ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




小田島理髪店。中央区勝どき1-10。2001(平成13)年10月20日(2枚とも)

前の大通りは清澄通り。勝鬨橋の晴海通りとの交差点の南西である。写真右のバス停は「勝どき3丁目」。2000年12月に都営大江戸線の勝どき駅が清澄通りの下にできて駅のまん前になってしまった。勝どき2丁目交差点は勝どき駅前交差点と変わって、現在はそこを中心に高層ビルが何本も建ち、写真の勝どき1丁目8・9・10番地と11番地の月島第二児童公園もまとめて再開発中である。したがって写真の家並みは右端のビルも含めてなくなってしまった。
撮影時の住宅地図では、角の「理容・小田島」から右へ、渡辺、山森、ミート福原、ソーコ、アサヒ、(路地)、ワラベ、長寿庵、キクチ、飯田、鈴木、マイコール商事本社ビル。小田島理髪店の建物は五軒長屋で、ミート福原が看板建築にしている。昭和25年頃の火保図には「床ヤ小田島」「山森」「福原肉店」「富沢そば」「キクチ」の記載があって、住民があまり変わらずに暮らしてきた様子が窺える。


路地の長屋
勝どき1-8・9

写真中央の通路の向うは清澄通り。航空写真で見ると路地の両側に2軒長屋が4・5棟づつ並んでいるようだ。路地の正面はビルに空けられたトンネルの通路のように見えるが、ビルの2階以上が路地の上にはみ出ているのであって、上に隙間がある。1枚目写真のマイコール商事本社ビルだと思う。

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コメント
 
 
 
とうとう定年です (月島職人)
2010-02-09 22:57:11
ご無沙汰しています。昨年「大沢印刷」にちょうど1年前投稿した者です。小田島理容の長屋で、アサヒ(路地)ワラベの路地を入り突き当たりの公園の手前右角が30年暮らした生家でした。この3月定年退職します。生まれた築地産院(聖路加病院近く)、月島第二中学(現トリトンスクエア)、我が家、はじめて就職した大沢印刷、すべてなくなりました。4月から新しい生活、まだまだ人生楽しみます。
 
 
 
>月島職人様 (流一)
2010-02-11 10:34:49
月並みで少し早いですが、定年、おめでとうございます。定年退職してからが楽しみ、というのは分かるような気がします。私の場合は出勤しなくてもいい、という怠け者の気分が強かったのですが。
私は30歳で今の家に落ち着くまで、それ以前に住んでいた家は3軒がなくなっています。父は八丁堀の内外印刷という会社にいました。それから私は聖路加病院で生まれています。月島職人さんとはなんとなく近くですれ違っているような気がしますね。
 
 
 
Unknown (てつおとこ)
2019-11-08 21:51:11
ありがとうございます。ひさしぶりにこの景色をみました。私の祖父母のお店が写っていました。お蕎麦屋さんです。
 
 
 
>てつおとこ様 (流一)
2019-11-11 11:58:30
写真右に写っている長寿庵ですね? 「ワラベ」と同じ建物のようですね。ワラベ(スワベ?)はなんのお店だったのでしょうか? 昭和25年頃の地図では「富沢そば、諏訪床や」となっていますが、同じお店でしょうか? 戦前の昭和9年頃の地図(勝鬨橋が工事中としてあります)では「(現在の)長寿あん」と書き込みがしてあるので、戦前から続いているお店のように思われます。
 
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