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スポーツ報道 / 2013年11月12日


日本シリーズの視聴率


プロ野球も地方の時代
(10月26日~11月3日 楽天対巨人)

★7試合全部がベスト20入り
 プロ野球日本シリーズのテレビ視聴率に注目していた。
 ここのところ、スポーツのテレビ中継視聴率では、サッカーの日本代表の試合が上位を占めていて、プロ野球が週間ベスト20に顔を出すことは、ほとんどなかった。
 しかし、今回(2013年)の日本シリーズは、過去には全国区の人気を誇っていた巨人と東北のチームとして台頭してきた仙台の楽天との対決である。
 巨人の人気と楽天の地域性とが、テレビの視聴率にどう反映されるだろうか?
 そこのところに興味を持っていた。
 予想していたとおり視聴率は高かった。
 10月終わりから11月初めにかけての2週間で、日本シリーズ7試合の視聴率は関東地区ですべてが週間ベスト20に入った。

★地元の最高は60.4%
 関東地区の視聴率だから、巨人の人気に震災被災地・東北の楽天への同情人気がプラスされたのだろう。
 さらに楽天の田中将大投手への注目度が加わった。
 7試合のうち、最高視聴率は第6戦の28.4%である。田中の登板が予告されていて、楽天が勝てば「日本一」が決まるというケースだった。
 この試合で楽天が負け、決着は最終戦に持ちこまれた。
 最終戦の平均視聴率は関東地区では27.8%だったが、仙台地区では44%だった。地元の視聴率がはるかに高い。
 地元の瞬間最高視聴率は60.4%だった。これは試合終了直後の数字である。仙台地区の視聴者の半分以上が、試合の中継は見ていなくても、地元チームの結果には関心を持っていたことを示している。
 楽天イーグルスが、仙台あるいは宮城県のチームとして大衆の支持を得ていることがわかる。

★視聴率では測れない人気
 視聴率の数字を見て二つのことを考えた。
 一つは多チャンネル時代の影響である。
 1980年代までは巨人の人気は全国区だった。原因は巨人の試合が日本テレビ系で全国に放送されていたことである。
 テレビは地上波だけでチャンネル数が少なかった。そのため日本テレビ系がプロ野球をメーンにすれば、他の局はドラマやドキュメンタリーなど、ほかの分野を売り物にした。したがって、巨人以外のプロ野球の放映は少なかった。
 しかし衛星の発達とデジタル化でチャンネル数が増え、巨人以外のチームの試合も電波にのるようになった。それで巨人の人気独占が崩れた。
 もう一つは、プロ野球もテレビも「地方の時代」を迎えていることである。テレビ中継は地元では見られていても、もはや全国区ではない。
 テレビ視聴率をスポーツの全国的な人気のバロメーターにはできなくなっている。

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スポーツ報道 / 2013年08月29日


五輪招致の成否を占う


根拠の薄い東京確実の報道
(「週刊新潮」8月29日号、週刊「AERA」9月2日号)

★東京有利の観測が急浮上
 2020年のオリンピック開催地が9月7日にブエノスアイレスで開かれるIOC(国際オリンピック委員会)総会で決まる。決定目前になって日本のマスコミに「東京有利」の観測が流れはじめた。
 週刊新潮には「さあ困った!五輪が東京にやってくる」という見出しの記事が載っていた。
 週刊「AERA」の発売広告には「勝利目前、東京五輪実現への最後のハードル」とあった。
 東京の当選は確実という読みらしい。
 ぼくは「あまのじゃく」な「票読み」をしてみた。
 ただし十分な情報を持っているわけではない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の類である。
 でも、ぼくの見た限り、マスコミもしっかりした票読みができているようではない。
 
★98人の委員が投票
 IOCの委員の総数は104人である。このうちオリンピック開催地に立候補している都市を持つ国の委員は投票権がない。スペインが3人、トルコと日本が各1人。それに議長になるロゲ会長は投票しない。
 したがって欠席がなければ投票するのは98人である。
 欧州の委員が40人。そのうち約20人以上が最初の投票ではマドリードに入れるのではないか?
 近い将来に開催を狙っている国、たとえばフランスの委員は同じ欧州のマドリードに入れないかもしれない。 
 しかしそれ以外の欧州の委員は「南米のリオデジャネイロの次は欧州で」と考える可能性がある。「オリンピックはもともと欧州のもの、1回おきに欧州で」という考えもあるからだ。その上に中南米のスペイン語圏の票も期待できる。
 トルコのイスタンブールはイスラム圏の委員の票をあてにしているだろう。15票くらいは基礎票がある。

