんだろう。トラック野郎だった過去でもあるのか? 全部で263本の竿燈は、デコトラに似ていた。
 
 


執事が運転に飽きたので秋田から青森へは仕方なく自分自身でハンドルを握り、ねぶた祭を見物。あまり祭とか興味ないのだが、生きているうちに一度くらいは見てもいいだろうと思った。先月は富士登山したし、死期が近いのかも。やたらはじめてのことばかりしている。フラグ立てとんのか? 生き急げ私よ。
 
 


うちで執事の料理を食べるのがいちばんくつろげると思ったのでその通り正直にアルフレッドに伝えると「心にもないことをおっしゃる」とコーヒーをカップに注ぎながら体をぶつけてきた。こぼれたらどうするんだ一体。
 
 


最近ひとり飲みを控えぎみだけど、たまには一見さんお断りの店にこんな顔でも出しておき、初めて身を寄せた(ひとりだったと思う……)のは30年ちょい前だっけとか回想してたらベンツで乗りつけた一見さんがお断りされたので、手前で下車してこいよ不器用者めと心でつぶやいて煮込みを味わい、遠くに待たせたベンツのところまで歩いて戻るつもり。ぼくはいつもこうなんです。執事のアルフレッド、古いベンツで待機ごっつあんです。(地味なクルマでごめんね)
 
 
関連記事:  執事のアルフレッドが
 
 
 
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山手線

2024年09月01日 | サカタだよ

「電車に乗るがいいさ」と漱石の小説『三四郎』に出てくる与次郎が、大学の講義をいくら聞いてもつまらないから「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と三四郎に勧めたことが記憶の片隅に残っていて、ときどき山手線に乗って東京をグルグル回る。しかし『三四郎』が書かれたのは1905年(明治38年)だから、考えてみれば山手線でグルグル回ることなど当時できやしなかったはず。

調べてみたら現在のような環状線になったのは1925年(大正14年)なので、とっくに漱石は没している(1916年12月9日が命日)。それじゃ三四郎はどこを乗り回したのか、あらためて小説を読みかえすと「四丁目(本郷?)から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て」そこで降りて料理屋に上がったり木場の寄席で小さんの落語を聞いたりしてる。どうも、ちんちん電車のようだ。

「生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ」と漱石が小説に書いた当時とまったく似ても似つかないコースになるけど、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だというのは120年たった今も変わらない。ある日もういちど山手線を一周してみようと思った。

 

東京駅には線路のキロ数を測定する起点が置かれて、東京駅から出る列車はすべて下りであり、東京駅に着く列車はすべて上りであるというのだけど、東京駅が開業したのは大正3年(1914年)12月20日だから、日本に初めて鉄道が開業した明治5年(1872年)9月12日からの42年間はどこを起点にして上り下りを定めたりキロ数を測定したりしていたのだろう?

上野がノガミで新橋がバシンと呼ばれたころ有楽町には「ラクチョウのおとき」と呼ばれる女がいた。戦時中は女子挺身隊員だったが戦後ラクチョウのガード下でパンパン(街娼)となり人望を集めて遣り手(管理職)になった人。フランク永井がうたう「有楽町で逢いましょう」やラジオドラマが評判になって映画化された『君の名は』も有楽町だから、戦後まもない頃は押しも押されもせぬ歓楽街だったんだろう。銀座への玄関口だし。いまは街娼も新宿とかに移動してるようだからラクチョウのおときがいた当時の面影はどこを探しても見つからない。

汽笛一声新橋を(鉄道唱歌)でおなじみ新橋駅はこの場所ではなく貨物駅だった汐留駅のあったところ(現在は電通とか建ってるあたり)で、いまの新橋駅はもともと烏森駅だ。明治5年(1872年)新橋横浜間を日本で初めて鉄道が結んだときの新橋もいまの新橋駅ではなく汐留駅になったほうの新橋駅だろう。あんな外れが明治時代は東京の玄関口だったとは。

