新潟カウンセリング研修センター

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「聴」 と 「聞」 に想う

2015-09-12 08:54:50 | 私の声
あるカウンセリング研修会でのこと、参会者のお独りが「聴く」と「聞く」について問うていた。それを聞いて触発し、ふと自分自身の体験が思い出されて声になっていた。だいぶ以前、学校に勤務していたときのこと、提出文章に「聞く」の文字を記載したところ、「聴」に訂正されたのだった。そこで、しかたなく「聴聞」と改めて提出し直したのだが認められずに、再び「聴」に訂正されたのである。学校教育の場では、「聴」一辺倒で「聞」を拒否・排除する体質がある。つまり、独り・独りに聞かせていただけない・尊重できない狭さが、ここから読み取れるのだ。両者を横に並べる視点に立てば、良し悪しの評価にならざるを得なくなるのだ。従って、聞く側の意に反した者を否定することになる。これまでの私自身の学びを通して、「聴」と「聞」に顕かな違いがあり、横に並べて良し悪しをつけるのではなく、表現しようとする人間の想いに関わっているのだ。「聴」は「聞」を排除するが、「聞」は「聴」を包んでいるのである。「聴」は「聞」に抱かれている。「聴」は有限、「聞」に無限を想う。奥深い人格形成を担っている、学校教育の根底に関わる問題の重大さを、私は伝え続けていきたい。
 カウンセリング楽習会は、9月27日(日)13:00~16:30詳細は、☎025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)へ

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