サッカー日誌 / 2007年10月19日


’80年代の日本サッカー(下)


狂会員から見た代表チーム
(10月4日「日本サッカー狂会」出版記念会)

◆『日本サッカー狂会』の本
 「1980年代の日本サッカー」を当時代表選手だった都並敏史さんが語り、それを、当時、新聞記者だったぼくは聴衆として聞いていた。そのトークショーは「日本サッカー狂会」の出版記念会だった。
 「協会」ではない、いわゆる「狂う会」は、東京オリンピックよりも、さらに前の1962年創立。日本代表チーム・サポーター団体の「超しにせ」である。
 その半世紀近い活動をまとめた本が出版された。本の名も『日本サッカー狂会』。国書刊行会発行、定価1900円プラス税。カラーのカバーで、340ページあまりの立派なものである。一般の書店で販売している。
 極め付きの有識サポーターである「狂会員」たちは、「1980年代の日本サッカー」をどう見たか。それは、この本の中に書かれている。

◆熱い応援と鋭い批判
 まだきわめて少数だった当時の日の丸サポーターたちは、混乱と過渡期の代表チームを熱い思いで、しかし鋭い目で観察し、応援している。当時の会員による長い座談会のなかにそれが出てくる。
 この座談会で語っている人たちは、熱烈なサポーターであっても、代表チームの試合結果に感情的に反応はしてはいない。オリンピック出場権をのがしても試合ぶりが未来につながるようであれば評価している。森孝慈監督のときがそうである。
しかし、おかしいと思えば、当局である「日本サッカー協会」が擁護しても、在野の「狂会」は敢然として追及する。1980年代の終わりころの「横山やめろ」のキャンペーンも、このメンバーの中からはじまったらしい。横山謙三監督が、新しい戦法を取り入れようとしたのを知っていても、成績不振が続けば立ち上がっている。

◆80年代の戦法の歴史
 『日本サッカー狂会』の座談会を読むと、日本代表チームの戦法の歴史が浮かび上がってくる。サポーターの本でありながら、戦法を語っているところがおもしろい。
 世界的に見ても、このころはサッカーの戦い方が急速に変った時代だった。そういう世界の動きに目を配ったうえで日の丸を振っている。4年に1度のワールドカップは、会社勤めの身でも無理をして見に行っている。日本代表が出場できないでいたころでも、サポーターは「世界のサッカー」を勉強に行っている。だから、歌って騒いで、自分勝手に応援を楽しんでいるサポーターとはレベルが違う。
 スタンドから見ていたわけだから、選手だった都並敏史さんとは違ってチームの内情は分からない。それは、やむをえない。でも、1980年代から15年以上もたって、都並さんを呼んで当時の内情を聞いたところにも、ぼくはおおいに感心した。


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