浜松町駅に直結した世界貿易センタービルは9・11アメリカ同時多発テロで瓦解したビルと同名で英語表記もまったく同じWorld Trade Center Buildingだったのに取り壊されて跡形もなく、ニッポン同時多発再開発テロにあったようなものだ。ここから海側にちょっと歩くと竹芝桟橋があり、小笠原島航路の船が出るのだが、竹芝という名は平安時代の更級日記に出てくる竹芝寺に由来するらしい。ちょっとびっくり。

田町駅と品川駅のあいだは確かに間隔が大きかった。そこに出来たへんな名前の高輪ゲートウェイ駅は結局なんのゲートウェイなのか何年たっても存在感ない。高輪大木戸のことじゃないだろうな……それだったら高輪大木戸駅でいいもん。短くするなら高輪門駅でいいもん。江戸の出入口として夜は閉められた門。大奥の局だろうと物見遊山で遅刻すると締め出された門。

品川駅からちょっと歩くと江戸名所図会で江戸の禅宗四か寺に数えられた東禅寺がある。幕末にイギリス公使館にあてられて尊王攘夷派が2回も討ち入りした、血なまぐさい寺。150年かそこらで人心は変わり、テロはもちろんよくないとしてデモさえ禍々しく思う向きなど献身的なボランティアすら排除するし、まったく行動を伴わない発言もタブー視する。それでいて忠臣蔵の討ち入りは賞賛するから矛盾してる。ちょうどよくならないもんだろうか?

大崎駅を出て目黒川を越えると御殿山と呼ばれる丘が建物に埋め尽くされてる。御殿山は徳川家康が豊臣家の淀君を人質として迎える策をめぐらし、ここに御殿を建てたから御殿山というらしい。人質にするまでもなく大坂夏の陣で権力争いが決着ついてしまった。幕末にアメリカの黒船を討伐する砲台を据えるお台場を海に築かんがため、御殿山の土を崩して使ったというから、あまり山という感じがしないのはそのせいもあるのかも。

品川・大崎・五反田のあたりで山手線は盲腸のように垂れ下がり、ここをピンと張ったら環状線らしい円形に近づくのにといつも思うけど、そもそも山手線全体が丸くもなんともない葉っぱのような形だから部分的に南へ尖ってても構わないといえば構わない。まだ市電があったころは猿町と呼ばれる駅が盲腸の根っこにあったようで、サルマチというよりエテマチと呼ぶ人が多かったけど高輪台と改称されてからエテマチなんて呼ぶ人はどうやら絶滅したっぽい。

目黒駅は品川区にあるという話は有名だし目黒のさんま祭は目黒区でも品川区でも催されるとかいう話が秋になると毎年ささやかれる。目黒川だって古くは品川という名前だったらしいから目黒と品川の関係ってややこしい。品川区にある目黒駅のホームは切り通しの中に位置して山手線が山の手を通る実感がわきやすい駅だ。恵比寿なんかもホームの端と端の立地の高低差がすごく山の手という感じがする。渋谷は谷だから全体が高架だ。

そうそう、1周するまで続けるつもり。恵比寿駅はエビスビールの工場の出荷のために作られた駅だから発着時の音楽もエビスビールのCMソングのメロディーだったりする。会社としてのエビスビールはサッポロビールに吸収されて工場跡地の恵比寿ガーデンプレイスにサッポロビールのビルがある。恵比寿の駅ビルの壁面パネルは恵比寿(YEBISU)のYの字をデザインしたものだそうだ。30年ほど前に聞いたときは確かにYだと思ったけど、いまでもYに見えるかどうかは関心を持って見たことないからわからない。

春の小川はさらさらゆくよ、という童謡は渋谷駅のあたりを歌ったもので、のどかな土地に初めて山手線の駅ができた明治18年(1885年)は渋谷川の水車小屋でまだ水車が回ってた。そんなところが無計画に急速な発展を遂げたから渋谷は以前から入り組んでわかりにくい繁華街だったけど、再開発で道をつけ替えたりして余計わかりにくい。もう行かない。駅自体もアリの巣のような迷路になって不便だからもう降りない。できるかぎり回り道する。(実際やってる)

