「土と炎の詩人」と称された 河井寛次郎の住まいが記念館として公開されている。
東山五条の路地の京町屋、昭和12年に寛次郎が自ら設計。
昭和41年に76歳で亡くなるまで過ごした工房と住まいであった。
家の中に足を踏み入れた途端、そのどっしりとした
頑丈さに圧倒される。それはまさに寛次郎の作品の
イメージそのもの。
浜田庄治やバーナードリーチ、柳宗悦などがこの囲炉裏を
囲んで、芸術論に花咲かせていたのかもしれない。
隅の火壷に残り炭を入れて語らいの火も消してお開きに…
工房から中庭を挟んで住居を望む。
調度品も寛次郎自身の設計。
形がさまざまな椅子やテーブルがあちこちに並べられている。
あの椅子、この椅子と座ってみる…
こののぼり窯は昔に築かれたものを寛次郎が譲り受けた。
二昼夜にわたって1350℃程度の火で、前の室から後の室へと
燃やされていたので、約2000束の松割木を必要としたそうだ。
寛次郎の作品の多くはこの窯の前から2番目の室で生み出された。
重厚で頑丈な作品にもこの家にも、ぬくもりが感じられて、
不思議に落ち着いてしまう。でも、この家で暮すとしたら
相当なエネルギーが必要のではないかと思った。
東山五条の路地の京町屋、昭和12年に寛次郎が自ら設計。
昭和41年に76歳で亡くなるまで過ごした工房と住まいであった。
家の中に足を踏み入れた途端、そのどっしりとした
頑丈さに圧倒される。それはまさに寛次郎の作品の
イメージそのもの。
浜田庄治やバーナードリーチ、柳宗悦などがこの囲炉裏を
囲んで、芸術論に花咲かせていたのかもしれない。
隅の火壷に残り炭を入れて語らいの火も消してお開きに…
工房から中庭を挟んで住居を望む。
調度品も寛次郎自身の設計。
形がさまざまな椅子やテーブルがあちこちに並べられている。
あの椅子、この椅子と座ってみる…
こののぼり窯は昔に築かれたものを寛次郎が譲り受けた。
二昼夜にわたって1350℃程度の火で、前の室から後の室へと
燃やされていたので、約2000束の松割木を必要としたそうだ。
寛次郎の作品の多くはこの窯の前から2番目の室で生み出された。
重厚で頑丈な作品にもこの家にも、ぬくもりが感じられて、
不思議に落ち着いてしまう。でも、この家で暮すとしたら
相当なエネルギーが必要のではないかと思った。