★基礎票のない東京
 東京はアジアを基礎票にしたいところだが、最近の外交関係を考えると中国と韓国はあてにできない。中東はイスラム圏だからイスタンブール支持だろう。東京の基礎票は甘く見積もっても10票程度である。
 施設がかなり整っているのはマドリードである。東京の施設はほとんど青写真の段階だ。
 大義名分では「アジアと欧州の架け橋に」というイスタンブールが分りやすい。初めてのイスラム圏を選ぶ委員もいるに違いない。
 つまりマドリードとイスタンブールは基礎票に上積みを期待できる要素が多く、東京は少ない。
 というわけで東京は最初の投票で3分の1の30票余を確保できればいいほうではないか、と推測した。
 30票余というのは3者が競り合いになった場合に、1回目の投票で最下位を免れ上位2者による決選投票に生き残れるかどうか、という数字である。
 これが、ぼくの当たらぬも八卦である。

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スポーツ報道 / 2013年02月07日


柔道五輪監督の「暴力問題」


マスコミが伝えた識者の意見

★セルジオ越後のコメント
 学校スポーツ指導者や柔道女子オリンピック監督の暴力が問題になり、マスコミが多くの識者の意見を紹介した。
 そのなかで、もっとも「おもしろかった」のは、セルジオ越後さんのコメントである。
 「おもしろかった」というと語弊があるかもしれない。
 「興味深かった」と言い直そう。
 1月31日付の朝日新聞に「ブラジルなら大乱闘」という見出しで掲載されていた。
 「ブラジルで指導者が選手を殴れば、殴り返されて大乱闘になる」。
 実際に乱闘になることは、めったにないだろうが「ブラジルではコーチと選手は対等だ」ということだ。
 「残念だが、体罰は日本の文化の一部になっている」ともセルジオさんは言っている。
 日本のスポーツ文化では、指導者は選手より上位にいる。そのために選手のほうが一方的に殴られることになる。

★山下泰裕さんの談話
 柔道で無敵の世界チャンピオンだった山下泰裕さんの談話も載っていた。
 「自分は殴られたことも殴ったこともない」。
 それはそうだろう。殴ろうとしたら逆に投げ飛ばされかねない……これは冗談。
 実際には殴られたとしても、山下さんが反抗するようなことはなかっただろう。指導者、年長者を敬うことが、日本の文化だからである。
 一方、山下さんであれば、指導するときに殴る必要はないだろう。暴力に訴えなくても、金メダルの実績と実力で相手を心服させることができるからである。
 山下さんは、指導者の暴力が日本の柔道に特別にあると考えている。「正直に言うと、日本の柔道界には暴力や体罰という体質が残っている」。
 
★背後に「大学スポーツ」の弊害
 セルジオさんの言うように「体罰は日本の文化の一部」になっているにしても、日本の古い伝統的文化であるとは、ぼくは思わない。
 師を敬い、年長者を尊ぶのは東洋の伝統的文化だが、それを悪用して弱い立場の者に暴力をふるうのは、スポーツ界では戦後になってからが、ほとんどではないだろうか?
 山下さんは、日本の柔道界の体質だと述べている。
 そういう文化、あるいは体質は、なぜ生まれ、どのように育ってきたのだろうか?
 週刊文春は2月14日号で「全真相」と題する記事をのせている。
 それによれば「柔道の乱」の背景には、日本柔道連盟内の学閥争いがあるという。
 うーむ。これも「学校スポーツ」の弊害の一つか、と思った。

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スポーツ報道 / 2013年02月02日


五輪女子柔道監督の暴力問題


日本スポーツの体質の転換点
(JOCへ告発 1月30日付け朝刊報道)


★新聞も及び腰の扱い
 ロンドン・オリンピック女子柔道の園田隆二監督が選手たちに「暴力」を振るっていたことが明るみに出た。ぼくは、1月30日付の朝刊の報道で知った。
 読売新聞は社会面肩(左上隅)3段の扱いだった。朝日新聞は第二社会面肩3段の扱いだった。
 前年のロンドン・オリンピックを大騒ぎして扱っていたことを思うと控えめである。
 新聞の記事の扱いは、その日の他のニュースとの「兼ね合い」によって決まる。この日は平成13年度の政府予算案決定が最大のニュースだった。
 それでも、柔道五輪監督の不祥事は、一面で扱ってもいい重要な問題だったのではないか? マスコミの報道が「及び腰」のように思った。
 その日の朝の記者会見で全日本柔道連盟が事実を認めると夕刊では一面扱いになった。

