サッカー日誌 / 2015年01月07日


女子を育てたレッズとベレ-ザ


皇后杯女子日本選手権決勝
日テレ・ベレーザ 1対0 浦和レッズ
5年ぶり、11度目の優勝
(1月1日 味の素スタジアム)

★人工芝で育った
 2014年度から「皇后杯」となった女子日本選手権の決勝は日テレ・ベレーザ対浦和レッズ・レディースの対決だった。
 ともに、日本の女子サッカーの歴史を作ってきたチームである。
 「この2チームは、人工芝のおかげで生まれ、育ったのではないか?」とぼくは考えている。
 浦和レッズの女子チームは、三菱養和会の人工芝のグラウンドで生まれ育った。
 三菱商事が米国のモンサントと提携して、モンサントの開発した人工芝を移入した。それを、巣鴨と調布の三菱のグラウンドで試験的に使用した。
 このグラウンドを使用していた三菱重工のサッカー部が女子サッカーを始めることを考えた。
 三菱重工のサッカーがJリーグ創設にともなって浦和レッズになり、その女子チームが浦和レッズ・レディースになったのである。

★グラウンドの競合を解決
 一方、ベレーザは、讀賣クラブの女子チームとして「よみうりランド」の人工芝で生まれ育った。讀賣クラブは三菱より少し遅れて人工芝を移入した。そこで讀賣クラブの女子チームとして「ベレーザ」が生まれた。
 讀賣クラブがヴェルディになり、女子チームは現在の「日テレ・ベレーザ」になった。
 どちらも人工芝の移入とともに生まれた。その理由は、男子チームの使っている天然芝のグラウンドを傷めないですむようになったからではないか?
 これが、 ぼくの仮説である
 そのころは、サッカーはもっぱら男子のスポーツと考えられていたので「そこに女子が割り込んでくるのは厄介だ」という思いがあったことは十分に想像できる。
 そういうなかで、三菱と讀賣は、グラウンドの競合の問題が解決したので女子を受け入れることができた。

★「男女共存」のクラブ
 もう一つ。
 三菱と讀賣が女子を受け入れることができた原因は、両方とも学校や企業のチームではなく、当時としては目新しいクラブ組織だったからだと思う。既成のチームの枠にとらわれないで、欧州のクラブの「あり方」を学んでいた結果だろう。
 男女が同じ組織に属することによって、新たにできた女子は、男子に学ぶことができた。
 そのおかげで、三菱も讀賣も、女子サッカーについては、まったくゼロから選手を育てることができた。「男女共存」のおかげである。
 2013度の女子サッカーを制したINAC神戸は、既成の選手を引き抜いてきて強いチームを作った。それも、一つのやり方かもしれないが、サッカーの向上、発展には、あまり役立たないと思う。
 ゼロから出発して選手を育てた浦和とベレーザの歴史を見直して評価したい。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 東西対立時代... アギーレ監督... »
 
コメント
 
 
 
レッズレディース (中村年秀)
2015-01-07 23:13:51
浦和レッズレディースは、98年に市民チームとして誕生し、05年にレッズの下部組織になりました。あまり三菱養和の影響は受けてないと推測します。ベレーザとは歴史が違う感じがします。
 
 
 
皇后杯 (中村年秀)
2015-01-07 23:34:21
もう1つ。皇后杯になったのは2012年度からですよ。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.