原宿駅には皇族専用ホームが明治神宮側にある。明治神宮は明治天皇を祀る神社で明治天皇の誕生日は国民の祝日になっている(文化の日)。昭和天皇の誕生日も国民の祝日になっている(昭和の日)のに、大正天皇の誕生日が国民の祝日になってないのはなぜだろう。どうしてなんだろう。平成の天皇の誕生日も国民の祝日になってない。なぜだろう。どうしてなんだろう。

代々木といえば練兵場まで遠足に行った思い出を語る人が昔はよくいた。世代が変わって今のお年寄りの中には代々木といえば共産党を思い出す全共闘の経験者も多い。学生運動がなりをひそめてノンポリばかりになった80年代から代々木といえば予備校のイメージだったけど、もしかしてその後アニメーション学院のイメージになってたりするんだろうか。しかしながらアニメーションも衰退してインボイス制度でトドメ刺されそうだしクールジャパンは大手広告代理店が中抜きするだけでアニメに益さない。予備校生は減るばかりで練兵場はもうないから代々木に残るのは共産党ぐらいか。

鳥取県の人口と新宿駅の1日の乗降客数がほぼ同じってバブル期に聞いたことがあるから現在は新宿駅の乗降客のほうが多いのではないか。駅は人がごった返してるけど都庁のほうだと夜はホームレスばかり……彼らの生活保護もしないで、2年で48億円も注ぎ込んだプロジェクションマッピングもどきはオリンピックの不正がバレて公共事業の受注が禁止になっている大手広告代理店の関連会社がなぜか請け負い中抜きした結果お粗末な出来になっている。オリンピック中抜きしすぎて開会式ショボかったのと同じ。どこへキックバックしたのかな? 当然あの人か。

小泉八雲、島崎藤村、若山牧水、国木田独歩、葛西善蔵といった人たちが新大久保駅の近くに住んでいた。といっても、みんな明治の後期だから山手線の新大久保駅が大正3年にできる以前のことで、目と鼻の先に明治22年にできた中央線の大久保駅の近くで暮らしたといったほうがいいのだろう。新大久保駅ができた後に越してきたのは、滝井孝作、折口信夫といった人たち。文士が借家に入りやすいところだったようで、いまは文士の代わりに外国人が暮らしやすい土地柄になっているようだ。

「ばば」は「たかだ」か「たかた」か議論になることがある。そっちよりむしろ昔は「ばんば」だったらしい。もともとの呼び方は「たかだのばんば」……ばんばひろふみという人もきっと漢字で馬場と書いて「ばんば」なんだろう。ヒット曲は「SACHIKO」だったかな? ばんばには手塚プロがあって治虫氏の没後に一度いったことがある。いまも同じ場所にあるのだろうか? 中央温泉研究所というところにも行ったことがある。同じ方向だったと思う。

目白といえば今太閤と呼ばれた人の娘が自民党の裏金の実態をマスコミの前でしゃべったら目白御殿に火がついた。口封じだろうか。ガチャンと音がして線香の火を消し忘れたと思い確かめに行ったら燃えていたという。線香なんかつけておくものだからガチャンという音が原因と考えるのが先だろう。窓ガラスの割れるような音……おそろしい犯罪者がいたもんだ。

人道に反する罪で絞首刑になったり反共の役目を担わされて無罪放免になったり運命が大きく分かれた戦犯が収容された巣鴨プリズンの跡地が池袋サンシャインシティだということを、池袋駅に降りても思い出すことが少なくなった。思えば無罪放免になったA級戦犯の家系と所属政党が統一教会(=勝共連合=世界平和統一家庭連合)に便宜を図ったことで国を傾けた。いまも癒着して改憲を目論む反社会集団であることは、なるべく忘れないようにしないと。

路面電車が山手線と交わるところにある大塚駅の周辺には昔、教育大学があり、茨城に移転して筑波大学になったとか。おにぎり屋さんのぼんごに長蛇の列ができてたので回れ右して帰ったこともある大塚駅。あと江戸一で飲んだとか、そんな思い出しかない大塚駅。小石川植物園にも行ったことあるかな。雑司ヶ谷霊園に行くとき路面電車に乗り換えたこともあるか……とにかく夏目漱石の墓が異様に巨大だった。
 
