杉野ビル。中央区日本橋本町2-1(現2-5)
1986(昭和61)年1月
昭和通りに向いたビルで、本町2丁目交差点のすぐ北にある。昭和通りと一緒に首都高速道路が走っていてビルの正面は撮影できない。スクラッチタイルを貼った、昭和初期に建てられたと思われる外観である。
「玉川神社」のHPに中里介山の年賦があって、そこに「昭和10年3月―「隣人之友」編輯所を小石川区音羽から日本橋区本町杉野ビル2階に移転」という記述があることを、当ブログにコメントされてきた方がいる。少し間が空いてしまったが、中里介山ゆかりのビル、ということで取り上げてみた。とはいえ、「隣人之友社」があったのが写真のビルだという保障はない。
「年譜」によれば、1926(大正15)年12月に「隣人之友社」を創設して『隣人之友』という雑誌を発刊している。『隣人之友』には『大菩薩峠』が連載され、「隣人之友社」からは介山の著作が出版された。『大菩薩峠』も「机龍之介」の名前も知れ渡っているが映画になった影響が大きいと思う。ぼくも「大菩薩峠」は読んでいないし中里介山の経歴もまったく知らない。
やはり「年賦」によると、明治末から大正にかけて介山は谷中初音町、谷中三崎町、千駄木町、谷中真島町、根津須賀町に居住している。それと関連するのかどうか知らないが、『谷根千』の森まゆみは高校生で『大菩薩峠』を読んだ、とどこかに書いていたと覚えている。
近影。2010(平成22)年5月8日
現在は左の写真のように外観はかなり変わってしまった。わりと最近、3・4年前の改装だと思う。1986年の写真と比べると、2階右の「もみじ」という食堂が替わっていないように見える。しかし張り紙には昨年末で閉店している。
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もしかすると、取り壊されたと思っていた建物の中には、この建物のように外装だけをリフォームした建物があるのかも知れないですね。
杉野ビルですが2週間ほど前に通ったところ解体の足場がかけられていました。このブロック(本町2-5)の建物はすべて解体して大きな再開発ビルを建てるようです。
この日、歩いてみて他に気付いたのは、少し離れたみずほ銀行横山町支店の交差点を挟んで向かいにあった茶色い古いビルも解体されてなくなっていました。日本橋エリアの古いビルも本当に少なくなってきたという感じです。
横山町の古いビルはそう魅力的なビルでもなかったのですが、ちょっとした装飾なんかがあって、いつの建築だろうかという興味で見ていました。
何枚かの昭和通りの写真も、戦前の通りの様子が分かって貴重です。こういうアルバムが持つのにふさわしい方の手に入ってよかったと思います。