サッカー日誌 / 2010年09月11日


サッカーの世界への伝わり方


日本体育学会体育史分科会
シンポジウム「サッカーの伝播と受容」
(9月8日 中京大豊田キャンパス)

◇またたく間に世界へ
 9月8日から3日間、日本体育学会が愛知県豊田市の中京大学豊田キャンパスで開かれた。その初日に顔を出してみた。日本体育学会は大きな組織で多くの分科会に分かれている。その一つの「体育史」の分科会で行われたシンポジウムに興味があった。本来の当日参加費(1万円)に加えて1000円の追加を払えば会員でなくても参加できる。
 1863年にイングランドでルールが統一されたあと、サッカーはまたたく間に世界各国に広まった。どのように広まったのか? どのように受け入れられたのか? それを考えてみるシンポジウムだった。テーマに興味があっただけでなく、パネリストが仲間の福島寿男さん(国会図書館)と山本英作さん(高知学園短期大学)だったので「会員外」で飛び入り参加したのである。
 話を聞いていて気がついたのは、サッカーの伝わり方は、いろいろだということである。  ドイツとブラジルと日本の例が紹介されたが、それぞれ事情が違う。

◇さまざまなフットボール
 19世紀の英国では、いろいろなパブリック・スクールなどで、それぞれ独自のルールによるフットボールが行われていた。そういうルール統一以前のフットボールが、それぞれのスクールの出身者が海外に出かけることによって、他の国でも行われた。また、欧州大陸や当時英領だった国から英国に留学して、それぞれ留学先の学校のフットボールを持ち帰ったケースもある。つまり19世紀には、いろいろなフットボールが各国に移出されていたと考えていい。
 移出の経路もさまざまである。海外に赴任あるいは旅行した英国人、英国で学んで帰国した留学生のほかに、キリスト教布教の団体によって伝えられた例もある。南米などには英国からだけでなく、スペイン、ポルトガル、イタリアなどを経由して、移住者によっても持ち込まれている。
 伝わった経路は、一つの国で一つとは限らない。港によって、それぞれ別のフットボールが入ってきた場合もあるだろう。フットボールの伝播は一筋縄では考えられない。

◇なぜサッカーが世界を制覇したか?
 いろいろな形で、いろいろな経路で入ってきたフットボールだが、20世紀に入ったころに、ほとんどの国で「サッカー」に統一された。1963年設立のイングランドのFA(フットボール・アソシエーション)ルールが、各国で主流となったのである。それによって、サッカーは「世界のスポーツ」になった。  
 なぜ、FAルールが世界を「制覇」したのか? 
 いろいろあるだろうが、最大の理由は「ルールの作り方がよかった」からだろうと想像した。簡単で、致命的な危険がなく、全員が動き回る。チームプレーの精神を養える。そういう長所が生かされている。
 日本で本格的にサッカーが広まったのは、1903年(明治36年)に、東京高等師範学校(現在の筑波大)の学生だった中村覚之助が「アッソシエーション・フットボール」という解説書を編纂・執筆したのが始まりである。その業績を紹介したシンポジウムの報告書を、体育史分科会に持って行って配布した。専門の先生方に、さらに突っ込んで研究してもらいたいと思ったからである。

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