 
原宿の竹下通りに若者が集まりラジカセで踊ったりしてたころ、おばあちゃんの原宿と呼ばれた巣鴨には何度か行った。とげぬき地蔵とか。若かったせいかピンとこなかったけど、はるかな時を超え、おじいちゃんに近くなった今もやっぱりピンとこない……。まいっか。
 
 
駒込駅から歩いていける勝林寺という寺に田沼意次の墓があって、どんなもんか見にでかけたことがある。経済成長という現代ではとかく掛け声だけになりがちなことを武士と百姓の世の中で実行したために粛清されたかわいそうな人……。これからは見せかけの成長(=中抜き)に頼らない舵取りが必要な世の中になることは間違いないとして、先覚者が実行すると固陋な勢力に邪魔されるんだろうな。有能な田沼父子のように。もっとも時間の流れは変えられないから忘れた頃に逆転するんだろうけども。文明開花のときみたいに。もういっぺん世の中の仕組みがひっくり返るのにどれぐらい時間かかるのかなと、山手線が駒込駅に差し掛かると大体いつも思う。見届けることはないかも。
 
 
漠然とした不安を感じて芥川龍之介が昭和2年に自殺したのは田端だった。その場所に行ってみたことがある。大正3年から住んでいたそうだから仮住まいというより本腰が入っていたようだけど今やとくに名残もない。室生犀星、滝井孝作、菊池寛、萩原朔太郎、堀辰雄、佐田稲子なども田端に住んだ。訪ねてみても実感がわくことはなかった。
 
 
西日暮里駅は昭和46年(1971年)に開業した山手線内でいちばん新しい駅だった、高輪ゲートウェイ駅とやらが反対側にできるまでは……それにしても日暮里という寂しい駅名にさらに西をつけると寂しさが増すことを誰か指摘しなかったんだろうか。イエスマンばかりで止める人がいなかったのは高輪ゲートウェイ駅の場合と同じらしい。西日暮里、寂しいこと限りなし。
 
 
日暮里駅にくっついた谷中霊園に五重塔があったらしい。跡地を見たことある。幸田露伴が小説に書いた五重塔は最初、ぼんやり読んだときは明治の話ぐらいに思ってたけど再読したら江戸時代の職人のことを書いたものだった。露伴が谷中に住んだころ五重塔はまだあった。戦争でも焼けなかったのに戦後ばかみたいな痴情のもつれで炎上した。露伴はとっくに没していた。あゝ無常。
 


おそれいりやの鬼子母神は鶯谷駅の近くの入谷の鬼子母神で、雑司ヶ谷の鬼子母神ではないそうだ。確かに雑司ヶ谷ならおそれぞうしがやの鬼子母神になって、たいそう語呂が悪い。鶯谷で鳴く鶯とはどんな鶯かイメージすると昔はごく普通の鶯が可憐にさえずったんだろうけど今や老嬢のイメージしか湧かないのは自分だけ? 偏見か。
 
 
江戸の頃はどうだか知らないが東京といえば震災より前は上野と浅草だったっぽい。戦後も浮浪者や浮浪児といえばまず上野だったようだし闇市が立つぐらいなので繁華街だったんだろう。とっくに新宿や渋谷はおろか池袋にも水をあけられて、昔日の賑わい今いづこ。官軍が錦の御旗を掲げて彰義隊を討ち果たし徳川の菩提を弔う寺域を焼き払った場所に、動物園や美術館博物館が立ち並ぶので、いまもわりとよく行く。(行くんかーい)
 
 
アメ横を歩いてたら御徒町駅にすぐ着いてしまう。焼け跡の闇屋をイメージして歩くと不思議な気持ちになる。ちょっと行けば湯島天神に着いちゃう。弥生式土器が発見された弥生町も近い。縄文が物に即した名称なのに弥生は地名だからアンバランスな呼び方だ。縄文から弥生への移行には首をかしげる点が多く、本質的な差異なんかないのではと思うこともある。日本人が日本人でありたいがための信仰みたいなものかと思ったり。
 
 
秋葉原駅は秋葉神社の原が名前の由来ならアキバハラと読みそうなものだけと実際はアキハバラで、しかし略称アキバ。どっちなんだ秋葉の読み。戦後、神田の各所にできた闇市が次第にラジオ部品を扱う専門店になり、それらが露天整理令でガード下に集められたのが家電の街に成長し、パソコンの街になったと思ったら、いつしか萌え系の街に変わってた。なんでそうなるのかな!
 
