サッカー日誌 / 2016年09月23日


カープ初優勝の思い出(中)


ルーツ監督の辞任騒ぎ

プロ野球セ・リーグ優勝決定
(9月10日、東京ドーム)

★病気のアナウンス
 プロ野球セントラル・リーグで、広島カープが初優勝したのは1975年である。
 当時、ぼく(牛木)は、東京の読売新聞でプロ野球を担当していて、シーズンの初めごろ、中日対広島の試合の取材のため、名古屋に出張した。
 そのころ、読売新聞は名古屋には本社がなく、スポーツの取材は、東京本社運動部から記者を出張させていた。
 というわけで、ぼくは中日球場の記者席に座っていたのだが、ドラゴンズについても、カープについても,内情は、ほとんど知らなかった。
 試合のはじめにアナウンスがあった。
 「広島カープのルーツ監督は、病気のため、本日の試合にはベンチに入りません」。
 ぼくは、そのアナウンスを信じていた。
 試合は代理監督の指揮で、無事に行われた。

★監督のボイコット
 試合が終わって、記事を送りおわったあと、報知新聞の駒沢悟記者が、ぼくに声をかけてきた。
 駒沢さんは、広島出身で、当時も今も、カープにもっとも詳しい記者である。
 駒沢さんは言った。
 「ルーツは病気ではありませんよ。代表と喧嘩して、試合をボイコットしたのですよ。ホテルに行ってみましょう」
 なにも知らないぼくは、駒沢記者といっしょにホテルに行った。
 ジョー・ルーツ監督は、ロビーのソファに、一人でポツネンと座っていた。
 「カープの監督を辞任するのか?」
 と、ぼくが聞いた。
 「辞任はしないよ」とルーツは答えた。
 「じゃ、なぜ球場に行かなかったのか」
 ぼくは、しつこく尋ねた。

★「ファイア」を求める
 ルーツ監督は、自分の説明を、ぼくが理解できないのに業を煮やして、こう言った。
 「きみは、ファイアという英語を知っているか?」
 「ファイア」は「解雇する」という意味である。
 自分から辞任すれば、以後の給料はもらえない。
 カープのほうが解雇すれば、契約した期間(1年分)の報酬をカープはルーツに支払わなくてはならない。
 ぼくが、英語で「リザイン(辞任)するのか」と繰り返し質問したので、ルーツ監督は「ノー」と答えたのである。
 「自分から辞任はしない。カープがクビにするのを待っている」と言いたかったのだろう。
 ぼくは、駒沢記者と一緒に広島カープの宿舎に行って、重松代表を呼び出した。
 「分っているよ」と重松代表は言った。
 「ルーツを解雇」は、報知の特種になったと記憶している。


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