★柔道連盟の責任回避
 この問題では、全日本柔道連盟の対応に問題がある。
 第一は、前年の9月に選手たちが柔道連盟に訴え出たとき監督を解任しなかったことである。選手たちから信頼されていない監督を、4年後の次のオリンピックまで続投させるのは理解できない。
 第二には、マスコミに隠していたことである。内部で処理して、もみ消してしまうつもりだったのだろう。選手たちがJOC(日本オリンピック委員会)に告発したのでマスコミの知るところになった。
 第三には、問題が明るみに出たあとも、柔道連盟が監督続投を明言したことである。連盟の責任で処置しないで、本人が「進退伺」を出すのを待った。
 柔道連盟の責任回避の姿勢が明らかだ。

★選手たちの行動はみごと
 柔道連盟の応対には「指導暴力もときには必要」と考えていることが透けて見える。日本のスポーツの古い、間違った精神論が尾を引いている。
 マスコミで伝えられている識者の意見の一部にも、それが見える。
 一方、被害者である若い女子トップ選手15人の行動はみごとだった。まず、所属の柔道連盟に訴え、うやむやに処理されると、JOC(日本オリンピック委員会)へ告発した。選手たちの意識と行動が競技団体の古い体質を上回った。
 全柔連と選手たちの動きの背後に、柔道界内部の派閥争いがある可能性も考えられる。
 しかし、そうではあっても、これは日本のスポーツの体質が変わりつつあることを示すものではないか?
 歴史的に見れば、一つの転換点といえると思う。

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スポーツ報道 / 2013年01月29日


部活顧問の暴力の報道


学校スポーツのあり方を問え

バスケットボール部主将の自殺
(2012年12月23日 公表2013年1月8日)

★体罰でも指導でもない
 大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将(2年生)が顧問から「体罰」を受けた翌日に自殺した。それが半月後に明るみに出てマスコミで大騒ぎになった。
 報道で知った限りでは、これは「体罰」とはいえない。教員の生徒に対する理不尽な「暴力」である。自殺した生徒は、悪いことをしたわけではない。部活での活動ぶりが、顧問の先生の気に入らなかっただけである。
 相手が悪事をしたとしても、法によらないで暴力で罰するのは罪である。まして教師の立場を悪用して恣意的に暴力を振るうのは極めて悪質だ。
 マスコミでは「指導暴力」という言葉も使われていた。
 しかし、これは「指導」でもない。
 生徒がよい人間になるために導く方法が「指導」だが、このケースはチームを勝たせるための間違った手段である。

★「部活」そのものが問題
 新聞紙上にいろいろな意見が掲載されている。「勝利至上主義が問題」「暴力では選手は伸びない」などである。
 部活顧問の暴力には、さまざまな原因や背景がある。だから、いろいろな角度からの意見があるのは当然である。
 しかし、かなり多くの識者の考えが紹介されているにもかかわらず「学校のスポーツ活動」そのものへの批判は、ぼくの見た限りでは、見当たらなかった。
 ぼくの考えでは学校スポーツ、つまり部活そのものが問題である。
 学校が正課のほかにスポーツ活動をする。それが学校教育の一部とされている。
 したがって指導するのは、その学校の教員である。生徒はスポーツの指導者を選べない。指導者が暴力教員であっても別の学校に移ってスポーツをすることは難しい。

★顧問の呼称は「まやかし」
 大多数の「部活顧問」が教育の立場から「部活」を指導していることは知っている。その努力には敬意を表する。
 しかし「顧問」という呼称が「まやかし」であることが実態ではないか?
 「顧問」とは生徒の自主的な活動にアドバイスする立場という意味だろう。
 しかし、トップレベルの部活の「顧問」の多くは「監督」である。生徒たちの自主性を認めないで自分の思い通りに動かすことのできる立場である。
 「体育」以外のスポーツ活動は、学校教育から切り離したほうがいい。これが、ぼくの考えである。
 体育館やグラウンドなどの学校の施設を活用することは必要である。
 しかし、組織と指導者を学校から切り離し、民間のクラブとして運営することを真剣に検討すべきだと思う。

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