サッカー日誌 / 2015年11月23日


「クラマー氏 感謝の会」(下)


マス・メディアへの啓発

日本サッカー協会主催追悼会
(11月19日・JFAハウス)

★中条一雄さんの功績
 日本サッカー協会主催の「デットマール・クラマー氏 感謝の会」のとき、協会最高顧問(元会長)の川淵三郎さんがスピーチの中で、中条一雄さんとクラマーさんの関係を取り上げた。
 中条さんは、突然指名されて立ち上がることになって、びっくりしていた。
 中条さんは、元朝日新聞記者のスポーツ・ジャーナリストである。クラマーさんとは、もっとも縁が深かった。
 1960年に日本代表チームが西ドイツ(当時)に遠征したとき、チームの主務を兼ねて朝日新聞特派員として同行した。
 日本のサッカーが、クラマーさんの指導を受けたのは、このときがはじめてである。
 中条さんは、クラマーさんを取材した最初の日本人記者になった。その後も、クラマーさんの仕事を日本に紹介するのに、もっとも大きな役割を果たした。

★サッカー記者を大事に
 協会主催の「クラマー氏 感謝の会」には、中条さんのほかにも、当時の新聞社のサッカー担当記者が、招待を受けて参加していた。賀川浩さん(大阪産経)、松原明さん(東京中日)などである。
 当時のサッカー記者は、例外なく、クラマーさんから親しくしていただいていた。
 それは、クラマーさんのほうから、マス・メディアに積極的に働きかけたからである。
 クラマーさんは、ことあるごとに、サッカー担当記者に集まってもらって、自分の仕事を説明した。
 サッカー記者にとっても、クラマーさんの話を聞く機会は貴重だった。
 というのは、そのころは海外のスポーツ事情を知る手段が少なかったので、クラマーさんの話が、サッカーだけでなくいろいろな面で役に立ったからである。

★アマチュアリズム批判
 ぼく(牛木)自身、クラマーさんに啓発されたことが、たくさんある。
 その一つが「アマチュアリズム批判」である。
 そのころ、日本のスポーツを支配していたアマチュアリズムは「スポーツによって、お金や物質的利益を得るのは、不道徳である」という考えだった。
 プロのサッカー・コーチとして来日したクラマーさんは、日本独特の「アマチュアリズム」に驚いたようだ。
 クラマーさんは、日本の偏狭なアマチュアリズムを批判し、プロフェッショナリズムの導入を主張した。
 もう一つ、クラマーさんから教えられたのは「クラブ制度」である。
 日本のスポーツは「学校」が中心である。
 クラマーさんは、誰でも参加できる「クラブ」が、日本のスポーツに必要であることを説いた。
 こういうクラマーさんの考えの影響を受けて、ぼくは「読売サッカークラブ」の創設に動くことになった。


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