サッカー日誌 / 2015年11月21日


「クラマー氏 感謝の会」(上)


五輪後の発展のために

日本サッカー協会主催追悼会
(11月19日・JFAハウス)

★愛弟子たち大集合
 日本サッカー協会の主催で「デットマール・クラマー氏 感謝の会」が行なわれた。
 クラマーさんは、1960年代に日本のサッカーを指導したドイツ人のコーチである。
 9月に90歳で亡くなった。
 日本のサッカーを根本的に改革し、現在の隆盛の基礎を築いた功績に感謝する追悼会だった。
 クラマーさんは、日本でいろいろな業績を残したが、主な仕事は、1964年東京オリンピック日本代表チームの強化とその後のための指導者(コーチ)育成だった。
 「感謝の会」には、東京オリンピック出場選手12人のうち9人が参加した。
 また1969年に東大検見川グラウンドで第1回FIFAコーチング・コースが開かれたときの参加者が6人参加した。
 クラマーさんの愛弟子の大集合だった。

★受けた指導を広める
 このクラマーの愛弟子たちが、いま全国各地でサッカー指導の中核になっている。
 これこそが、クラマーさんが日本サッカーに残した最大の遺産ではないか?
 「感謝の会」の参加者の顔触れを見て、そう思った。
 クラマーさんは、1964年東京オリンピックのあと、日本を去るに当たっての送別パーティーの席で、日本のサッカーの将来のために5つの提案をした。
 5つの提案のうちの2つは、コーチについてのものだった。
 クラマーさんのもとでコーチとして働いた長沼健、岡野俊一郎の2人、および指導を受けたオリンピック代表選手は、サッカー向上のために何をすべきかを学んできた。
 将来のために、この人材を活用しなければならない、そのためにコーチの制度と組織を整備すべきである。
 これが、クラマーさんの提案だった。

★マスコミにも呼びかけ
 クラマーさんは、東京オリンピックの試合が終わったあと、長沼、岡野の両コーチと話し合い、2人が、クラマーから学んだことを今後の日本のサッカーのために、生かすように求めた。
 選手たちのミーティングでも、同じように、自分たちが受けた指導を、全国に伝えるように話した。
 さらに、新聞社のサッカー担当記者を集めて、日本のサッカーの将来のために、自分が日本サッカー協会に提案しようとしていることを説明した。
 クラマーさんに与えられていた任務は、東京オリンピックのために代表チームを強化することだったが、クラマーさんは、その任務を超えて、日本のサッカーの未来を考えていた。そのためにコーチや選手やマスコミにまで宿題を残した。
 あれから半世紀余。
 「感謝の会」に集まった人びとが、クラマーさんの宿題を果してきたことがすばらしい。


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