ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




浅草通りの下谷神社前。台東区東上野3-35。1988(昭和63)年5月1日

一の鳥居は昭和8年5月の建立で、扁額の字は東郷平八郎の書だという。東郷元帥が亡くなったのは昭和9年5月、87歳だった。かなり長生きししている。
鳥居の右に板倉漆店、日照堂(仏具)、東都器材などの看板建築が建っている。東都器材の建物の後ろが少し見えていて、3階がほとんど屋根裏部屋らしいと分かる。

東都機材
1986(昭和61)年頃

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コメント
 
 
 
競争 (ひで爺ィ)
2014-06-11 11:22:26
昭和30年頃、十三間通り(浅草通り)で都電とのローラースケート競争を思い出します。
車道に都電と並んで三,四人並んで走るんです。
神社の鳥居前から下谷警察前までのほんの200Mほど。
ボールベアリングを4つ使っただけのオモチャのようなローラースケートです。ズック靴にしっかり縛り付けて。
ジャージャーとかなりうるさい。
都電の運転手さんも意識してか警笛を鳴らしながらスピード上げるんですよ。
浅草に向かう車はありましたが、上野駅に向かう車ほとんど見ませんでした。
何度も注意されていたのですが、稲荷町交差点の交番のおまわりさんに補導され、母が下谷警察まで呼び出されたりしましたよ。
昭和の子供、みな遊び事には必死でしたよね
 
 
 
>ひで爺ィ様 (流一)
2014-06-12 10:34:53
危険な遊びほど楽しい。しかし車がこないにしても都電と競争とは無謀ですね。仲間がいるからひるんでもいられないのでしょうが。いつの時代でも男の子の母親は同じような苦労をするようです。
「下谷警察署」は現在の上野警察署だと思いますが、下谷区だった時代にはそのように呼ばれたものなのでしょうか?
 
 
 
>流一様 (ひで爺ィ)
2014-06-15 11:22:12
うーん 幼い頃から”下谷警察”と呼んでましたが。確か周囲もみな…
入口の丸い建物だったかと。母親と一緒に説諭されたのは右奥でした。
Mapを見ると”下谷警察署”昭和通り三ノ輪の手前にありますね。移ったのか・・・その歴史など正確なことはよく分かりません。スミマセン。
 
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