 
東京駅から山手線の外回りの列車に乗ると最後が神田駅だ。どっちが外回りで、どっちが内回りか考え出すと目が回る。各駅の駅名表示を写真に撮ろうとするとホームの両端のほうと中央の3か所程度にありそうなもんなのに実際はどっかの端などに1か所しか掲げてなかったり、よくて真ん中へんに1か所だけだったりする。いまどきは列車のドア上に親切な表示が複数の言語で表示されるから駅に掲げなくても事足りるのかも。ローカル線だとこうはいかない。はず……確かなことはわからないけれど。
 
 
【これで1周おしまい】
 
 
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なかった夏

2024年08月01日 | サカタだよ
「パンとサーカス」という故事成語は、ローマの為政者が民衆にパンとサーカスさえ与えておけば批判が出ないと慢心したのが元だから、政治家が口にしちゃダメな言葉なのに公の場で口にした政治家には教養がなかった。たいして批判もなかったから民衆の側(に立つべきメディア)もレベルに違いがなかった。問題のある発言ながら、パンもサーカスも十分に与えていればまだしも、まともなパン(収入)もないのに、ろくでもないサーカス(大阪万博とか東京都庁プロジェクションマッピング)で中抜きされては、結局ろくなパンもサーカスもない。つまるところ、なにもなかった。

 

あれのことを人は「理想」と呼んだり「夢」と呼んだり、「妄想」と呼んだり「幻想」と呼んだりするみたいだが、そういったものとは大人になったら諦めてお別れをするものと聞かされ、そろそろか? さよならはもうじきかと身構えるうちに50の坂を越え、いいかげん大人なのにお別れするチャンスがなかった。もしかすると大人になってなかった?

 

美人であるばかりに毎日つまらない男に言い寄られて、なるべく嫌な女と思われない程度にきっぱり男どもを引っぺがすだけで消耗する半生をイメージしてたら何だか生きてるのがつらくなってきたけど、ふと気づいたら美人でも何でもなかった。いわんかたなく、むくつけき男でよかった。

 

ひところ暮らした町に用があって足を運んだら知ってる店が全滅してた。昼ごはん食べるつもりで寄ろうとした、黒板にチョークでインドの言葉を並べてた店もすっかりなかった。もうどこにも居場所なかった。

 

ひさしぶりに高校アメフト部OB会に顔を出したら入部して数日後に退部した友達や数分で入部を回避した友達も来てて自分はいつまでやってたんだっけと、思い出そうとすると頭痛が痛くなるので脳震盪の後遺症かもしれないと打ち明けた。チームメイトがみんな悲しそうな憐れむような優しい笑顔で頷いてくれて、俺たちの時代はメディカルチェックの体制がまだしっかりしてなかったからと、その道に進んだ先輩が教えてくれたので、なんだかそうだった気がします。きっと頑張りすぎたから……でも本当はわかってるんです、アメフト部で頑張ったことなど金輪際なかったって。自覚してるんです、なんとなくOB会に紛れ込んでるだけだってことは!

 

おまえもツバメ返しで斬り捨てたろかと念じたらキュキュキュと鳴いて目の前にとまった。鳥さんお察しの通り、ツバメ返しの腕などなかった。

 

またアメフト部のOB会に参加してペルー料理を食べてきた。食べると練習や試合の記憶が蘇るかと思ったけど当然そんなことはなかった。代わりにマチュピチュで着たポンチョ広げて干したらシングルベッド覆いつくす大きさだったことやトウモロコシの神といった架空の思い出が蘇りそうになってすぐ跡形もなく消えた。儚さを感じる余韻もなかった。

 

「驚異の細密表現展 江戸・明治の工芸から現代アートまで」みてきた。ジブリは興味が薄いわりに混んでるからスルーした。そりゃそうだろう、誰だってそうする……と思ったけれども、誰もがそうしたらジブリだけ混むような事態は招来されなかった。

