ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




日本橋高島屋。中央区日本橋2-4。2002(平成14)年5月4日

2018年に新館が出来てから「日本橋髙島屋 S.C.」と称するようになったから、現在の建物名称は「日本橋髙島屋 S.C.本館」となるのだろうか。「S.C.」がなんだか分らない。ショッピング・センター? 2009年に国の重要文化財に指定されたが、そこでの名称は「高島屋東京店」。戦後の村野藤吾による増築部分も含まれる。2012年に店舗の名称を「東京店」から「日本橋店」に改称している。当記事では一般に多く使われていると思われる通称にしておいた。
昭和8年(1933)3月竣工、SRC造8階地下3階、設計:高橋貞太郎(ていたろう)、施工:大林組。日本生命が高島屋に貸す目的で建てられたため、「日本生命館」といった。日本生命は当初6・7階の一部を使っていたが、昭和38年に転出した。日本生命館の名称は日本生命の社内でしか通用しなかったような気がする。
1930年に「日本生命館建築図案懸賞募集」が行われて、高橋貞太郎の案が1等当選した。募集規定に、「東洋趣味を基調とする現代建築」とあり、全体はルネサンス様式に見えるが、建物から張り出した軒に垂木のような装飾があるのが目立つ。東洋趣味あるいは和風の意匠は内部にも多く現れるが、細かい装飾として使われているように思う。ぼくなどは、それと指摘されないと分らないような、かなり洋風にアレンジされたデザインのように感じる。
『帝都復興せり!』(松葉一清(かずきよ)著、平凡社、1988年、2400円)では、「押し寄せる国粋主義」という章で高島屋を取り上げていて、昭和10年になると国による日本趣味への指導が現れ、高島屋はそれの先駆けとしている。当書では設計者は片岡安(やすし、1876-1946)としている。片岡は「辰野金吾の片腕として、多くの国家的建築を手がけた大家」「日本の建築を完全な洋風とすることに努力したひとり」だそうだ。『ウィキペディア』によると、「1899年(明治32年)日本生命保険副社長片岡直温の婿養子となる」「1919年(大正8年)日本生命保険取締役(~1927年)」とあり、実務はしなかったと思うが日本生命の役員になっていたようだ。
高島屋は高橋の案に基づいて片岡が実際の設計図を描いたということなのだろうか? 



日本橋高島屋屋上エレベーターホール(ここの柱や天井の和風意匠は分りやすい)と屋上の噴水。2004(平成16)年12月3日

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