新潟カウンセリング研修センター

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“言ってみる”は、学びになる!?

2018-05-28 08:21:36 | 私の声
 学びは、常に“言ってみた(体験)”後に訪れる。吾の声にした後に、いただけるものだ。他者が言っているのを、傍らで聞いていて、では私のものにはならない。他人事になっている。声にして、この身がこの身に顕わになる必要があるようだ。これまでの吾道程から言える。声は、どなたにも生まれながらにして具わっている。しかしながら、声の用(はたら)きが大事になるような人との関わりに恵まれてきていない。親であり、学校の教師であり、最も関わり合いの密な関係において教わってはいない。いつの間にか声にしない方向に向かっている。自分で自分の“今・ここ”が闇のなかのままで生活しているから、気分は重く精神は患っている。危険だ。自殺・他殺・薬物へと。健康的な育まれ合いを願って、カウンセリングにお誘いしている。一人で考えていては道は開かれないのである。まず足を運んでみることだ。

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