 

とあるカレーのチェーン店でつけあわせのキャベツ食べたらコンワビルB1にかつて存在したカレー店「ラサ」のすべてが目の前に蘇った。まるで失われた時を求めて。おばちゃんたち生きてるかな? 死んではいないだろうけども……らっきょうも「ラサ」にあったのに酢加減が違うせいか口に運ぶと何も思い出さなかった。

 

夏目漱石の『三四郎』を名画座で鑑賞したら、熊本から上京する三四郎に東海道線で乗り合わせた広田先生が言い放つ「滅びるね」が聞けるかと思ったのに、笠智衆が演じる先生は何ひとつ言い放つことがなかった。

 

ワンオペのファストフードに青年が9人で来店した結果、お品物が1人分ずつしか出ないので5人目が着席する頃には1人目がもう食べ終わり、9人揃ったときには半分以上のメンバー(野球チーム?)がすでに食べ終わって待ち呆けてたからファストフードの意味なかった。

 

冬山で300m滑落する際にピッケルが太ももに刺さっても命に別状なかった女性が、6年後に冬山で200m滑落して低体温症で死んだことを真夏に本で読んだら、気の毒に思う半面わざとやってんのかと思わなくもなかった。

 

消費税は福祉の原資だと嘘ついて企業の優遇とキックバック(裏金)に湯水のように使った結果、消費者も企業体力もボロボロになって何も残らなかった……平成・令和に裏金依存党が破綻させたものは年金だけじゃなかった。

 

とんかつの店で「キャベツのおかわり食べてからお願いします」といわれ、食べる前におかわりする欲張りな客が近ごろは増えてるのか? と思ったけど、もしかしたら「キャベツのおかわりタブレットからお願いします」の滑舌がよくないだけかもしれなかった。しかし、外国人旅行客らが食べる前におかわりするのかもしれず、どっちが正解かわからなかったし、キャベツおかわりしなかった。

 


円安だからタックスヘイブンに死蔵してるドルで支払おうかと思ったのに、ドルはドルで国際的信用がすっかり失墜して例えばゴールドと比べると価値が下落してるではないか! そんな弱いドルよりも弱い円なんて……資産の一部を暗号通貨に変えておいて本当によかったと胸をなでおろしたら思い出した。そんな資産なかった。

 

以前から劣化は進行していて「膿」が噴出するのを見ていたとはいえ、2020年ぐらいに底が抜けてから急激に転落の一途をたどり、それから先もう未来なかった。

 


庭のひまわりが咲くと雪原で行き倒れて救われたのが嘘のように思えてくるけど雪原で行き倒れたのは映画『ひまわり』で観たにすぎず、自分の体験じゃなかった。
 

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花々11

2024年07月01日 | サカタだよ

地球上の生物の8割は昆虫という話があります。8割って全種類のうち8割なのか、全個体数のうち8割なのか。おそらく個体数なんか数えられないから全種類の8割がきっと昆虫なんでしょうね。

地球は昆虫の星であり、万物の霊長を気取る人類などは片隅で細々と生きてるにすぎないのかも。すくなくとも花々は、人類なんか相手にしておらず、昆虫のために咲いて昆虫のおかげで受粉して、昆虫といっしょに種類をふやして棲息している。

そんな花々をみて人間のはしくれが時々もらす詠嘆や感想や思念の類を書きとめて、いつのまにか11回を数えるようです。およそ1年ぶり。過去10回は、たどる気になれば最後のリンクでたどることができます。

 

なんの花かと画像検索したらサクラだった。

この世はさながら地獄のように天国だとぼくはサクラ眺めつつ思うんだ。

 

なんの花かと画像検索したらヤマブキだった。

悪代官様の大好物であるヤマブキ色のお菓子はいまなら裏金なんだろう(還付金では決してない)けれども、おこぼれに預かる機会もなく六公四民で容赦なく徴収され、生かさぬよう殺さぬよう殺される現代版の百姓たちが、どういう消去法で悪代官様にしたがうのか不思議でならないとヤマブキ見ながらぼくは思うんだ。

 

