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三華堂文具店。中央区新富1-7。1988(昭和63)年2月14日
前の通りはかつての電車通りで、近年は平成通りという通称がついている。都電が廃止されるまでは、三華堂の前に渋谷行きの電車の新富町停留所が、写真左へ行った喜久屋ビルの前に浜町中の橋行きの停留所があった。現在は同位置にバスの停留所がある。
三華堂の間口はけっこう広い。三華堂の両側の、蛇の目鮨とむかでやはすでにビルに変わったが、そのビルと同じくらいありそうだ。昭和25年頃の火保図では、「百足ヤ呉服、塩田文具、中キ久乾物・中堅蛇の目すし」と並んでいて、撮影時でもだいたいは商売が続いているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/bd/80eced62bb1945a88160d08de129b66a.jpg)
三華堂文具店の欄間のステンドグラス。1987(昭和62)年頃
三華堂文具店
1987(昭和62)年5月3日
斜めから撮っているので建物の幅が縮小されて、上部の三角の飾りがやけに大きく見える。
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特にステンドガラスは思い出深いものなので嬉しい1枚です。子ども心にも日が差すととてもきれだったのを憶えています。
この建物は震災後まもなくの建築なので、耐震用に非常に太い梁でできていました。3階部分に物干しがあったので、三角部分はその目隠しだったのかもしれません。
向かって右隣は、以前は呉服店の「むかでや」さん。その先にちょっと写っているのが井上電話店。左隣は乾物屋&蛇の目寿司店で同じお宅が経営。「中キ久、中堅」というのは中里さんという苗字のことかもしれません。
今年も色々な写真を楽しみにしてますね。
ところで、昔、都電はかなり路線があったんですね?
自分は70年代生まれなので、まったく知らないので、都電は地下鉄の路線と同じくらいしかないものと思っていました。
定年退職して以来、仕事もせずにぶらぶらしていますから、このブログを作成するのはちょうどいい暇つぶしのような具合になっています。
都電が活躍していた時代は地下鉄はというと、銀座線と丸の内線しかありませんでした。従って下町のほとんどは都電に頼っていたのではないかと思います。
都電と言えば。新富町は今もバス路線として残っている築地~錦糸町の36系統と渋谷~浜町中ノ橋(たぶん)の9系統が走っていました。終電の赤色表示と終電1本前の緑色表示。懐かしいですね。