ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




富士銀行横浜支店。神奈川県横浜市中区本町4-45。2002(平成14)年1月14日

富士銀行(現みずほコーポレート銀行)の前身である安田銀行の横浜支店として1929(昭和2)年に完成したビル。設計=安田銀行営繕課、施工=大倉土木(現大成建設)である。南側の前に突き出た3階建ての部分は1952(昭和29)年に増築されたもの。昭和2年に竣工した建物は、同時期に建てられた函館支店とほぼ同じ外観だ。2005(平成17)年に東京芸術大学の大学院映像研究科のキャンパスになった。
昔撮った写真にはいいのがないので、上の写真は割りと最近のものだ。『神奈川の近代建築探訪東京芸大大学院映像研究科』によると、平成13年に横浜支店と伊勢佐木町支店は統合しているので、撮影時には営業はしていなかったらしい。平成14年3月31日に横浜市が土地・建物を取得したそうなので、その直前の時期である。馬車道通りが整備中だ。




上:1987(昭和62)年8月9日
左:1991(平成3)年7月28日

この建物の特徴は『富士銀行横浜支店ビル保存に関する要望書』に分かりやすく述べられているので引用させてもらう。日本建築学会から富士銀行に出された文書である。
立地の重要性として、「馬車道通りと本町通りが交差する枢要な一角にあって、その存在感はきわめて大きく、長い間人々に親しまれてきた」。富士銀行の歴史にとっても重要であることを言って「都市景観の上からもきわめて貴重」としている。
建物は「古典主義様式の銀行建築の一典型」で「イタリア・ルネサンスのパラッツォ建築を想起させる粗い石積み(ルスティカ)の外壁をもち、二つのファサードのそれぞれの中央に柱礎を持たないドリス式と覚しき大オーダーの円柱を備え、2階の窓を半円窓としている。フリーズやコーニスの細部意匠も精巧」「内部も、周囲にギャラリーを巡らし、大円柱で支えられた吹き抜け空間をもつ」。

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電子技術総合研究所。千代田区永田町2-6。1989(昭和64)年1月4日(3枚とも)

外堀通りの溜池交差点の近く、首相官邸のある高台の麓といった場所である。写真左の道路は現在、東京メトロ南北線の溜池山王駅ができている。写真の建物はどうも総理大臣官邸の敷地になってしまっているようだ。
1986年の住宅地図には「鉱山分析課」。それと所在地から『日本近代建築総覧』の「電子技術総合研究所(旧東京鉱山監督局)、建築年=S4、構造=RC3、設計=大蔵省営繕管財局、施工=大倉土木」であろう。建物は使われなくなって何年になるのか判らないが、立派な廃墟である。廃墟というと入り込もうとする人がいるらしいが、場所が永田町では絶対に無理である。写真右の門扉には「国有地につき立入り及びゴミ類の投棄を禁ずる 大蔵省関東財務局 電話○○五三五一」と書かれたボードが貼ってある。





1枚目の写真の左に写っているビルかもしれない。だとすると1969年の住宅地図の「東京都交通局 パトカー富士基地」の記載があるビルだ。
廃景録>消えた近代建築>電気試験所永田町分室』の建物は、住所からすると電子技術総合研究所から道路を隔てた隣にあったようだ。

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3軒長屋。台東区下谷2-17。1991(平成3)年6月30日

快哉湯のある街区の快哉湯とは反対側(西側)にある3軒長屋。純粋に住居としての長屋である。建物は敷地から少し後退して建っていて、玄関横のスペースは植栽用になっている。1間幅の屋根付きの玄関といい、けっこう余裕を感じさせる前面だ。奥行きは3.5間しかない。



全国珠算教育連盟東京事務局。下谷2-17。1991(平成3)年6月30日

やはり快哉湯のある街区の南側。右奥が昭和通りの方向で、昭和通りを超えたところのタニグチ家具店のビルが見えている。珠算教育連盟の右は内田商会と武捨商会(ゼブラの看板)。

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左:星化学。台東区下谷2-21。1991(平成3)年6月30日
右:小森宮革木工所。下谷2-22。1991(平成3)年9月23日

今回の写真は3枚とも、昭和通りから金嶺荘の前を通って金杉通りに抜ける横丁。現在も写っている家はそのまま残っている。
左写真の銅板貼りの家の左に写っている家が金嶺荘。銅板張りの看板建築の家はなにか商売をしていた家だと思うが、1階を住居として改装している。衝立のような銅板貼りの面は少し後退していて、前にベランダがある。写真右の「星化学」は現在では看板を下ろしている。
右写真の家はガラス戸に「小森宮革」の字が読める。「小森宮革木工所」としておく。革張りの家具を作っているのかもしれない。



下谷2-22。1991(平成3)年9月23日。写真左端に「小森宮革木工所」の家が写っている。写真中央の家は平屋らしい。やはり町工場だろうか。

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