なんの花かと画像検索したらフジだった。

もはや内閣支持率というより犯罪支持率だし、組織的犯罪の反社会性力を支持するのは中立でも普通でも保守でもなく反社会性力そのものだとぼくはフジを見てると思うんだ。

 

なんの花かと画像検索したらミツマタだった。

ミツマタ見てもぼくはなんにも思わないんだ。

 

なんの実かと画像検索したらナナカマドだった。
 
無宗教とかいいながら反社会カルト宗教のテロリズムにあっさり屈してる瑞穂の国のぬばたまの闇に光を、もっと光を!なんて切に願っても手遅れらしく、これからどう沈むのか痴呆な為政者らや利益供与者たちのプロパガンダを小馬鹿にしつつ見届けようとぼくはナナカマドながめて腹をくくるんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらマツユキソウだった。

本田美奈子がロンドンで全曲レコーディングした『キャンセル』という英語曲が全然ないアルバム(作詞は秋元康ばかり)をWalkmanで聴いたら「ピンクのつけ毛」という歌詞が出てきたから、1987年ごろはエクステって言葉がまだなかったんだとマツユキソウ見てぼくはためいき漏らすんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらシバザクラだった。

結局ろくなことしないまま任期が切れそうだけど、その後でも構わないから逮捕されてほしい……安倍さんみたいにならないようにとシバザクラみつめてぼくは懸念するんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらシャクナゲだった。

観光客がどこか外国(欧米と東アジア、東南アジアが目立つ)からきて楽しそうにしてるのを自分の生活圏で目にするのは悪くない。そりゃこれだけ円の価値が下がれば何をしても安上がりだからくるよなと、ぼくはシャクナゲ眺めつつ思うんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらタンポポとヒメオドリコソウだった。

20世紀初めの日本国民が軍部の暴走を止められなかった(むしろ支持した)のと同じように、21世紀初めの日本国民が自民の暴走を止められなかった(むしろ支持した)なら結果も同じだと、ぼくはタンポポとヒメオドリコソウ眺めて憂うんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらキクザキイチゲだった。

結局のところ北朝鮮なんか脅威じゃなくて敵性国家というべきは中国でもロシアでもなく昔も今もこの国をぶっ壊してるアメリカだなってキクザキイチゲ見るとぼくは思うんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらシモツケだった。
 
バブル直後は周囲におさぼりさんが多くて「おさぼりだらけだから自分はしっかりやらなきゃ」と思ったけど失われた30年の果てに周囲がおしなべて勤勉になると自分はどうしたらいいのか、ぼくはシモツケに話しかけるのに答えがないんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらシバザクラだった。

既成政党ではなく寄生政党だったとは、なめとんのかとシバザクラ眺めてわしは出るわけない関西弁もらすねん。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらディエテス・ピコロルだった。
 
リニアもメガソーラーも環境破壊にほかならないとぼくはディエテス・ピコロル見てると思うんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらリンドウだった。
 
男女とも顔の小さい子が増えてるから50年後か100年後に日本がまだあったら顔がなくなってるんじゃないかと心配されるけど顔面のデカい子もいるのが安心材料だってリンドウ見つめてぼくは思うんだ。
 
 
 
なんの花かと画像検索したらカタバミだった。
 
この世はとりもなおさず天国なのに気づかないで不平をいだいたり悪だくみをしたり、みずから地獄にはまる者たちが後を絶たないのは少しばかり哀しいことだとぼくはカタバミ見てあきらめるんだ。
 
 
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25周年からの・・・?

2024年06月12日 | サカタだよ

教師生活25年……『ど根性ガエル』に出てくる学校の先生がことあるごとに口にするセリフを、まさか自分がアレンジして口にする日がくるとは思いませんでした。編集生活25年……しかし、そこでストップして早3年。バックアップの仕事に回り、会社生活トータル30年になりました〜! パフパフ、ぽろり。(←なにをや)

そうこうするうちに檀拓磨さん主宰の「少年キャンプ」が25周年を迎え、お祝いの会に先日(6/1土)呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! と、おとなしく参加してきたのですが、だれかの編集生活とちがって「少年キャンプ」は25周年でストップしない。キャンプを未来につなげる農園づくりを始めたというので、さっそく見せてもらいました。

