ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





横浜市開港記念会館。神奈川県横浜市中区本町1-6
2013(平成25)年4月19日。上の写真は県庁屋上から

横浜開港50周年を記念して建てられた記念建造物。そのため、外観はジャックの塔を見せる記念碑的なものになったのだろう。建物本体は講堂を中心にした公会堂の役割を持つ。
建設計画は明治末から動き出し、1913(大正2)年にコンペが実施された。一等当選は東京市技師・福田重義。彼の作品として当ブログには三楽病院(神田駿河台、1933年)と東京都公園資料館(日比谷公園、1910年)がある。
実施設計は、そのために横浜市に招聘されたらしい山田七五郎と佐藤四郎。山田は後に建築課長を歴任し、関東大震災復興にも尽力する。佐藤は帝大卒業後すぐの仕事が開港記念会館だった。1921(大正10年)年に、福澤桃介に招かれ大同電力に入社して木曽川沿いの水力発電所の設計をしている。そのいくつかは現存している。(ウィキペディア参照)。
施工は清水組、1917(大正6)年6月に完成、7月1日の開港記念日に「開港記念横浜会館」としてオープンした。構造は鉄骨煉瓦造2階建て地階塔屋付。外観は赤レンガの壁に白い花崗岩を挟んだ「辰野式フリー・クラシック」と言われる様式。記念建造物だけあって装飾的要素満載で華やかである。
関東大震災では屋根が崩落、内部は焼失したが、塔と壁は残った。鉄骨で補強されていたためという。3年近く残骸のまま放置されていたというが、復旧工事は「山田七五郎の指導で、鳥海他郎・木村龍夫の両技師が担当した。鉄骨煉瓦造の構造体に鉄筋コンクリートによる補強を施し、陸屋根も鉄筋コンクリートで新たに架せられた」(三幸エステート>都市の記憶)。工事は1927(昭和2)6月に完了したが、屋根のドーム群は復元されなかった。また、内部は大正期のままとはいかず、震災復興の仕様に替わってしまったようである。
戦後は米軍に接収されて女性将校宿舎にあてられ、また「メモリアル・ホール」の名称で映画の上映が行われたという。返還されたのは開港100年にあたる1958(昭和33)年で、永いこと居座っていたものだ。翌年6月に「横浜市開港記念会館」の名称で公会堂として再開する。
1985(昭和60)年に創建時の設計図が発見されて、昭和63年にドームの復元工事に着手、平成元年6月に完成した(横浜市>会館の歴史)。


2002(平成12)年1月14日

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