人間と人間との関わりにおいて、「誤解された」とか「誤解している」とかということばを、よく耳にする。大抵はこちらに都合が悪いと思ったときに、相手に向けられて言っているように思う。つまり、自分の言ったことが正しくて、あなたの言っているのは違いますと。このところでは、言い合いにならざるを得ないのである。いわゆる、ケンカになり、憎みあいになり、殺し合いになり、戦争になっていく関係のありように他ならないのだ。おおかた、日常会話はこのようになされている。悩みにもならず、なんとかしたいと自分の課題にもならないままに。国会でも然り、国と国との外交も然り。したがって平和・平和と叫んでみても、絵に描いたもちにすぎず、真の平和になるわけがない。誤解しあっている関係、いや本来ない誤解を、あたかもあると思い込んでいる関係には、永遠に平和は訪れまい。真の学習が著しく欠落しているのだから。真の学習に迎えられる人は、自分の悩みに・自分の課題になれる人だといいたい。ちゃんと、人間にならせていただけていける道は、見えてくるのだから。
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