サッカー日誌 / 2012年11月21日


学校のスポーツを考える


セルジオ越後の痛烈な批判と提案
(11月18日 サロン2002番外編・筑波大附属高校)

★耳を洗われる思い
 筑波大学附属高校の中塚義実先生が主宰しているスポーツ文化の研究会「サロン2002」で学校の部活を考える集まりがあった。毎月1度の例会のほかに開催したので「番外編」と銘打っていた。
 大学と高校のサッカー部の活動の事例が、それぞれ報告され、それに対して、ゲストのセルジオ越後さんがコメントするという試みだった。
 二つの大学のサッカー部についての報告は、内容が、この集まりの趣旨に沿っていなかった。率直に言えば、つまらなかった。
 高校についての報告は中塚義美先生が実践しているDUOリーグの紹介だった。これは内容の濃いものだったが、ぼくにとっては、すでに知っている話だった。
 セルジオ越後さんのコメントは痛烈で、ユニークだった。ぼくは目を、いや耳を洗われる思いがした。
 
★「補欠スポーツ」批判
 セルジオ越後の「部活批判」は、よく知られている。
 日本の学校スポーツでは、一つの学校から一つのチームだけが出場する。そのため一握りのレギュラー以外は「補欠」で試合に出られない。
 「プレーしなければ意味がないじゃないの。ブラジルには補欠はないよ」というのがセルジオの口癖である。
 また、日本の学校スポーツ大会は、ほとんどが勝ち抜きのトーナメントである。負ければ、あとは試合がないから、1回戦で負けたチームは1試合しかできない。1年を通じて活動していても、一握りの常勝チーム以外は、まともな試合をする機会は非常に少ない。
 「試合しないで練習ばかりじゃ、楽しくないよ」というのもセルジオの口癖だ。
 それだけではない。この日のセルジオは、さらに突っ込んだ提案をした。

★スポーツ部が社会活動を!
 「甲子園野球や高校サッカーで、アナウンサーが4500校の頂点に立つなんていっているけど、あれはウソだね。いい選手を特別に入学させてスポーツばかりやっている16校ぐらいの頂点に立っているだけだよ。ほかの学校は別のグループだよ」
 大部分の「ふつうの学校」のスポーツが、特別の「スポーツ学校」と争って頂点をめざす意味はないという。
 それでは「ふつうの学校」のスポーツに何ができるか?
 セルジオは、意表をついた提案をした。
 「運動部が年間に一つの社会活動のプログラムを組んではどうか。学校の外に出てビジネスにかかわるとか、世の中の役に立つ活動をするとか。子どものサッカー教室をやっている例はあるけど、スポーツ以外のことも経験したらいい」
 他のスポーツと手をつないでやったらいい。学校内だけ、自分のスポーツだけ、という考え方は「古くて、狭いよ」という意見だった。

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