未確認飛行物体、そうですUFOが着陸した跡みたいですが、もちろんミステリーサークルではありません。サークル型をした畝が作物を植える畑で、丸い茶色の山手線をつらぬいて真ん中を通る中央線みたいな直線コースは芝刈り機が通るところです。ゆくゆくは足元に芝の敷かれた、靴に泥がつかない農園にして、芝刈りも機械でするつもり。面白い計画ですね。

畝を作るため土を掘り返したら、このように水が湧いてきたそうです。檀さんは庭にMTBのコースなども作ったことがあり、土を掘り返したら水がどこからか出るものだというのは経験で知っていたので特に驚かないと話してました。しばらくしたら引くのかどうか当面は様子を見ているそうです。

たぶん高齢化も関係しているのでしょう。ここは元から畑ですが手放す方がいたので檀さんが自分の畑にすることにして、しゃがんだり腰を曲げたりせず立ったまま農作業ができる高い畝をこしらえる途中がこれです。そのために土を掘り返しても、従来の化学肥料のせいか微生物がいなかったので、これから微生物を育てて循環する農業を試みる……「リサイクルではなくサイクル」ゆえに「畝もサークル(円形)」と、案内しながら話してくれました。ワードセンスがいいですね。

プロトタイプの畑がこちら。お庭で試作した畝をまず木で囲い、木は朽ちるので石で囲って立ったまま作業できる畑にした状態です。ホップを育てており、採れたホップをビールに加えて飲むと幸せだといってたような……ちょっと記憶があいまいなので作物の種類は間違えているかもしれません。ブログに書くと思ってなかったもんで、なんか美しい緑に囲まれて陶然と自分の世界に入ってました。

これはもっと初期に試作した畑の畝で、イスに座ったまま作業する高さ。アメリカの雑誌かドキュメンタリー番組で、膝や腰に負担のかからないスタイルの農園を営む人たちの話を見聞きした檀さんはそのことに興味を持ち、おそらく高齢化にも関係あるのだと思いますが、畝がだんだん高くなるのを見て「自分も膝を腰を曲げずに立ったまま農作物を作ろう、キャンプのお客さんも喜ぶだろう」と考えたらしい。ブログに書くと思ってなかったので、ニュアンスが違ったらごめんなさい。

なにしろ、低い畝の畑に囲まれたBBQの竈門で25周年のお祝いの会のために焼き鳥を焼いていたものですから、どうしてもそっちに関心が向いてしまって、ブログに書くとか思ってなかった「アメリカの農園で畑の畝がだんだん高くなるプロセス」については片耳で聞いていた感じなのです。それでも、これだけ覚えている自分を自分でほめてあげたい……これはこれで有森裕子さんに叱られそうな物言い。ぼくはいつもこうなんです。

ただいま造成中の、畝が高い畑も、おそらく石で囲まれて足もとには芝が育ち、衣服を汚さず、靴も汚れない、立ったまま作業ができるアメリカのどこかの畑のようになるのでしょう。壇拓磨さんは企画力がすごいから、きっとオリジナルの要素も盛りだくさんで、100%理解している自信はありませんが、カフェとか併設する観光農園のような未来像もなんとなく瞼に浮かびます。

人の庭や畑のことを勝手にブログに書いたりして、もし叱られたらすぐに消しますが、少年キャンプ農園の造成や運営についてはクラウドファンディングで支援を募っており、すでに目標額は達成したものの、たしか第2段階で6月28日まで募集を続けているので概要がわかるリンクを貼っておきます。

https://readyfor.jp/projects/140509

檀拓磨さんのおうちを初めて訪ねたのは、スタイリストの石川顕さんが企画した「TARZAN NAGANO STYLE」というファッションのページに担当編集としてお伴した(ついていっただけで何もしていない)2006年のことだから、時の経つのは早いもの。「少年キャンプ」は25周年を越えて未来へ進化し続けるんだろうなと思いながら、いい季節なのでお庭にテントを張らせてもらって中年キャンプしました。中高年キャンプといったほうが実態に近いんですが、自虐はほどほどにしておこう。

昔は少年だったんですけどね

 

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